第44話 狂相ーキョウソー
「しつこすぎるだろう!」
「人間ならストーカー禁止法だぞ!」
「くっ、硬い!」
青川と陽川は合わせることなく駆け寄り、紘真の左足から鎖を外そうとする。だが絡まった鎖は錆びていようときつく絡み、外れない。その間、虫人間との相対距離は縮まっていく。ジリジリと紘真の身体は坑道へと引きずりこまれる。このままでは崩落に飲み込まれる。抗おうにも全身を走る激痛に身体の自由は利かない。
「動け、動けよ!」
ただ口を動かすだけで紘真の全身に激痛が走る。
大人二人の体重では重石にならず、三人は坑道近くまで引きずり込まれていく。
虫人間を間近で視認できる距離まで至った時、通路に大きな亀裂が走る。
亀裂は枝分かれを繰り返し、奥底より崩落の音が近づいてくる。
「この虫、嘉賀くんを巻き込むつもりか!」
「死ねば諸共すぎるだろう!」
「わんっ!」
拳銃を抜いた陽川は虫人間に向けて発砲するも、金属質の音が響くだけで、引きずりは止まらない。
虫人間の左副椀が伸びる。
邪魔な羽虫を祓うかのように、陽川と青川の身体を力づくで弾き飛ばしていた。
坑道の上を二人揃って横転すれば、陽川が青川の上となる形で停止する。
「ぐっ!」
「重っ!」
右横腹に強かな一撃を受けた陽川は、わき腹走る激痛に呻く。
腹周りは骨がないからこそ、鍛えていようと外的衝撃が内臓に響く。直に受けた痛みで立ち直れず、裂けたスーツからうっすらと血が滲み出ている。
青川に損傷はなくと、その上に陽川が乗っているため、体重で呻いていた。
「力弥く、ん……犬?」
汐香抱えた柊は、恋人の身を案じたが、聞き覚えある犬の鳴き声で、すぐさま周囲を睥睨した。
そして、ほんの少し離れた先で、ライフル銃を構える大男を目迎するなり、力の限り叫ぶ。
「三人とも伏せて、ライフル!」
ひときわ大きな銃声が響いたのと、男たちが伏せたのは同時だった。
虫人間の左複眼が弾け飛ぶ。銃撃だと気づかぬ男たちではない。駆け足がする。どこかで聞いた音がする。
虫人間と男たちの間に、一人の大男が割って入った。
「本田さん!」
紘真は大男の名を叫んだ。
本田は振り返らず、ライフル銃を構えれば、まず先に紘真を拘束する鎖を打ち砕く。素早く排莢すれば、次弾を装填、銃口を虫人間の頭部に突きつける。
「娘の――仇だ」
くぐもった怒声から立て続けに響く銃声。排莢すれば装填のち発砲、発砲のち排莢し装填して発砲を繰り返す。
着弾の衝撃で虫人間は首を後方にのけ反らせるを強いられる。
銃声が今一度響き、虫人間と至らしめる蚕蛾の頭部が弾け飛ぶ。
弾け飛び、暗闇に消えた時、現れし顔に誰もが絶句した。
蚕蛾の顔すら被り物だった。
その目は蚕蛾の赤い複眼のままだろうと、顔立ちはキメラの名に恥じぬ複数の生物が組み合わさった顔であった。
右上半分は猿、右下半分は人間の頬、左上半分は熊、左半分は蜘蛛、耳は右が兎で左が猫、鼻先はキツネ。口はイノシシの鋭い牙が口内より剥き出しとなり、開かれし口内から覗く歯は猿の歯と蜘蛛の牙が乱雑に並んでいる。
――その
「顔、が……ごあっ」
絶句は間隙突かれる隙となり、本田は虫人間の隻腕に殴り飛ばされる。
右壁面に背中を強く打ち付けた本田は激しくせき込んでいる。
胸部に強い衝撃をうけたせいだ。肺の中の空気が強制的に叩き出され、脳が酸素を求めて激しくせき込ませている。
「ぐっ、くっそが!」
本田は、どうにか震える手で猟銃を掴もうとするが、意識が揺らめき、視界が霞んでしまう。
「あと、少しだって、のに! ミチザネえええええっ!」
全身から大声を放つ本田は、猟犬ミチザネに指示を出す。
警戒し唸るミチザネは、飼い主の声に素早い反応を示した。
賢いからこそ、ミチザネは主が如何なる行動を求めているのか、瞬時に理解していた。
地面を蹴ったミチザネは、本田が手放したライフル銃のストックを口でくわえ込む。狩猟用ライフル銃の重量は平均して三キログラム前後。ミチザネは難なくライフル銃を本田――ではなく動けぬ紘真に運んでいた。
唐突に渡されようと困惑するが、状況が許さない。
崩落はすぐ間近まで迫っている。
「小僧、撃て! 終わらせろ! お前のじいさんがやったように、今度は自分の手で蹴りをつけろ!」
過去を知られていようと驚く暇も銃刀法を順守している場合でもない。
紘真は全身が引き千切られんとする激痛の中、ミチザネからライフル銃を受け取った。
「あああああああああああああああああああっ!」
銃の重みが激痛を拡大させ、紘真の意識を消し飛ばさんとする。
それでも紘真は眼前の虫人間を見据えて意識を力強く保つ。
今、ここで逃せば、しぶとく生き残り、犠牲者が増える。家族を奪われる。
銃弾は装填され、安全装置も解除済み。後は銃口突きつけ、引き金を引き絞るだけで良い。
残る力を振り絞り、紘真はライフル銃の先端をキメラ顔の額に突きつけた。
「くたばれ、クソ虫がああああああああああああっ!」
人差し指に込め、力強く引き絞る。
銃声が崩落音に負けず響き渡り、発射反動にて紘真は身体を激しく後方にのけぞらせる。
ライフル銃は紘真の手を離れ、両腕が肩口から千切れ飛んだかと錯覚するほどの激痛だった。
「ぐっ、ぐぐっ!」
それでもな紘真は意識を手放さなかった。
亡き祖父より獲物の最後を、しっかり己の目で確かめろという教えを覚えていたからだ。
銃弾を至近距離から受けた虫人間は、頭部の右半分を欠損させ、亀裂走る坑道の上に半身を転がせている。
隻腕が震えながらも動く。動き、半身を引きずる形で執拗に紘真へと迫る。
動ける男はいない。
虫人間は勝ちを確信したように鳴く。
鳴いた瞬間、一際大きな亀裂が虫人間の真上に走った。
真上の亀裂を突き破るように大岩が現れた。虫人間は気づく間すら与えられず頭部を潰される。体液を飛び散らせる中、大岩の質量にて足元の亀裂は広がり、奇怪な身体は亀裂の奥深くへと引きずり込まれていた。
一〇年前、窮地を祖父の銃撃で救われた子供は、少年となった今日この日、己の銃撃で終わらせた。
「た、助かった、のか」
わき腹の痛みに呻く陽川は、現実が掴めぬほど焦燥していた。
坑道は崩落し、土埃がその肌に叩きつける。
もう三メートルほど、坑道の中にいたならば、男全員が亀裂に呑み込まれていたと、もしもの光景が怖気を走らせる。
「おう、派手にやった、ようだな」
どうにか立ち直った本田は、強がるようにニカっと笑ってみせた。
「お、終わったの?」
柊が崩落する鉱山を前に、呆然と呟いた。
生きている。助けられた。助かった。
今はそれだけで充分だと、眠る汐香を抱きしめる。
「あ、あははは」
紘真は全身を蝕む激痛の中、笑い出す。
笑う度、激痛が走ろうと、笑うしかない。
終わったのだと、生還の喜びが笑いの根幹にあった。
「みんな、ひどい顔」
紘真を筆頭に、誰もが土汚れが激しい。
「帰りましょう。それぞれの家に」
紘真の提案に誰もが頷いた。
恋人を取り戻せた。家族を取り戻せた。
家に帰る理由は様々だが、今は家族に、ただいまと伝えたい。
ただ紘真は自力歩行できぬ状態だった。
指先一つ、唇一つ動かすだけで全身を激痛が走る。
原因は言わずとも分かる。謎覚醒のせいだろう。
見かねた本田が声をかけた。
「坊主、動けるか?」
「む、りです、ね。ぜん、しんが、激痛なん、です」
「仕方ねえな」
本田は笑いながら、紘真を軽々と持ち上げて肩に担ぐ。
重い装備を持って山中を駆け回るのだ。子供一人担ぐのなど児戯も同然。ふと肩に担いだ拍子に、紘真の衣服のポケットからこぼれ落ちるものが二つ。
一つは顔が劣化により消えたツーショット写真。もう一つに青川と柊は顔を見合わせるなり、両目見開き叫ぶ。
「「サナギ!」」
姿形、サイズといい研究室にて秘密裏に研究保管していたサナギと同じだった。
写真はともかく、サナギはポケットに入れた覚えなど紘真にはない。
ただ虫人間との交戦で地中に押し込められたため、その際に入り込んだ可能性が高いと踏む。
「なんだい、おまえさんたち、サナギがどうかしたんだ?」
本田は疑問を抱きながらも、落ちた写真を拾ってはポケットに入れている。
誰もがサナギに視線が行っているため、本田が写真を拾ったことに気づかない。
そのまま何食わぬ顔で、紘真を担いだまま歩き出す。
「坊主、ありがとな」
激痛苛む紘真は確かな言葉を聞いた。
こうして誘拐事件は終わりを迎えた。
誘拐犯は廃坑を隠れ家にするも、そこをねぐらとしていたクマにより連れ去られた人たち共々全員がクマの犠牲になったとする公式発表を警察は行った。
霧鷹山の中腹にて男性警察官二名、猟友会三名、マスメディア関係者三名と、計八名の遺体が損壊した状態で発見されたことが、クマだとする強い証拠を後押しする。
犯人の隠れ家とされた廃坑は、崩落により調査不可能なのが、つじつま合わせを容易としていた。
虫人間に襲われたなど古今無形な与太話。
証拠となる写真があろうと、保存先であるスマートフォン及びカメラは、崩落のどさくさで落としていたため、証明できる手を喪失していた。
それから――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます