第46話 幻夢ーウツツー(終)

 嘉賀紘真、全身重度の筋肉痛。

 全骨格に亀裂あり、全治三ヶ月の診断。

 自由奔放に暴れた代償か、紘真は入院先のベッドから動けずにいた。

 全身筋肉痛どころか、全身の骨格にヒビが入っている診断。

 安静にしていれば、治るレベル。

 自由に動いた代償がベッドの上の不自由は因果だった。

 医者曰く、常軌を逸脱した行動の結果だが、何故、そのような行動がとれたのか、分からないと。

 紘真自身の証言から薬物によるドーピングを疑われるが、血液検査をしようと薬物の類は検出されないのが拍車をかける。

 結果として、生命の危機に陥ったことで火事場のバカ力が発動したのではないかと、結論づけられた。


 不自由さえ除けば、紘真の入院生活は快適だった。

 完全個室、ベッドは床ずれを自動で防止する仕様、テレビモニターは天井に吊り下げられ、身体を横にしたまま視聴できる。加えて音声入力仕様だから手の自由が効かない紘真には大助かり。

 ――ただ一つの問題を除けば。

「コーマ、トイレに行きたくなったら、遠慮なく! 遠慮なく! 教えてくださいね?」

 ベッドの隣でとびっきりの笑顔で汐香は尿瓶を構えている。

 リンゴの木の下で、実が落ちてくるのを今や今やと待ちかまえるリスの幻影が重なった。

「ゆーちゃん、何度も言ったでしょう。それは病院の仕事だって」

「え~出るものであっても減るものじゃないと思いますよ?」

「俺の尊厳が減る」

「その程度の尊厳、おしっこと一緒に出してしまえばいいのですよ」

 ダメだ、言っても聞かない。

 動けない今がチャンスだと果敢に攻めてくる。

 一方で、元気な姿に安心していたりする。

 無事、汐香と再会を果たした千野一家は滝を涙のように流して再会を喜んでいた。

 両親だって散々泣かれたし、無事を喜ぶ一方、無茶をしたとしっかり叱られもした。

 警察からは、すべてクマのせいとして処理が終わったのを入院先のベッドで紘真は聞かされる。

 山小屋燃焼もクマのせいとされたが、火をつけた身として良心が痛む。

 入院中なので、テレビ通話を介して謝罪はしておいた。

 端末越しに映る苦い顔つきの老婆は受け入れたのか否か、当人しか分からない。

 その山小屋も、千野会長が老婆の亡き夫と知己であったとかで、新しいのを手配したとか。世間とは広いようで狭いものだ。

「元気なのは、うれしいけど」

 虫人間に連れ去られ、身体をいじられていないか案じたが、傷一つなかった。

 卵を植え付けられてもなければ、幼虫に寄生されてもいない。

 千野汐香は至って健康体だ。

 毎日のように、学校が終われば単身見舞いへ訪れるなど元気が有り余っている。

 ただ今日ばかりは三十分早い訪問である。

「ん?」

 ふと紘真は出入口の扉から複数の視線を感じて目を向ける。

 首周りはがっちり固定具で固定され、動かせないからだ。

 開かれたドアの隙間から室内の様子を伺うのは、高校の級友たち。

(助けてくれ)

 汐香は気づいておらず、今や今やと待ち構えている。

 級友たちに救援の支援を向ける紘真だが、一同、揃いも揃って首を横に振るってきた。

 何より級友たちが物を言わせるのは、その目だ。

(早めの介護と思って)

(楽になっちまえよ)

(お幸せに)

(なむなむ)

 級友たちは、その目で語るだけ語れば、扉をそっと閉じてしまった。

(お前ら~!)

 薄情さに戦慄く紘真だが、全身を震えさせるだけで痛みが広がり走る。

 深呼吸にて己の抑えようと、やはり胸の上下でだけ痛みが走る。

 時間をかけて思考をクールダウンさせるしかなかった。

「そういえば、そろそろか」

 クールダウンしたことで時間だと思い出す。

 音声入力でテレビをつければ、モニターの向こうに青川が映っていた。

「青川さん、ついにやったんだな」

 病院備え付けのテレビには、青川が映っている。

 新種の蚕蛾発見の見出しがあり、記者会見を行う青川の側に柊の姿もある。

 双方の左手の薬指には、同じ指輪が会場の照明に照らされ輝いていた。

「行けるか?」

 自宅に届いた結婚式の招待状を思い浮かべる。

 一応、退院できたなら、と連絡は入れてある。

 せっかくの祝いの席、困難を共にした以上、参加しないのは野暮だ。

「結局、なんだったんだか」

「なにがだい?」

 ひとごちた時、汐香のほうから聞こえた声に、そのまま紘真は言う。

 可憐な声ではない。老若男女入り混じった不可思議な声だが、流れで言っていた。

「いや、あの虫人間が、てふしろ様だったのか、それとも品種改良の末に生まれた存在だったのかってこと」

「そりゃ後者よ」

「なんで、分かる、えっ!」

 疑問と共に顔を向けた瞬間、紘真は汐香の背中から生える絹のように白い羽に言葉を失った。

 汐香は背中に羽があろうと立ったまま瞼を閉じて、カカシのように動かない。

「なっ!」

 紘真は息を呑む。恐怖と衝撃が喉を急速に乾かせる。

 あの虫人間は、人間の皮を着ぐるみのように着込み擬態していた。

 いつからだ。いつから、本物の汐香と入れ替わっていた!

「おちつけ、人間」

 汐香の背中の羽が動く。汐香の全身が弾けたと思えば、白い鱗粉をまとわせながら、一匹の蚕蛾がヒラヒラと紘真の腹部に降り立った。

 重さは感じない。声が、出ない。出せない。

 霧のような雪のような真っ白な蚕蛾だった。

 稲穂のような一対の触覚、黒曜石のように黒々とした複眼、 小さかろうと腹から伸びる脚。

 紘真の目に映るのは確かに蚕蛾だ。

 ただし、ゴールデンレトリーバーと同サイズの蚕蛾だった。

「逃げ出したウジバエいただろう。あれが元凶さ。眠っているの子を喰らって知恵と変化を身につけてブクブクでかくなったってのが大きいだろうな。クソでけえのが、巣の奥でくたばってただろう。それそれ」

 何より言葉を失うのは、人間の言葉を発している点だ。

 頭に響かず、鼓膜揺るがす確かな声。

 だが、驚きはあろうと恐怖はなかった。

 どこかで会ったような気がしたからだ。

「でかくなりすぎて自力で動けず、吾のように飛べもしねえ。繁殖するために頑張りすぎてポックリとは。所詮、寄生しなければ生きられない哀れな種の末路さ」

 肩いや羽根の付け根を震わせて蚕蛾は嗤う。

 蚕蛾は頭部より生える触覚を動かしては、その先端を紘真の左腕に触れさせていた。

「もう効果は切れてるけど、暴発したらお前の身体が引きちぎれそうだから、念のため回収させてもらうぞ」

 羽箒でなぞられたようなくすぐったさが左腕に走った時、傷跡が嘘のように消えていく。

「人間、運が良かったな。吾が分け与えた力は、人間には過分な力だ。明け方だったのがまた運がいい。廃坑から飛び出した時間が、お天道さまの高い昼間だったら、日の光で身体が爆発四散していたぞ。吾の力は月の光と相性はいいが、日の光は強すぎる」

 紘真が火事場のバカ力を発動で来た原因。

 いつどこで接触したのか、巨大な蚕蛾なら記憶にあるはずが、まったく心当たりがない。

 けれども、どこかで会った既視感はあった。

「ちぃと眠っている間に、吾の縄張りで好き放題暴れるから迷惑してたんだ。まあ五〇年は寝過ぎたと吾ながら思うが。念を入れてお前さんに仕込んでいて正解だったよ。混ざりものの番がつけた傷のお陰で流し込みやすかったしな」

 人ですらない虫が人を語る。

 姿は虫だろうと、どこか人間臭い。

「お前さんたち人間が、混ざりものの巣で暴れてくれたお陰で掃除ができた。始祖の吾としては、あんな混ざり合ったものは見るに耐え切れん」

 ふと紘真は記憶を走らせる。

 女王たる巨体の遺骸があった手前には、キメラの遺骸が多数あった。

 実際にキメラの遺骸と交戦した紘真だが、手前の巣の惨状は目撃はしていない。

 だが、損傷分が比較的新しいと、青川が見舞いに訪れた際、語っていたのを思い出す。

 つまりは――

「ついでに傷跡も消しといたぜ。ささやかな礼だ。まあ身体は、あれ。目的を達成した安い代償ってことで」

 唐突な眠気が押し寄せてくる。瞼が重さを増していく。

 汐香は、どこにと詰問しようと眠気が発声を妨げる。

「ん? お前さんの番は安心していいぞ。吾は混ざりものと違って人間の皮なんて必要ないからな」

 紘真の胸から飛び上がった蚕蛾は、口から大量の糸を吐き出し、自身に吹きかける。

 糸は積み重なり、人の形を形成していく。

「こんな感じにな」

 スーツ姿の陽川の姿となる。

 背丈どころか、その声は陽川と全く同じ。スーツですら、吐き出した糸で出来ているのかと疑うほどスーツだった。

「あと、これは返しておくぜ。吾の尻に見事に当てやがって、痛かったんだぞ」

 陽川姿の蚕蛾が人間の指で何かを弾き飛ばす。

 小さなそれは額に当たり、軽い痛みだろうと紘真は呻く。

 ベッドの上に転がるのは小さな金属球――スリングショットで使った八㎜の金属球だった。

「機会があれば山に来るといい。その時は、吾の羽の一つぐらいみせてやるよ。またな、勇敢なる人間。番は大切にしろよ」

 意識が深く、深く沈んでいく。

 ドアが開く音がする。深き安堵へ誘う子供の声がする。

「あら警部補の陽川さんじゃないですか」

 汐香の声だった。ああ、無事だった安心感が眠気を一層強く押し寄せさせる。

「こんにちは、千野さん。彼、私とお話したから、ちょっと疲れて眠っています。起こさないでください」

「あら、それなら未来の旦那の寝顔が独占できますわね」

 平常運転の汐香の弾む声に、紘真の意識はついに沈む。


 次に紘真が目を覚ました時、胸部を枕代わりにして眠る汐香の顔があった。

「痛い」

 胸に嬉しさよりも痛みが走る。

 胸骨にヒビが走っているのだから当然だ。

 紘真はどうにか痛み走る腕を伸ばし、呼び出しボタンを押そうとする。

「あれ?」

 ふと入院着の袖から除く左手首に押すのを止める。

 左手首に違和感が走る。その正体を確かめんと、どうにか疼痛走る右手を動かし左袖をまくりあげる。

「傷痕が、ない」

 ほんの先ほどまで確かにあった傷痕が忽然と消えている。

 訳か分からないが脳内を密集する。

「これは、夢か?」

 警察の陽川が訪れ、軽く話をした――記憶はある。

 あるも、誰か、いや何かと話した夢を見た、気がした。

 だが、新たに誰かが訪れた形跡はない。

 病院に確認しても同じのはずだ。

「夢だな、これは……」

 紘真はベッドに深く身を沈め、寝直さんと瞼を閉じる。


 幸せそうに眠る寝顔を前にして――。

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キョウソウキョウソ こうけん @koken

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