第14話 運搬ーコウソクー

 現れた女性は全身が土で汚れ、衣服はズタボロ。

 上の服はあろうと下のズボンは股先から破れている。

 その顔にどこか覚えがあった。

 女性はわき目もふらず、血走った目で紘真を捉えて離さない。

 声をかけようとした紘真だが、耳をつんざく絶叫に遮られる。

「オマエオマエオマエエエエエエエエエエエエエエ!」

「な、なんですか、ちょ! 痛い痛い!」

 女性は紘真にとびかかっては左腕を掴んできた。

 まるで万力にでも挟まれたような激痛が紘真の左腕に走る。

 見るからに女の細腕から出る握力とは思えないほどの力。

 女性は血走った目で紘真を捉えて離さず、絶叫している。

「オマエガオマエガオマエガアアアアア!」

「嘉賀くん!」

 男性陣の行動は素早かった。背負っていたリュックを放り投げるように降ろせば、紘真に駆け寄った。後は紘真の左腕を掴んで離さない女性を引き剥がしにかかるが、がっしり掴んで離さない。

「なんて力だ!」

「くっ、離れろ!」

「遠山くんは右腕を、向井くんは左腕を押さえて! 蓮華さん、ロープ出して! これは尋常じゃない! 悪いけど、抑え込むよ!」

 青川が冷静な判断を飛ばす。

 そのまま指示を飛ばしながら引き剥がしにかかる。

 恋人の柊が、ロープを投げ渡せば青川が宙で掴む。

 後は暴れもがく女性を男三人の手で抑え込んだ。

「がはっ!」

 女性の肘が向井の腹に当たり、弾かれるように倒れ込む。

 昨晩の雨でぬかるんだ山道に転がり、腹を押さえながら苦悶していた。

「げほげほげほっ! ぐはっ、な、なんて力だよ」

 誰よりも身体つきのよい向井が激しくむせては呻いている。

 尋常ではないと女性陣もまた押さえ込みに参加すれば、数に物を言わせて、どうにか暴れる女性を縛り上げた。

「があああああああっ!」

 拘束された女性は野獣のように唸り、吠えてはもがきあがく。

 ぬかるみで泥だらけになろうとお構いなしだ。

「はぁはぁはぁ」

 紘真は激しく肩で息をしていた。

 鈍痛走る左腕を震える右手で掴みながら、地べたに座り込む。

 腕は、動くと、痛みが残る五指を動かした。

 ただ左袖は掴まれ、爪を立てられたからか、縦に走る形で生地が引き裂かれ、裏地を曝け出していた。

「うおっ!」

 縛られた女性を突き動かすのは何か。うつ伏せで縛られてもなお芋虫のようにぬかるんだ山道を這えば、まだ動く口で紘真に噛みつかんとしている。

 ガキンと、ほんの三秒前まで左腕があった宙に硬い音が響く。

「暴れるなっての!」

「なんて力だ!」

 遠山と向井の男が、二人がかりで女性を背中から抑え込み、再度の飛びつきを止める。

 男二人に抑え込まれようとも、女性は首を伸ばして紘真に歯を立てんと何度も歯を鳴らしている。

 紘真以外眼中にないといわんばかり。

 青川は周囲が見えていないのを利用して、女性の口元にタオルを挟ませては噛みつきを抑え込んだ。

 女性は呼吸以外を封じられようと、まだもがき、あがく。

「嘉賀くん、君の知り合い?」

 柊を筆頭とした野田や鮎川、女性陣の視線が痛い。

 他に人がいようと目もくれず紘真だけを執拗に狙い、襲ってきた。

 当然のこと、身に覚えがないため、紘真は首を左右に全力で振って否定する。

「しょ、初対面ですよ。ただ、どこかで、見、た」

 既視感たる記憶はある。あるも女性の顔は、ぬかるみで暴れ回ったため泥だらけだ。ひっかかる言い方に語尾が尻すぼみになる。

「あああああああっ!」

 唐突な巻き返しが脳内で起こり、紘真は思い出すように叫ぶ。

「なに、やっぱり知り合いだったんじゃないの」

 嘆息を柊は一つ。紘真は自身の潔白と女性が誰かを早口にまくし立てる。

「顔は知ってます! けど、画面越しに見たことがあるだけです! ほら、覚えていますか! 半年前、この山で行方不明となった配信の男女三人組! その一人ですよ!」

 紘真の発言に誰もが記憶を刺激され、顔を見合わせた。

 この山に足を運ぶからこそ、山に関する情報は仕入れておくのが最善。

 クマは出ているか、悪天候にて山道は封鎖されているか否か、と。

 調べるからこそ、自ずと遭難者、行方不明者に至るのは必然である。

 仮に、遭難者や行方不明者が出ようと、登山者当人たちからすれば、自分たちも気をつける自戒を抱くだけだ。

 もちろん、登山及び下山途中で遭難者と出くわすのは、珍しい話ではない。

 珍しい話ではないが、いきなり襲いかかる遭難者は類を見なかった。

「ホラー系のあれか!」

 遠山が周囲を代弁するように叫ぶ。

 もちろん紘真とて、三人のうちの一人だとの確証はない。

 そっくりさんかもしれない。泥で汚れていようと、顔形は動画で見た顔と一致する。

 ただ、親でも殺されたような恨み辛みが凝縮された目だけは動画と不一致だ。

「と、とりあえず麓の派出所まで運ぼう」

 大人として青川は落ち着いた判断を下す。

 遭難者を発見したからこそ、人道的に救助すべきだ。

 警察及び救急の手配。

 誰もが青川の意見に反対はしない。

 反対はしないが、目下の問題は、如何にして縛られてもなお暴れる女性を麓まで運ぶかであった。

 仕留めたイノシシを運ぶのとはわけが違うのだから――

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