第40話 遺骸ーキメラー
「くっそ、私は!」
松明を手に先を進む陽川は悔しさを口走る。
警官の身でありながら、一般人、それもただの子供に任せてしまった。
大人として、不甲斐ない以外なにがある。
「気持ちは分かるけど、グチる暇あるなら、自分が今はなにをすべきか、考えなさい!」
柊は、そんな陽川の尻を背後から叩きつける。
駆け足に混じって空間に、乾いた音が響いた。
一方で、最後尾を走る青川は、顔を前方に向ける一方、苦い顔つきだった。
複雑な数式を暗算しているような顔だ。
「どうしたの、力弥くん?」
恋人として、相手の機微に気づいた柊が振り返りながら聞いてきた。
「あ、ちょっと気になることがね」
歯の間に食べカスが挟まったような小さな疑問。
今、放置していても害はないが、放置し続ければ虫歯の起点となりかねない疑問。
「気になることとは?」
目線を向けぬまま陽川は聞き返す。
少年一人に虫人間の相手を任せてから一本道を進んでいる。
巣の中のはずだが、幼虫一匹出くわさないのは幸運だ。
「いや、まさか」
幸運は不幸の準備。平久から教えられた言葉が陽川の脳裏によぎる。
「生まれた幼虫や卵ってどこに行ったんだろう。虫は繁殖力が高いんだ。それも蚕蛾の産卵は平均して二三〇。人間を利用していたとしても、あの巣だけじゃ手狭になる。きっとどこかに卵や幼虫を管理、保管する区画があるはずなんだ。それに」
青川は学者の見地を口に出す。
巣は坑道を再利用していようと規模は不明。
虫人間が人間サイズであろうと、一匹で卵から幼虫の世話は無理がありすぎる。
蚕蛾の姿に近かろうと、あくまで姿形。人間の世話なしでは生きられない家畜生物の概念は役に立たない。
蟻や蜂ですら、女王を筆頭としたコミュニティーを形成しており、働き蟻が女王に代わって幼虫や卵の世話をしていた。
逆を言えば、巣ひいては群の維持には女王の存在が必要不可欠。女王を失った巣は残った群だけでは維持できず、緩やかに滅んでいく。
最初に気づき、口に出したのは柊だった。
「それってつまり、他に働き蟻がいて、別に女王がいるってこと?」
「虫の、この巣の生態としていないとおかしいんだ。もちろん、常識はずれの面もあるから断言はできない。巣からすれば僕たちは入り込んだ侵入者。それなら排除するための個体が派遣されていてもおかしくない。それが一切ない」
「えっと、それはつまり」
先を走る陽川は息を切らせながら言いよどむ。
まっすぐな遮蔽物一つない一本道。トラック一台、悠々と天井に接触せずに走行できる。壁面や天井を補強する枠組みが元は坑道だったのを示唆していようと、昔の話。虫人間の手で拡張工事が行われている可能性があった。
「おびき寄せられているか、それとも元からないのか、現状分からないとしか言いようがない」
当たるも八卦、外れるも八卦だった。
昆虫学者であろうと、曖昧なことしかいえないのは、虫人間の生態が非常識の規格外だからだ。
生態調査とは時間をかけてじっくり観察するもの。
昼行性か夜行性か、草食か肉食か、卵生か寄生か、不完全変態か完全変態かなど種によって違いがある。
だが、現状、のんきに観察する暇などない。
既に巣の中、敵の中、侵入者として排除されるか、餌として喰われるかの道しかない。
「これだと殺人犯を追っていたほうがマシだった」
グチが出るのは、まだ精神的余裕がある証拠。平久の言葉を思い出しながら、トンネルの終わり、新たな部屋の入り口までさしかかる。
中の様子をうかがおうと暗闇に包まれて奥が見えない。
ただ気流に乗って生々しい匂いが鼻を刺激し、顔を不快に染める。
「まるで、生ゴミの匂いみたい」
「入ります」
口元をハンカチで覆いながら、陽川は先に入る。
一歩中に踏み行った時、松明に照らされる光景に絶句する。
「ここは、保管庫か?」
照らされる光景を見た青川が分析する。
空間は、先の空間と違って、半分もない広さだが、土の壁には蜂の巣のような無数の穴が掘られている。穴一つが大人一人優に寝そべられる広さ。加えて地面にも四角い穴が碁盤の目状に掘られていた。
「まさかサナギか?」
陽川は用心しながら穴の一つを松明で照らしながら、のぞき込む。
クマだった。白骨化したクマの頭部だった。
サイズからして恐らくだがツキノワグマのはずだ。
「こっちはイノシシ、隣は、歯からしてサルだ」
「保管庫って餌のことなの? それにしても丁寧すぎるわよ」
おかしすぎると誰もが疑問を走らせる。
「まさか!」
青川は穴から延びるサルの骨の手を掴んでは、中から引きずり出した。
砂埃をあげて引きずり出されたサルの全体骨格は、首から下が蚕蛾であった。
昆虫の特徴である足に節があり、小さくとも膨らんだ腹部があり背中には虫の片羽がある。いわばサルと蚕蛾を合わせた異常な生物だった。
「それに腕とか足が欠落している。切り傷どころか噛み痕だってある……比較的新しい痕ばかりだ」
「力弥くん、こっちも同じみたい」
イノシシの頭部骨を穴から引きずり出した柊は呼ぶ。
サルと同様、このイノシシもまた首から下が蚕蛾だ。
ただこのイノシシは、腹部から人間の腕の骨が生えていた。
「うっぷ、これはまた」
別の穴で別の個体を発見した陽川は、吐き気を抑え込もうとした。
数々の現場で死体を見てきたが、あくまで人間である。
確かに手足どころか内蔵がさらけ出されているのを見た。
穴の中にいる生き物たちは違う。
人の頭蓋骨に人の手足、喉仏があることから性別は男性、だろう。だが背中からは虫の羽があり、胸部からは虫の手が生えている。吐き気をこらえながら、陥没痕ある頭蓋骨を観察すれば、口周りに人間らしい歯はなく、イナゴのような口部が確認できた。
その隣にある穴からは、人間の頭部と同サイズの蜘蛛が陽川を睨むかのように眼を向けている。松明の明かりによる反射だと言い聞かせた。
「まるでキメラね」
誰に言うまでもなく柊は呟いた。
キメラとはギリシャ神話に登場する複数の生物の特徴を持つ空想の生き物だ。
掘られた穴に納められた遺骸。
どれもが複数の種が合わさっているならば、キメラと呼ぶのが正解だろう。
生臭さが、生き物特有の匂いであり、空想の産物でないと通告してくるようだ。
ほぼ全身が残っているのは、キメラ故の特性なのか、断言できない。
「遺骸が残っているのは、骨つまりは体組織に含まれるカルシウムの影響か? それなら土に還らないのに説明がつくけど、あ、ごめんごめん」
分析に入る恋人に無言の柊が肘でつつく。
敵巣の中、今のところ襲撃がないとはいえ油断できない。
「まだ奥があるようで」
落ち着きつつある陽川は、深呼吸をしながら奥を見据えた。
穴の正体やキメラたちの死因解明は、時間が惜しい。
今も少年一人が虫人間を抑え込んでいる。
無事なのを祈るしかないが、この現実を見て、誰もが一つの不安が襲う。
生きている虫人間は、一匹だけなのか、と。
それでもさらわれた子を救い出すためにここまで来た。
そうでなければ、今まで犠牲になった者たちが浮かばれない。
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