第41話 後継ーモクテキー

 一〇〇メートルほどまっすぐ進んだ時、開けた空間に出る。

「あれは!」

 陽川は声の反響からして、先の部屋より二周り狭いと見抜く。

 警戒を怠らず、松明を頼りに空間を照らした時、空間の中央、それも盛り土には一つの繭玉が鎮座している。

 大人がようやく一抱えできるサイズの繭玉。

 ただ土を盛り上げて作られただろうと、あたかも、玉座のように感じてしまうのは生物としての本能か。

「他はいないようね」

 柊は周囲に目を走らせながら松明を照らす。天井を見上げれば半ドーム状になっている。ただ先の穴蔵で感じた匂いが一層強い。特に、盛り土の反対側から、人間、いや女性としての本能が不快感と嫌悪感を与えてくる。

「あ、柊さん、迂闊に動かないで、うっ!」

 一人、盛り土の裏側に回った柊を止めようと陽川は追いかけるが、松明の明かりで露わとなった巨体の存在に言葉を失った。

 蚕蛾と人間をあわせたような異形が壁に背中を預けている。

 そのサイズは、あの虫人間と比較にならず、目測だろうと三メートルは超えている。

「ば、化け物!」

 陽川が拳銃を咄嗟に向けるが、異形からの反応はない。

 侵入者を排除せんと動き出すはずだが、人形のようにピクリとも動かないでいる。

「こ、こいつは、死んでいるのか?」

 警戒を抱きながらも近づいた青川が異形の観察に入っていた。

 背中から見え隠れする羽は、先端から朽ちつつあり、稲穂のような触覚と手足は、干からびている。

 青川が特に注意深く観察しているのは腹部だ。あの虫人間以上に太い腹部を入念に調べていた。

「ねえ、力弥くん、もしかして……」

「うん、間違いない。この個体はメス、つまりは女王だ」

 生命活動はとうに停止、つまりは個体として死んでいる。

「どうしてメスだと分かったんですか?」

「簡単ですよ。蚕蛾のメスはオスと比較してサイズが一回り大きく、なおかつその腹部もまた大きいんです。いつ頃死んだのか、死因は分かりませんが、外傷のなさから恐らく寿命かと」

 陽川に答えながら、青川は脳内で推察に入る。

(ならあの虫人間をオスと仮定すればこの巨体と番になる。腹の先端に割合の痕がないのは通常と違うからだ。生物学的にオスは子どころか卵すら産めない。卵はいったいどこから、いや蚕蛾の卵は保管できる。これらの異常個体が、通常種以上の生命力を持っているなら、一、二ヶ月どころかそれ以上の期間、卵を保管、保管、そうか!)

「そういうことか!」

 合点の行く青川の叫びが空間にこだました。

「ちょ、ちょっと力弥くん、いきなり叫ばないでよ。新しい発見がある度、嬉しさのあまり叫ぶ癖は分かるけど、状況を考えて!」

 恋人からたしなめられた青川は、ごめんごめんと平謝りする。

「何か分かったんですか?」

「虫人間の目的だよ」

「生物的に種の繁殖でしょう?」

「その通りだよ。けど、正確に言えば、新たな女王を誕生させることなんだ」

「女王、ならあの繭には」

「いや、正確にいえば女王を生むための母胎と言っていい」

「それってつまり」

 繭玉の中になにが、いや誰がいるのか、答えに至れぬ大人ではない。

 すぐさま柊は土の玉座に向かっては、繭玉を破ろうとする。

 ただ、触れる寸前、その手を止めた。困惑した顔を青川に向ける。

「破っても、大丈夫、よね?」

「繭玉はあくまでもサナギを保護する膜、話を聞く限り、連れ去られたのなら、ただくるまれているだけのはずだよ」

「ですが、これ硬いですよ!」

 警察として先に動いた陽川が繭玉を破ろうとするも柔軟ある触感を裏切り、鉄塊のように傷一つ入らない。

「燃やすのはナンセンスだ」

 糸の弱点は火だが、高い燃焼性故、中身まで燃え尽きる可能性が高い。

「ん~重い、子供一人の重さだ」

 ふと繭玉を両手で抱えた青川は上下左右に揺さぶっている。

 時に上下を反転させるなど、奇怪な行動に陽川は絶句した。

「ちょっと青川さん、中に子供がいるかもしれないのに、そんな扱い!」

「待って!」

 青川を止めようとした陽川を止めたのが柊だ。

「力弥くんは位置を確認しているのよ。中身の位置を。繭が中身を保護するなら、多少動かしても問題ないはずよ」

「お、これがここで、こっちが頭なら、ふむそれなら」

 ふと青川がポケットから取り出したのはボールペンだった。

 メモ書き用に常備している筆記道具。

 なにを思ったか、ボールペンの先端を松明に近づけては、輻射熱で熱していく。

 安全第一に止めようとした陽川を柊は鋭い眼光で縫いつける。

 いいから黙って見ていなさい、と柊の目は強く語っていた。

「この位置なら、よしっ!」

 青川が熱せられたボールペンの先端を繭玉のてっぺんに刺し入れれば、若干の抵抗を経て、黒い焦げ穴を刻む。焼け焦げた匂いが周囲に漂いだした。ボールペンは先端が金属である。繭玉が高い燃焼性を持つならば、燃焼ではなく熱にて少しずつ焼き切ることで中身を解放できると踏む。結果は予測通りであり、プラスチックの焼ける匂いが充満した頃には、繭玉の上半分を焼き切ることに成功した。

「彼女だ!」

 陽川は思わず声を上げてしまう。

 繭玉の中には、汐香が静かな寝顔で包まれていた。

 外傷らしい外傷はなく、連れ去られた晩と同じ服装のまま、脈と呼吸を確認した。

「なら、急いでここから脱出しましょう!」

 未だ目覚めぬ子供は柊に託し、陽川は意を決する。

 誘拐された子供は発見した。ならば次なる目的は、この坑道からの脱出。警察一人ではこの事態は重すぎる。報告内容に笑われるだろうと、サンプル一つ、あの巨体の一部でも持ち帰れば、重い腰を否応でも上げるはずだ。

「そうね、嘉賀くんのことも心配だし、無事だといいんだけど」

 ぱらりと、天井から砂粒が落ちてきたのは、柊が紘真の身を案じた時だった。

 間を置くことなく、滝壺のように土砂が天井から落ちてきた。

 崩落だと、男性二人は咄嗟に盾となって、飛び散る土砂から子供と女性を守る。

「土砂崩れなの!」

「いや、違う!」

 砂埃が舞う中、青川は、うごめく二つの影に瞠目した。

 突き破るように現れたのは、虫人間。

 青川が抱き抱える汐香を複眼に映すなり、耳をつんざく雄叫びを上げる。

「うっ、なによこれ、耳が!」

「恐らく、高周波だ! この耳鳴りと身体の重さ、間違いない!」

 うめきながらも青川の目が原因と部位を看破する。

「羽周りの砂埃だけ異様に波打っている。恐らくだけど、羽の振動で出しているんだ。コウモリやスズムシでも食べたからか?」

 原因を看破しようと対策になりはしない。

 虫人間は、複眼を異様なまでに赤くたぎらせては汐香抱き抱える柊を睨みつける。

 奪われたと、奪い返すと、背中の羽を広げて飛びかかる。

「くっ、こいつが無事なら、嘉賀くんは!」

 陽川は大人のふがいなさを奥歯と共に噛みしめる。拳銃を発砲せんと構えた時だ。虫人間との距離はおよそ一〇メートル。ギリギリ当てられる距離。トリガーに指をかけ、引き絞らんとした時、虫人間は両手を突き出し地面を蹴り上げ飛びかかってきた。勢いつけて刃物のような腕で切り刻むつもりだ。だが、静止画像のように宙で留まり、距離が縮まらぬ姿に違和感が走る。砂埃の中、目を凝らして見れば、虫人間の後ろ右脚が、砂埃から延びる手に掴まれ、進行を妨害されていたのが違和感の原因だった。

 松明の明かりが、左手首から延びる傷跡を照らし出す。

 腕の傷跡に白く淡い光が走る。虫人間はそのまま釣り上げられたカツオのように引きずられ、力強く壁面に叩きつけられた。

 影が動く。影を置き去りにしたような動きで、壁際の虫人間にまで間合いを詰めれば、殴打の音が立て続けに響いていた。

「えっ?」

 一瞬だけ、大人たちは状況を把握できなかった。

 砂埃はまだ立ちこめている。虫人間がいる。それはいい。問題は誰かが虫人間と戦っていること。生身で戦うなど規格外な非常識相手では自殺行為。だが、現実に響く非常識な音。

 砂埃が晴れる。左腕に傷跡持つ人物が松明の明かりで露わとなる。

 誰もが知る人物に、誰もが言葉を失うしかない。

 何より瞠目させるのは、左腕から左頬にかけて白い燐光が稲妻状に走っていることだ。

「どこ、行こうってんだ、虫野郎!」

 嘉賀紘真が、不可解な燐光を宿し、虫人間を追いつめていた。

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