第42話 覚醒ーナゾー
事態はほんの一時間前までさかのぼる。
「し、しまった!」
地面より竹の子の如く飛び出した針は囮。
本命は、岩盤ごと紘真を両断せんとする鋭利な両腕だった。
先の針を回避したことで背中は岩盤に接触している。左右に動こうにも、その左右からは虫人間の鋭利な腕が挟み込む形で急迫している。
このままでは胴体を両断される。
もちろん、素直に両断される紘真ではない。
「んなところで!」
無理に身体をひねっては反転させ、地面を蹴り、岩盤から遠ざからんとする。
虫人間の腕は長く、無傷での回避はできない。
よって損傷を最小限に抑えようとするのは、もはや本能だ。
紘真の左手首と虫人間の両腕の先端が接触する。
――その瞬間、不可解なことが起こった……
本来なら切断されているべき左手首が欠落せず、鋭利な腕に挟み込まれている。
「えっ、ぐっ!」
紘真とて状況を把握できなかった。接触していようと、切断どころか接触による圧迫もない。ただ左頬に焼き鏝を当てられたような熱が急激に生まれ、その熱は左腕の傷跡をなぞり白き燐光を発していた。
「なんだよ、これ……ぐっ!」
言葉を、失う。だが呆けている時でもない。両腕を引っ込めた虫人間は厚き岩盤を両腕で切り飛ばせば、そのまま紘真に砲弾の如く突撃してきた。
「こいつ! えっ?」
咄嗟に右腕で虫人間の顔面を殴りつけた。
その拳に硬い衝撃が伝わった時、虫人間は、木の葉のように弾き出され、巣の中の遺体を潰しながら激しく横転する。
擬態していた時でさえ、一撃受ければ致命的、のはずが、鋭き刃物の腕を防ぐだけでなく、逆に殴り飛ばしている。
感触とてそうだ。硬い鉄のような金属質だったはずが、殴った際には人間と代わらない感触があった。
「眠れし力が窮地で目覚めたとか、厨二病は止めてくれよ」
左腕の状態に驚いているが、謎解きの間は与えてくれない。
傷跡だけ燐光があるのも解せないが、確かなのは一つだけ。
「一〇年前の因縁、ここで終わらせる!」
もう誰からも奪わせない。誰一人とて喰わせない。
虫人間が吼える。腹に副腕を突き入れれば、取り出したのは蛹。掴んだ蛹を口内に放り込み、激しく咀嚼、力を回復させている。
「こいよ、害虫! そのままひっつかまえて標本にしてやる! 身体張って遺族に慰謝料払えや!」
――そして今に至り……。
陽川は、ただただ現実離れした光景に愕然とするしかない。
未成年が虫人間と真っ正面から殴り合っている。
未成年でもいけるなら、大人もいけると思うのは浅はか。
実際、虫人間が振るう腕は鋭利な刃物そのもの。接触しただけで簡単に切れる危険なもの。実際、土壁から露出する硬い岩盤がバターのように切れている。
「陽川さんたちは、汐香と一緒に急いで脱出してください!」
紘真は虫人間が突出させた腹の針を右横から蹴り飛ばし、先端を損壊させる。
「だが、どこから出ればいいのか!」
「一度しか言わないで聞いてください!」
紘真は話しかける意志を割こうと、頭上から振り下ろされた虫人間の二つ腕を、見逃すことなく左右の手で直に掴む。その間隙を狙うように虫人間が腹部の副腕を伸ばしてきた。先端にある槍のような爪が紘真のわき腹を狙う。先端がわき腹に突き刺さる瞬間、紘真は両膝を跳ね上げては、肘と膝で迫る副腕を挟み込んできた。一瞬だろうと、阻害された虫人間は逆に空隙を生んでしまう。地面に落ちる反動を利用した紘真は、深く身を沈ませ、鎌のように右足を大きく薙いでは、虫人間に足払いをかけて横転させる。
「巣、遺体あったとろこです! そこを出たらすぐ左、それからまた左、そのまま右に進んで、まっすぐ、そのまままっすぐで外に出られます!」 顔面から横転した虫人間の上にのしかかった紘真は左腕を逆間接で締め上げる。
虫に痛覚はないと聞いたが、間接を締め上げる度、悲鳴のような鳴き声を虫人間は出している。
「なんで分かるの!」
当然の疑問が柊から飛んだ。
「こっちが知りたいですよ、けど、なんか見えたんです! 信じてください!」
紘真は、そのまま関節をひねりにひねり、虫人間から左腕を引きちぎる。
ぶちぶちと音を立て、断面から覗く筋肉繊維がゴムのように千切れ、体液が零れ落ちる。
虫人間が背中の羽を大きく広げるなり、紘真の身体を弾き飛ばした。
羽だろうと、その一撃はハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。
ただの人間なら、掠めただけでもミンチになっていたはずだ。
「……行きましょう!」
先に動いた大人は疑問飛ばした柊だった。理由は分からない。分からないが女の勘が、問題ないと囁いてくる。
それにこの場に居続ければ、紘真の邪魔になり、下手をすれば虫人間が、人質として便利に使ってくる可能性もある。
「え、えっと左、左、右、まっすぐ、まっすぐだね!」
「汐香のこと、お願い、します!」
紘真は虫人間から引きちぎった左腕を使って、隻腕となった虫人間とつばぜり合いを広げていた。
人間を越えた身体能力、原因は恐らくだが、傷跡から生じる白い燐光だろう。だがメカニズムが分からない。いやと誰もが疑問を振り切った。
また託された。また任された。ふがいないと痛感するのは後にしろ。
今は託されたことをなすと、大人たちは出口に向けて走り出していた。
青川は、紘真が視界に困らぬよう松明の地面に突き刺していた。
「どこ、見てんだよ!」
大人たちを追いかけんと、虫人間は背面の羽を羽ばたかせる。
敵であろう紘真から視界を外すなど、よっぽど汐香を奪還されるのは都合が悪いようだ。紘真は、虫人間の左腕を振るえば、右羽を切り落とす。
悲鳴なき悲鳴を虫人間はあげる。
残された左羽が振動する。砂埃とは違う何かが空間に充満していく。
「もうその手には乗らないっての!」
紘真は虫人間の左腕を投げ捨て、青川が残してくれた松明をつかみ取る。
激しく振るえば、周辺に火の粉を舞散らす。
空間にて無数の火花が散る。舞い散る火の粉が虫人間から発する鱗粉と接触している証明だった。
「山小屋といい、廃坑に入った時といい、三度も幻覚見せようなんて無駄だっての!」
ああ、今ならわかる。
何故、山小屋で誰一人、騒動があろうと起きてこなかったのか。
何故、坑道奥まで気づかず進んでいたのか。
虫人間から放たれる鱗粉で幻覚を見せられていた。
寝ていると思い込まされた。
慎重に進んでいると思い込まされた。
青川が照明のために松明を残してくれたとしても、それが今、幻覚対策となった。
「青川さん、感謝しますよ」
身体は謎強化が施されようと思考はそのままだ。
恐らく幻覚物質に弱い可能性がある。ない可能性もある。
だからこそ不確定要素、つまりは負け要素は可能な限り排除する。
「おっらっ!」
幻覚を防がれたからか、虫人間はたじろぐように立ち尽くしている。
紘真は、この隙を逃さず、燃えさかる松明を槍のように、虫に源の胸部に突き入れた。
虫人間は体表を焦がそうと、もがきあがかず、一対の脚で力強く踏ん張って来た。押し崩そうとも壁のように進まない。
「くっ! 火力が足りないか!」
体毛らしき部位を焦がすだけで、松明の炎は虫人間の全身に広がらない。
糸のように激しく燃焼すると思ったが、松明の火では足りないようだ。
そのまま虫人間は口を大きく開けば、糸を噴出する。
紘真は咄嗟に首を左に傾けて回避する。絡みとり動きを封じる手かと距離をとった。だが噴射は止まらず、隣に開く穴に向けられている。
口元から無数の糸が伸びていると松明の明かりで気づいたのは、その穴から無数のうごめく影が出てきた時だ。
紘真は知らない。隣の部屋にはキメラの遺骸が無数にあることを。
「おいおい、冗談だろう……」
松明に照らされるキメラの遺骸たちは、動作不良を起こした機械のように、ぎこちない動きをしている。
死体の操り人形。
それが紘真の脳裏に走った遺骸たちの状態であった。
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