第39話 黴菌ーブラフー
「情報が少ないから、これは僕なりの推論だけど、その虫人間、他種でも交配できるんだろう。なら、こう考えればつじつまが合う」
あくまで、と青川は付け加える。
「その虫人間が<てふしろ様>と仮定しよう。霧の出た月の晩しか姿を見せない。人に化けた。村同士の諍いを鎮めた。人を狂わせる一方、病を治した。異種でも繁殖できる。これらの要素から考えられるのは一つ、なんらかのウィルスを媒介としているかもしれない」
青川は、敢えて日記にもあった水平伝播や垂直伝播は省いた。
「ですが、私たちは至って健康ですよ?」
「うん、あくまで僕の仮説だし、特異な状況下で作用するタイプだと思う。細菌は単細胞の生物で、細胞分裂により増殖するんだ。栄養さえ確保できれば自前で増殖できる。一方でウィルスは極微少な感染性の構造体、その中の細胞の構造や構造に依存して増殖する。なにより、細菌は生物だけど、ウィルスは生物と非生物の中間的な存在なんだ。であるなら、そのウィルスが他生物間による遺伝子移動の触媒になっていると仮定すれば、虫人間の多種との繁殖も可能になる」
「あ、そうか!」
大人二人が顔を曇らせる一方で、合点行ったように叫ぶのは紘真だ。
「レトロウィルスですね!」
「正解だよ」
意外な回答者に青川は驚いていた。
紘真が解答に至ったのは、単にゲーム知識だった。
バイオなハザードなど生物災害を扱ったサバイバルゲームでは、必ずや恐怖の源泉としてウィルスが登場する。
本来、あわぬ生物をあわせて狂気の生物を人為的に誕生させるなど暇がない。
「レトロウィルスは、逆転写酵素を持つウィルスの総称。ヒト免疫不全ウイルス、所謂
「え~っとつまり要約すると、未知のレトロウィルスが触媒となって、生物学的に不可能な人間を利用した繁殖を可能にしていると解釈していいですね?」
「要約するとそうなるね」
学者として未知の発見に興奮するが、現状、巣の中だからこそ恐怖が上書きしてくる。一通り説明を終えた青川は、土汚れたメガネのレンズを震える手のまま袖口で拭いていた。
「なら、汐香を連れ去ったのも」
「恐らくだけど……母胎、だろうね」
まだ一〇歳児を繁殖の器に使用するなど、怒りがわき上がる。
もっとも、それは人間側の倫理、虫に倫理などない。
「どうやって長い間、捕獲した人間の生命を維持してきたのか、謎が残っているけど、それは追々として、当面の問題は」
空間の奥から空気を介して殺意がビリビリと伝わってくる。
紛れもなく虫人間だろう。巣を燃やされ怒り心頭なのが分かる。
「来るっ!」
紘真は左腕に激しい痛みが走った瞬間、叫んでいた。
足下から振動が走り、眼下、いや左腕の下、その土が盛り上がる。白き鋭利な先端が飛び出してきた時、紘真は右横に飛んでいた。
ガチンと硬き音が空間に響く。まるでカマキリのような鋭利な刃物が地面から飛び出す形で交差している。
上半身だけでも姿をさらした虫人間に火傷は見あたらない。
恐らくだが、地中に潜ることで火の手から逃れたのだろう。
背中の羽は傘のように折り畳まれていたのは、地中移動をしやすくするためのはずだ。
「うおっ!」
またしても左腕に痛みが走り、左腕の真下、足下の土が盛り上がる。
跳び去った瞬間、先の刃物のような腕が飛び出し、硬き音を空間に響かせていた。
「こ、こいつ、俺を狙って!」
執拗なまでに紘真を狙っている。陽川が助けようと拳銃を構えるが、警察官としての規則が発砲を縛り、撃てずにいる。
「そうか、そういうことか!」
何度狙われ、何度回避するうちに紘真は虫人間の狙いが読めてきた。
この虫人間、地面に潜っては飛び出す攻撃を繰り返すが、狙うのが紘真の頭部や胸ではなく、左腕をイの一番に狙っている。
ブラフかと疑うが、研究者が残した日記が答えだった。
「お前が、お前が、あの時、汐香の両親を襲ったクマか!」
同じ個体で間違いない。
思考があるか分からないが、紘真を執拗に狙うのも、一〇年前の失敗を繰り返さぬためのはずだ。
一〇年前、紘真のせいで獲物を横からかっさられ、狩りに失敗した。
その原因となった紘真の排除に執拗なまでに動くのは当然の理由となる。
「左腕が、お前に反応するのも傷跡になんか入り込んでいるせいだろう!」
確証はないが、フェロモンの類が傷跡に染み付いているせいだ。
だから虫人間が残した糸の接触や、接近が痛覚として反応した。
虫人間が、紘真の左腕目がけて地中から攻撃を繰り返すのにも理由がつく。
音でもなく呼吸でもなく熱でもない。
紘真が虫人間を感じるように、虫人間もまた紘真を感じている。
虫ごときに感じられるのは悍ましさと気持ち悪さをこみ上げらせるも虫人間の執拗さが、紘真に一つの確信を抱かせる。
「先に行かせたくないってことは! いるんだろう、汐香が!」
窮地だろうと歓喜が紘真の口端を歪ませる。
汐香は生きている。巣が絶滅する事態に陥ったのならば、今後の繁殖のキーとなる母胎を安全な地に隔離しているはずだ。
なにより繁殖を優先するのではなく排除を第一に動いている行動が答えとなる。
「嘉賀くん!」
「ここはどうか抑えます! 先に行って汐香を助け出してください!」
「しかし!」
警察として聞けぬ言葉だが、虫人間は、紘真しか狙っていない。
子供を危険に晒すのは大人にとって屈辱。
だが、現状、虫人間の狙いは紘真。
繁殖に使える大人がいようと、虫人間は路傍の石のように見向きもしない。
苦渋の決断として奥に進む三人の背中を紘真は見送った。
「どこだ!」
左腕の痺れが虫人間の出現を感知してくれる。
だが、唐突に痺れは途切れ、虫人間は足下から現れなくなった。
松明を左手に握りしめ、周囲を睥睨する。
遺体、遺体、遺体、どれもこれも虫人間が連れ去り、繁殖の糧とした人間ばかり。種として繁殖が本能にあろうと、人間の理性が吐き気を催させる。
三メール先の地面が持ち上がれば、虫人間が上半身を現した。
口元を激しく動かしており、目を凝らせば何かを食べている。
人の肉か、と思えば、かみ砕かれているのはサナギだった。
共食い、それが脳裏によぎった時、虫人間はまたしても地中に姿を消していた。
(さて、どうしとめる)
周囲に警戒の目を走らせながら、紘真は自問する。
手持ちの武器はスリングショットに松明。
スリングショットは弾をつがえる、狙いを定める、そして放つと三工程必要となる。
素早く動く虫人間に対処できない。
仮に命中しようと飛行機のエンジンに突撃しては無傷で生き残る頑丈さに無意味だと発射は諦めた。
松明を押し当てる案が浮かぶも、回避に精一杯でその余裕がない。
ただできるのはジリジリと後退、硬い岩盤を背後にして、襲撃方向を狭める自衛策だった。
背中が岩盤に触れた瞬間、左腕に痺れが走る。
足下が盛り上がったのを見計らい、真横に飛ぶ。
だが、飛び出してきた部位に絶句する。
「針!」
竹の子サイズをした蜂のように鋭い針だった。針は竹の子のように顔を出すだけで先端は紘真に届かずにいる。
岩盤から亀裂音が走ったのはその時だ。
「なっ!」
音源は左右、虫人間の鋭利な腕が岩盤から突き出ている。
後は力任せで岩盤を押し切りながら、挟み込む形で紘真に迫っていた。
「しまった!」
地面の針は囮。
虫人間の策に乗せられたと気づいたのは、その切っ先が咄嗟に掲げた左腕に接触する瞬間であった。
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