第38話 捕食ーキセイー

 山小屋の主、芝浦勝美は一人、乗用車のハンドルを握っていた。

 悪路だろうと物ともせぬ4WDだ。

 深い霧の中、ガタゴトと車体を揺らしながらも、その目、その腕に一切の狂いはなく轍刻まれた山道を進む。 

 月に一度の病院はしんどいもの。

 毎回毎回、病気の気ない健康体だと医者が顔を青くしている。

 喫煙者だが、肺も今のところ健康だ。

「やれやれ、めんどいが、年齢的にのう」

 決まりだから仕方ないが、去年の路上教習では、年齢に反して反応が三〇代だと教官が顔を青くしていた。

 いちいち、こちらから赴くのではなく、あちらからあれこれ赴いて欲しいものと思うのは年寄りのわがままだ。

「なんじゃ?」

 後少しで自宅兼休憩所である山小屋までたどり着く。

 あそこは今は亡き夫と建てた思い出の家。

 元々はペンションとして建てたもの。

 引退後はペンションを経営したい。

 ホテルオーナーだった夫はよく語っていた。

 人をもてなすのが趣味の夫につきあわされたが、訪れる人と話を弾ませるのは、なんだかんだ楽しかった。

 夫が亡くなったのを契機にペンションを辞めたが、人との交流は辞めなかった。

 息子夫婦や孫夫婦から、一緒に住もうと勧められているが、夫の墓が山中にあるのを理由に断っている。

 不仲ではない。しっかり連絡をとりあっているし、近々曾孫が生まれるのを内心心待ちにしていたりする。

 一緒に住まないのは時折、訪れる登山者をもてなし、交流を続けたい老婆のわがままだ。

「着いたら一服するかのう」

 家の中でも車の中でもタバコは吸わない。

 喫煙場所は、少し家から離れた場所にある夫の墓前だと決めている。

 若かりし頃、二人で煙草を吸いながら、あれこれ語り合った思い出のせいだろう。

 紫煙に想いを馳せたその時、山小屋の方向から黒い煙が立ち上っているのに気づく。

「嫌な予感がするのう」

 焦りたいが、焦りはハンドル操作を狂わせる。

 平常心を保ちながら、運転する老婆だが、その目に大写しとなる山小屋の惨状に絶句した。

「じいさんとの家が燃えとるうううううううっ!」

 年甲斐もなく車内で叫んでしまう。

 その衝撃でハンドル操作を誤り、車は山道から外れて脱輪してしまった。


 松明を手に、四人は坑道を進む。

 光一つなく、唯一の明かりである松明は先端の炎を揺らめかせながら、土壁を照らす。

 先頭を行くのは警察である陽川、二番目には柊、すぐ横を自力で歩行できるまで回復した青川が行く。

 最後尾で、しんがりをつとめる紘真は、松明を手にしながら背後からの警戒を怠らない。ただ松明が爆る音にも過敏に反応してしまいほど神経を張りつめさせている。

 それは誰でも同じ。横穴を通る際、警戒の緊張は否応にも高まってしまう。

 結果として杞憂だろうと、一瞬の気の緩みが致死を招くのを肝に銘じていた。

「ここにも、ありますね」

 先頭行く陽川が松明をなにもない宙で震えば、炎の線が走り、燃え尽きる。

 壁や天井には不可視の糸が張り巡らされており、松明を近づけなければ暗闇のせいで気づけなかった。

 当初は蜘蛛の巣のように獲物を絡め取る罠かと思った。

 だが電線のようにただ張っていることから、知見を述べたのは青川だ。

「張り巡らせた糸を鳴子代わりに使って坑道内の侵入者を把握しているんでしょう。とんだ知能ですよ」

 昆虫学者としての推論だった。

 そうであるならば、糸が燃え尽きたことで接近を把握されているはずだ。

「気をつけてよ、力弥くん。あの糸、燃えやすいけど引っ張る力は半端じゃないから」

「学者として未知の生態には興味を抱くけど、もう一度餌にされるのは勘弁かな」

 精一杯の強がりだろう。先を進むにつれて、肉の焼けたような匂いが漂ってきた。距離が縮まるにつれて、なお強く嗅覚を刺激する。

「嫌な、匂いだ。放火現場を思い出す」

 先を行くからこそ、陽川は顔をしかめ、袖口で鼻先を覆っていた。

「これはしばらく焼き肉、食べられないわね」

「こんな時に、君は」

 女は強いなと誰もが感心する。

 匂いは一層不快感を増す。肌に風を感じた。閉鎖された空間で空気の流れを感じるのは、どこか外部に繋がる穴がある証明だ。期待はしたいが、希望にはならない。穴があるからと、外気は通れても人が通れるとは限らないのがセオリーだから。

「この先のようだが」

 拳銃を片手に陽川が先行する。匂いの発生源は、ひときわ大きな横穴からだった。他は奇襲を警戒して背後にいるが、不気味なまでに虫人間の動きはない。

「うっ!」

 横穴をのぞき込んだ陽川が顔と声をひきつらせる。その手からライトを落としてしまい、愕然としていた。

 分かっていると、分かっていると、ここが虫人間の巣であるならば半ば予測できることだ。

 紘真は心臓の鼓動を跳ね上げながら、ゆっくりと穴の中をのぞき込んだ。

「匂いの原因は、これだったのね」

 穴の中の惨状を覗いた柊はただ声をこぼすしかない。

 広々とした奥行きある空間が目の前に広がり、無数の焼死体が乱雑に転がっている。

 男だったのか、女だったのか、骨となり身が縮こまった状態では判別つかない。

 いや、人間だけではない。

 クマらしき骨もあれば、イノシシやサル、イヌやネコまでの骨格死骸がある。

 後は、黒こげた伊勢海老のような物体が無数に転がってもいた。

「たぶん、僕のせいだと思う」

 青川は心当たりがあった。

 巣から逃亡する際、虫人間を撒くために火のついたタバコを投げつけた。

 虫人間が出す糸は強靱だが燃えやすい。タバコの火が糸に燃え移り、巣全体を焼き尽くした。

「ですけど、あなたのせいで死んだとはいえませんね」

 焼死体を調べるのはやはり警察の陽川。

 特に胸部を入念に調べており、半数の遺体は肋骨が外にかけて花開くように析出していた。また残り半分は股関節あたりの損傷が激しい。

「この人!」

 ふと紘真は半ば残っている遺体に瞠目する。

 下半身は焼け焦げているが、上半身は皮膚がただれた程度だ。

 まだ残っている顔が、知る顔だった。

 行方不明となった大学生登山サークルの一人、向井慧だ。

 一九〇ある身長だったからこそ覚えている。

 絶句するように両目を口が開かれ、例に漏れず胸部には穴が穿たれている。

「ここに連れて来られていたのか」

 一人だけではない。行方不明となった大学生全員がいる。

 胸部に穴が開いた者、腹部が風船のように膨れ上がったまま絶命した者――

 ただ誰一人、生きておらず、凄惨な表情のまま死に絶えていた。

「これは?」

 ふと、土壁の端に埋もれているものを紘真は拾い上げた。

 一枚の写真だが、風化が激しい。かろうじて体格から男女が並んでいる写真なのは分かる。

「どっかで見たような」

 クマのように恰幅のよい体格に既視感が走る。

 ただこの既視感は陽川の声で頭の隅に置かれていた。

「これは火でひび割れたというより、内側からの圧力で割れたと見ていいですね」

 遺体の一つを冷静に分析しているようだが、陽川の顔はひきつっている。

 表面だけでも冷静さを維持しなければ、現実に耐えきれなかった。

「みなさん、あなた方が、下山途中で保護した女性を覚えていますか?」

 遺体を丁重に戻した陽川は手を合わせて冥福を祈る。

 終えるなり、唐突に語り出そうと誰もが怪訝な顔をしない。

 三人の配信者のうち、発見された女性。

 ここで陽川は、女性が錯乱して入院先の病院で暴れたこと、そして飛び降りて亡くなったのを話す。

 特に、飛び降りた際、頭部の損傷が激しいこと、腹部を守っていたこともまた欠かさず伝えた。

「そして、です。司法解剖の結果、子宮、それも卵巣付近に生糸が体組織、それも神経や血管と癒着しているのが分かったんです」

「それってまさか」

 女性として、柊はその意味に気づいた。周囲にある焼死体に二種類の損傷があった。一つは胸部、もう一つは股関節、これらが意味するのは一つしかない。

 それを代弁するのは青川だ。

「人間を孵化器兼餌として繁殖してたんだろう。男女の身体的違い――特に女性にある子宮を利用すれば、効率よく卵を育成でき繁殖に繋げられる……捕食寄生を行うなんてとんでもない蚕蛾だ」

「捕食寄生?」

 当然の疑問が陽川の口から出た。

「文字通りですよ。寄生は基本、宿主と共存が前提なんです。宿主が死ねば寄生する側も死ぬ。酷い例えでは、老親が死んだらニートも生きられないという感じで」

 例えが秀逸すぎるし酷すぎるが誰も青川に口を挟まない。

「この寄生捕食は宿主から搾り取るだけ搾り取り、最終的に死に至らしめるのが特徴なんだ。特に寄生バチの類はクモを卵の宿主と定めるケースが多い。クモは強力な捕食者だから安全に成長ができるから」

 虎の威を借りる狐より質が悪いと、紘真は現実の光景と照らし合わせて気分が悪くなった。

「捕食寄生の恐ろしいところは利用するだけ利用して、最後は解放するのではなくエサとして捕食する」

 故に、捕食寄生と呼ばれている。

「文字通りのエサか……」

 瞬間、紘真に、ゾッとした言語化できぬ怖気が走る。

 思い返される下山時の光景、病院で暴れる映像、そして女性の発言――。

「あの人は、ここから逃げた先で下山途中の俺たちと出会った。そうして保護された病院で錯乱して暴れていた。卵を植え付けられた人間は、身体を支配される。研究者の人が外に出るに出られなかったように、女性もそうなっていた」

「そうなっていたと?」

 陽川の疑問に答えるのは青川だった。

「なんらかの幻覚物質の影響で、ただ卵を保護し、育てるだけの生き物にされた、と仮説を立てるのが妥当ですね。けどその人だけ、原因は分からないけど、ここから脱出できた。でも意識は操作された、いやそう誘導されたまま。実際、生物の中には、ハリガネムシやロイクロディウムみたいに寄生した生物を誘導する種もいるんだ」

「なら病院で暴れていたのも」

「詳細は分からないけど、その人は子宮が、からっぽなのを本能的に感じて、奪われたと奪還のために暴れていたんだと思う。ただなんで飛び降りたかは、分からないけど」

「ですが、人間が虫の卵を生むなど、豚の臓器を人間に使ったほうがまだ現実的だ」

 オカルトを通り越してホラーである。

 虫人間をこの目で目撃しながらも、警察として陽川は受け入れがたき現実が確かにあった。

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