第37話 日記ーアガキー

 ついに、ついに改良に成功した。

 これならば今まで以上の生糸を生産できる。

 試しに一束作ってみたが、質・長さとも高級品に引けを取らない。

 かつてこの山で一級品として名を馳せた<白霧>以上の品だと自負している。


 失敗は成功の母なら、成功もまた失敗の母。

 確かに品質は問題ないだろう。

 だが、糸が長すぎて既存の機器では扱いきれない。

 新たに作ろうにも倍の予算がかかる。

 特に餌だ。桑の葉だ。倍の糸を出すからこそ倍以上食べる。

 旺盛なことに喜ばしいが、当然の結果だろう。


 私としたことが失敗した。

 一匹がカイコウジバエにやられていた。

 大きいからこそ口もまた大きくなる。

 小さい種ならばウジバエの卵は桑の葉ごと噛み砕かれて孵化しない。

 だからこそ丁重に桑の葉を厳選したのだが、見逃しがあったようだ。

 潰そうとしたが、地中に姿をくらましてしまった。

 次見つけた時は、ブッ潰してやる!


 これは驚いた。

 本来、成虫となった蚕蛾は餌を口にしない。

 口はあろうと小さすぎて機能しないからだ。

 だが、この蚕蛾は違う。幼虫と同じように桑の葉を食べている。

 普通の蛾と同じように空を飛べば、生む卵の数とて倍だ。


 蚕蛾は人類が長い歳月をかけて品種改良を施してきた家畜だ。

 だが、この蚕蛾は空を飛び、餌を食べる。

 もしかしたら、品種改良される以前の姿かもしれない。

 これはこれで研究のしがいがある。


 ひときわ大きな蚕蛾の繭を坑道の奥で発見した。

 なんだこれは? 卵や幼虫はこちらで全部管理している。

 外部流出を防ぐため、出入り口にはタバコの葉を置いている。

 割れれば、中より巨大な蚕蛾が生まれていた。

 綺麗な真珠のような羽に、この山に伝わるてふしろ様を思いだした。

 これがそうなのか?


 ダメだ、こいつは私の手に負えない。

 どうにかタバコの葉をいぶして抑え込んでいるが、隙を見て外に脱出していた。

 桑の葉だけでは足りないのか、クマやイノシシなど野生動物を狩っている。

 こいつは危険だ。手遅れになる前に処分を検討しなければならない。

 ここ最近、クマに襲われる話が多い。

 下山時は気をつけなければ。


 ついにやってしまった!

 恐れていたことが起こってしまった。

 あいつは飛行機を落としてしまった。

 飛行機を巨大な鳥と勘違いしたのか、墜落させている。

 エンジンにその身を突撃させたというのに無傷ときた。

 あろうことか、自身の姿をクマの毛皮で隠して人間を襲っていた。

 後日、私は墜落現場でクマの犠牲となった夫婦の存在を知ってしまった。


 処分を決定した。

 飛行機を落とす以前から、こいつはクマに化けて人間をさらっていた。

 さらい、食料とするだけなく繁殖の道具にさえしている。

 既に登山客や猟友会の人間が犠牲になっている。

 何故、気づかなかった。何故、気づけなかった。

 原因はすぐ判明する。

 あいつの鱗粉には軽い幻覚作用があり、効果と範囲は短いが、そうであると思わせてくる。

 つまり、そこにいると認識していれば、そのままいると認識させられる。

 坑道の奥地を調査すれば、犠牲になったであろう人間の亡骸、いや皮を発見してしまった。

 クマだけではなく、人間の皮までかぶっているなど、恐ろしい知性だ。

 このままではダメだ。

 生み出した身としてあいつを処分する。


 しっぱいした。しっぱいした。

 口の中に管を突っ込まれ、卵を産みつけられた。

 卵は私の身体から私の意志を奪い、坑道から出させない。

 あいつは私の予測を上回る成長進化を遂げていた。

 あれはもう蚕蛾であって蚕蛾ではない。

 原理は分からないが、あれは食らった生物の遺伝子を取り込み、肉体構成の一部にしている。

 遺伝子が親から子に遺伝するように、生まれた幼虫は、親が食らった生物の遺伝子を受け継いでいる。

 カマキリ、ジガバチ、人間、イノシシ、クマと分かっている範囲だが、他にもあるはずだ。


 本来、遺伝情報というのは、親から子に受け継がれるもの。

 性格や顔立ちが似るが、その一例だろう。

 生物は基本、同じ生物同士による遺伝子の垂直伝播と呼ばれる形で親から子に遺伝子が受け継がれていく。

 だが、あれは違う。

 全く違う生物間で遺伝子情報の転移――遺伝子の水平伝播を起こしている。

 単細胞生物ならともかく、複数の細胞から成り立つ多細胞生物で起こるなどありえるのか?

 なんらかの触媒が、遺伝子情報の取り込みと書き込みを繰り返し水平伝播を起こしているとしても、ここの設備では調査に限界があった。


 刷り込みか、卵が分泌する物質のせいか、坑道から出られない。

 不幸中の幸いなのは、元が虫だからこそ火に弱いこと。頑丈な表皮に刃は通らない。後は皮膚呼吸故、呼吸を阻害する水や煙にも弱いことだ。

 坑道内ならば自由に動けるのを逆手にとって、私はできる限りの手を打った。

 奴の生態観察、繁殖法、対抗策。それらをノートにまとめておいた。

 もしこれを読んでいる者がいたら、身勝手かもしれない。私の願いを聞いて欲しい。

 あれは、てふしろ様であっててふしろ様ではない。

 あれを止めてくれ! 止めなければ、蚕蛾と人間の立場が逆転し、人間が、ただ繁殖するための家畜となってしまう!


 ふざけんな、誰が座してて死を待つものか!

 あれの目的は単純に繁殖!

 ならば、繁殖できなくさせればいいだけの話!

 あれこれ変容していようと、所詮は蚕蛾。

 品種改良できるということは逆に品種を改悪できるんだぞ!

 ゆるやかに滅んでいくがいいさ!


「ここで終わっています」

 日記を読み終えた紘真はゆっくりとページを閉じた。

 オカルトだと笑い飛ばしたいが、現実に直面した身、笑い飛ばせない。

 紘真は顔を俯かせたまま唇を噛む。

 一〇年前に起こった飛行機墜落事故の原因が日記に記されていた。

(じゃなにか、汐香の両親は……汐香は!)

 紘真は奥歯が砕けんばかりに噛みしめ肩を震えさせる。

 誰もが何かを紘真に言いたそうにしている視線を感じた。

 ふと陽川が思い出すように言った。

「品種改良した末に生まれたのか、それとも元々坑道奥にいたのが孵化したのか、分かりませんけど、一つだけ分かったことがあります」

 視線を紘真から一時的に逸らすようなニュアンスを感じた。

 何故、今の今まで山小屋の老婆が無事であったのか。

 大学生登山サークルのメンバーが行方をくらます中、一人だけ惨殺されていたのか。

 そして、青川が何故、無事だったのか。

「二人とも喫煙者でした。あの虫人間はタバコ、正確にはニコチンが含まれる煙が嫌いだからこそ、襲わず、なおかつ巣に持ち帰らなかった。殺害された大学生――遠山さんですが、現場の状況からして喫煙直前で襲われた可能性が高いんです」

「タバコが嫌い――正解かと思います」

 青川は学者としての知見を語る。

「蚕蛾はすごくデリケートな生き物なんです。気温の変化だけでもすぐ死に絶えてしまいます。タバコに含まれるニコチンのせいで泡を吹いて中毒死するほどなんです。そのまま巣に持ち帰ろうならば、幼虫が死滅する恐れがある」

「だから、青川くん、タバコ臭かったのね」

 加えて、この部屋にタバコの煙と匂いが充満していた理由もまた。

「運が良かったんだ。たまたま研究室に生徒がタバコとライターを置き忘れていたんだ。研究室にも検体の昆虫がいるから、届けようとした矢先、五島、いやその虫人間に襲われた。餌場に運ばれた時、咄嗟にタバコに火をつけて、隙を見て逃げ出したんだ。もし蓮華さんたちが来なかったら、飢え死にしていたよ」

 紘真は餌場という不穏ワードを聞き逃さなかった。

 青川と再会できたように、汐香と再会できる可能性は高い。

 高いが、無事である保証は現状低い。

「ええい、弱気になるな、怒りに揺れるな、紘真!」

 思考がネガティブに走らせてくる。まだ決まっていない。決定していない。

 死んだ人間は帰らない。だが奪われた人間は取り返せる。

 現状を見ろ。動けと己を鼓舞する。

 自身で吹っ切れたからか、大人たちの心配する視線は消えていた。

「これは使えそうだな」

 部屋を漁っていた陽川が声を弾ませている。

 見れば、コンテナケースから中身を引き出していた。

 研究者の私物だろう。長期に渡って研究を行うための物資で間違いないようだ。

「食料は空でしたけど、ガソリンがありました。中身は充分ある。これ、使えますよね?」

 携行式缶に封入された揮発性燃料液体であるガソリン。

 火気注意の危険物。

 特に容器が満杯ではなく、空に近いほど取り扱いが注意となる。

 揮発性の通り、ガソリンは気化する。確かにガソリンは燃えるが、恐ろしいのはその爆発力。容器が空に近いほど、そのスペースに気化したガソリンが充満する。もし、火花一つ近づけようならば大爆発を起こす。

 ガソリンスタンドが国内でもっとも建築基準が厳しい理由だ。

 またセルフガソリンスタンドが禁煙となっているのは、燃料補給中における引火を防ぐ意味があった。

「これで松明を作れば、なんとかなるかも」

 松明は自衛にも照明にも使える。

 燃焼用の布はベッドから拝借すればいい。持ち手となるのは収納されていたスコップやツルハシで代用できる。どうやら閉山時にそのままおいて行かれた物のようだ。

「あ、これも使えそうだ」

 紘真が箱を漁れば、殺虫剤が出てきた。

 研究者が自衛用に用意していたのだろう。日付は去年のであり、しっかり保管されていたこともあってか、中身は満タンであり、缶に錆一つない。

「火炎放射でもする気?」

 柊が苦笑気味に指摘する。

 紘真がジッポライターを所持しているが故に出た発言だ。

 スプレー缶はガスの内圧で噴出するからこそ、火一つでお手軽火炎放射器になる。そうせぬようしっかりと缶には注意書きがあった。

「あくまでも最終の手ですよ。こんな地下空間で火なんて使えば、全員火だるまです」

 使わぬにこしたことはないが、手札は多い方がいい。

 警察もいるが、この状況下、黙過してもらうしかない。

「汐香、今迎えに行くから」

 シーツを引き裂きながら紘真は妹分の救出を誓う。

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