第7話 猟銃ータマー
「勝美さん、トイレ掃除終わりました!」
文字通り、紘真は身体で払っていた。
山小屋の主、芝浦勝美が掲示した、ただ一つの条件。
それは家の掃除であった。
人一人が住まうには広すぎる故、掃除が行き届いているとは言い難い。
湯船は一〇人は余裕で入れるサイズ、一人部屋が左右の区画に五つ、計一〇ずつあるときた。
ビジネスホテルような室内にトイレ風呂付きではないが、ふかふかなベッドが設置されている。
ゲスの勘ぐりではないが、休憩宿泊を想定した設計。
口調は悪かろうと根は良い人なのだろう。だから紘真もまた率先して掃除を行っていた。
強いて問題があるとすれば、この老婆、下の名前で呼ばないと反応しない点である。
若く見られ(以下削除)。
「それ終わったら次は風呂掃除だね」
「わかりました!」
リビングから老婆の指示が飛ぶ。紘真にとって苦ではない。掃除清掃は慣れている。両親が共働きであり、祖父が存命の頃は二人で分担して家事を行っていた。自分の家だろうと余所様の家だろうと手慣れているため苦ではない。
むしろ掃除一つで休憩できるのなら安いものである。
湯船は大きかろうと、掃除のしがいがあるというもの。
「あれ、ミチザネ?」
紘真が次なる掃除に取りかかろうと立ち上がった時、窓際から霧の中で動く黒い物体に気がついた。
正体は、ほんの先ほど分かれた猟犬のミチザネ。黒毛の秋田犬は珍しいし、別れて間もないから記憶に残っている。
続くように霧をかき分けて本田が姿を現した。
また本田の背後に複数の人影が見える。
「勝美さん、本田さんが戻ってきましたけど?」
「はぁ~なんかいったか~たった今ちぃと耳が遠くなっての〜よ〜く聞こえんのじゃよ~」
棒読みで返されても困るのだが、老婆の反応からして紘真は予測がついた。
案の定、ドアが外から何度も殴打によるノックが続く。
「坊主、でらんでええぞ~」
「ばあさん、でけえイノシシあるぞ!」
「今すぐ出迎えろ!」
手のひら返しの老婆に、紘真は苦笑するしかない。
そのまま家主の代理として出迎える。
「おう、さっきぶりだな」
「ええ、出らんでいいと仰せつかりましたが、イノシシが効いたようです」
紘真と同じように霧で足止めを受けた登山者を発見、連れてきたのだろう。
見れば、男女二人が棒きれで吊されたイノシシを担いでいた。
男女はお揃いの赤の登山ジャケット姿。男は黒縁メガネと黒髪の優男、女はウルフショートカットの髪と年齢的に二〇代後半だろう。
ただ獣一匹、死体であろうと動じることなく担いで運んでくるあたり、男女とも相応の体力と胆力があると紘真は見た。
「おやおや、またでけえの持ってきたのう。喰い応えがありそうな肉ときた」
元気な足取りで玄関にやってきた老婆は、皺だらけの顔で嬉しそうな笑みを浮かべている。イノシシを指していると思いたい。昔話なら対象は人間であるが、肉は口に入れるもので、口に出すものではない。
ちょっと、おばあさん、口元拭わないで、なんか笑えない絵ずらだから。
「ほれ、お前さんたち、案内するからイノシシは裏に運びな」
老婆は靴を履いては、男女をそのまま裏手に案内せんとして紘真に指示を飛ばす。
「坊主、キッチンの戸棚に解体用のラベルが張られた箱があるから、箱ごと裏口に持ってこい」
「わかりました」
「ふぇっふぇっふぇ、うまそうな肉じゃ」
老婆の発言は男女を指した発言ではない。
繰り返す。
イノシシを指した発言である、としたい。
「んじゃ坊主、またな」
「あ、はい」
短い再会と挨拶で、本田はまたしても猟犬を連れて霧の中に消えていく。
またまた会うような気がしてならないのは気のせいだろう。
「こんなデカい獲物を譲るなんて、羽振りよすぎでしょう」
ジビエの相場は素人であるため紘真にはわからない。
狩猟は移動費用から猟銃の装備と費用がかかる。
銃弾とてタダではない。
例え行政からクマ狩猟の依頼が来ても、命を張った割に報酬は安いときた。
水鉄砲の水とは違い、獲物の状態によっては銃弾代のほうが高くついて赤字などザラ。
このイノシシは額に弾痕がある以外、外傷が見あたらない。
一撃、それも真っ正面からしとめたとなれば本田の腕は、かなりのものと見て良い。
本田が所持していた猟銃はショットガンタイプだ。
ライフル銃は腕にもよるが、一キロ先からも獲物を狙える。
一方でショットガンは五〇メートルと射程短く、クマやイノシシ相手では分が悪い面がある。
狩猟道具として便利なライフル銃だが、鉄砲許可書を所持して一〇年経過しなければ、この国では所持できないので注意が必要だ。
(眉間に一発とか、これスラッグ弾か?)
単発の弾頭を発射する銃弾のことだ。
小さな金属球を広範囲に拡散させる散弾と比較して、大きな威力を生み出す弾だ。
祖父曰く、鹿やカモなら広範囲に散らばる散弾で事足りると。
失敗しても逃げるだけで撃つ側に実害がないからだ。
だがクマやイノシシ相手に仕留め損ねれば、二発しか装填できぬ散弾銃の構造上、再装填の間すらなく、致命的な反撃を受ける。
熊撃ちにおいて、体躯も膂力も速さも劣る人間が、相対するならば、常に有利な状況をキープするのが生き残る秘訣である。
よって射程と命中率の安定したライフル銃を使用するのがベストだと生前、祖父は語っていた。
(かなりの腕、下手するとおじいちゃん以上?)
イノシシだろうとクマだろうと、銃を撃てば必ずしとめられるものではない。
毛皮や骨に弾が遮られて致命に至らず、何発も撃ち込むパターンが多いと亡き祖父から聞かされている。
それにより肉繊維がズタズタとなり、肉の商品価値が下がるのだと。
「まったく、人ん家に集めるだけ集めさせて、邪魔されず行動とは小僧らしいわ」
紘真は老婆のぼやきが聞こえた気がした。
大盤振る舞いの本田に、紘真は逆に疑念を抱いてしまう。
けれども、狩猟の妨げにならぬよう山小屋に人を集めていると考えれば利にかなっていた。
「坊主、運び終わったら風呂掃除急いでくれ。わたしゃ今からこれを解体するからのう」
「これ運んだらすぐします!」
裏口から老婆の声がする。
紘真はキッチンの戸棚を開いては、解体用とラベルが貼られた箱を取り出した。
中には案の定、ケース内包の各種刃物や金属トレーがケースに収納されている。金属だから当然重いが、苦でもない。
裏口の鍵を開けては、そのまま待ちかまえる老婆にケースを渡す。
「あと、ついでにこの二人を案内、さらに説明もしといてくれ」
「解体の手伝いは?」
「いらんいらん。これくらい、アジを開くようなもんじゃい。うまい肉食わせてやるから、しっかり掃除させるこったな」
イノシシ一匹をアジと同列に語るなど、この老婆、歴戦の猛者のようだ。
「お二人さん、案内しますので玄関まで来てください」
カップルか、夫婦か、あるいは兄妹or姉弟か。
男女は老婆一人に解体現場を任していいのかと不安顔だ。
「なにかあったら呼ぶと思いますけど、大丈夫かと」
ふと女性が、あまりにも手慣れた紘真に当然の疑問を出してきた。
「ここの人?」
「いえ、ほんの一時間前に来たばかりの登山客です」
ハキハキとした紘真の返答に、男女が困惑顔で見合わせるのは必然だった。
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