第8話 生命ーチー

 男性の名前は、青川力弥あおかわすぐる、職業は昆虫学者。

 女性の名前は、柊蓮華ひいらぎれんげ、青川とは恋人関係であるOLであった。

 老婆が紘真にしたように、男女に、この山小屋での休憩条件を説明する。

 男女は反感抱かず、すんなりと了承してくれた。

「なるほどね。霧で避難してたら、さっきの猟師が、この山小屋まで案内してくれたと」

「ええ、この山、霧が出るのは夜のはずですけど、運が悪いと思った矢先、本田さんに助けてもらいました」

 紘真は戸棚から掃除道具を出しながら柊に言う。

「確かに、昼間に霧が出るなんて珍しいよね」

 バケツに張った水で雑巾を絞る青山は同意している。

 二つ目の雑巾をしっかり絞って、柊に手渡せば、そのまま廊下の雑巾掛けに入る。

「こうして雑巾掛けすると、学生時代を思い出すよ」

「そうよね。それで、雑巾掛けレースするとさ、行き追いつきすぎて額を床にぶつける人とか、クラスに一人いたわ」

「あ~」

 現役高校生の紘真、どこか思い当たる節があった。

 ただ雑巾掛けはするも、モップの先端に雑巾を挟んで行うため、全身を使って押し出すように掃除するのは小学校以来だったりする。

「それじゃ俺は風呂掃除していますので、なにかあったら呼んでください」

 この家の浴室は一般家庭と比較して大きめだ。

 湯船も民宿にあるようなサイズであり、大人一〇人は余裕を持って入れるときた。

 大きい故、掃除も時間がかかる。かかるが、美味いボタンイノシシ肉が食えるとなれば自然とやる気が満ちるもの。

「えっと、嘉賀くんだっけ!」

 いざ風呂掃除にと意気込んだ矢先、青川から早速お呼び出しである。

「どうしました?」

 浴室から顔を出した紘真は、窓際に立つ青川に聞いていた。

「さっきの猟師さんが来ているんだけど! 人もたくさん!」

「はぁ、また本田の小僧が来たじゃと!」

 裏口方面から老婆の驚嘆する声がした。

「耳、いいのね」

「ええ、かなり」

 苦笑気味に紘真は返すしかない。

「今行くから、玄関口で抑えとれ! まだ中に入れるんじゃないよ!」

「え、ちょっと!」

 行くという老婆の発言が紘真に第六感をささやかせる。

 代理で出迎えようとしたが、玄関口より男女入り混じった悲鳴が響き、腰を抜かす集団に一歩遅かったと痛感した。

「ひいいいい、山姥だ!」

「誰が山姥だ、ガキども!」

 悲鳴の原因は、老婆が飛び血対策でまとったレインコートと、その手に持つ包丁。

 レインコートと包丁はイノシシ解体により付着した血で汚れている。

 紘真とて、山小屋で血に汚れた老婆と出くわせば、悲鳴を出さぬ自信はないと断言できた。

「山姥が希望なら、お前らとっ捕まえて、一人残らず骨の髄まで貪り喰ってやろうかのう!」

 血濡れの刃物片手に叫ぶ老婆は、まさに笑えない冗談。

 唯一、本田だけが腹をかかえて大笑いだ。

 紘真は、元気なおばあさんだと生温かく成り行きを見守っていた。


「ほれほれ、キリキリ働け! 働かんと休憩させんし飯もないと思いな!」

 裏口から老婆の元気な声がする。

 イノシシを手慣れた手つきで解体しており、すぐ側にはきれいにはぎ取られた毛皮がシートの上に広げられていた。

「料理できるもんは、今からいうものを用意しな。できんものは掃除しな。掃除は嘉賀の小僧に聞くこと」

 本田により山小屋に新たな避難者が追加される。

 大学にて登山サークルに属する男女四人組であった。

 紘真同様、登山に訪れたものの、霧に阻まれ、別の避難小屋にいた時、本田と出会って、この山小屋まで案内された。

 先の学者カップル同様、休憩の条件を提示すれば、すんなり受け入れてくれたのは助かったりする。

「あ~びっくりした。普通の人間で助かったよ」

 食器棚から鍋を取り出す短髪の男性は遠山和貴とおやまかずき

 料理が趣味のようで自ら料理役をかって出てくれた。

「もう、おばあさんに失礼でしょう。折角のご厚意なんだから、その分、しっかり応えないと」

 冷蔵庫を開けるのはミディアムヘアの女性は鮎川歩美あゆかわあゆみ

 同じように料理が趣味のようで、冷蔵庫から老婆より指定された野菜を取り出していた。

「クマよりマシだよ、クマより!」

 リビング側の窓を雑巾で拭く茶髪の男性は向井慧むかいけい

 一九〇ある高い身長を生かして、普段は届かぬ箇所まできれいに拭き掃除を行っている。

「とりあえず、家に連絡しといたから」

 他の三人の中で、唯一ソファーに座ってスマートフォンをいじっている金髪の女性は野田伊織のだいおり

 サボっているのではなく、手の塞がったサークル仲間の代わりに各家族への連絡を行っていた。

「きみも大変だよね。あれこれ押しつけられてさ」

「いえ、みなさんが来てくれたお陰で、あれこれ分担できて助かってます」

 風呂掃除を終えた紘真は遠山に忌憚なく返す。

 実際、一人で掃除から料理を行うには、この山小屋は広すぎる。

 必要最小限しか掃除がされてなかったを見るに、老婆一人では手が余るのだろう。

「勝美さん、今お湯を入れてます」

 裏口に伝えれば、わかったよ、と返事が来る。

 一人ソファーに座って、先んじて休憩するも落ち着かないので、料理の手伝いをすることにした。

 学者カップルは、現在、各小部屋の掃除中だ。二人でシーツを代えるなどベッドメイキングの最中である。

「けど、一人で登山とか、珍しいわね。高校生なんでしょう? 友達と一緒に登ればいいのに」

 白菜を包丁で切りながら鮎川が紘真の地雷を踏んできた。

 仲間の発言を咎めるのは雑巾を絞っていた向井だ。

「おいおい、一人登山なら、理由なんて一つしかないだろう。俺らだって経験したはずだぞ」

「あ~もしかして、マナーとかモラルのない奴らだったとか?」

 食器棚から取り出した小皿を布巾で拭いている野田が、思い当たるように言った。

 遠回しに友達はいないと指摘されたようで気が重い。

「え、ええ、そんな感じで」

 やや言葉尻を濁す紘真は頷き返す。

 確かにアウトドア仲間は、かつてはいた。

 だが今はいない。縁を切ったからだ。

「中学の頃、いたにはいたんですけど、なんというか、テントは張らずにお菓子ばかり食べる。みんなでカレー作ろうと計画していたのに、誰もがいつまでも作らない。指摘しても、お前がやればいいだろうと開き直る。かといってあれこれ準備しすれば、これやってあれやってと命令口調で下に見て手伝いもしない。もうなんのために事前に役割分担を決めたのか、意味がないときた。バカらしいんで、テント畳んでから一人で帰りましたよ」

 紘真から語られる実体験に、男女四人は、同感するように遠目をしていた。

「どこにもいるもんだな、そういう奴」

「高校の頃、いたわね」

「いたいた。上から目線で指示して、な~にもせんときた」

「あの時はやってられるとかで、四人で帰ったわね」

 四人の実体験を聞くには、当然のこと、遊ぶだけ遊ぶ輩の末路は同じようだ。

 遊ぶだけ遊び、楽しむだけ楽しんで、片づけない。

 キャンプとは、準備から片づけまでがキャンプである。

 仲間の誰かがやるだろう。このキャンプ場のスタッフが片づけてくれるだろう。レンタルした備品やキャンプで出たゴミを放置する。直火禁止なのに芝生の上でたき火をして芝生を燃やす。洗剤使用禁止なのに、洗剤を使用して河川を汚す。花火禁止だろうと花火をする以下略。

 レンタル品は返す。出たゴミは必ず持ち帰るのが、ルール以前にモラルの問題である。

 昨今では、SNSに栄えるからと楽しむだけ楽しんで、ゴミを片づけもせず放置して帰るのが問題になっている。

 ひどいときには、使用した包丁やグリル、処理が済んでいない炭火を捨て置く輩までいる。

 特に炭火は炭素であるからこそ自然分解されない。安易に埋めればよかろうと思うのは無知の恥さらしだ。

 写真や動画をネットにアップしているからこそ、炎上騒動に繋がっていた。

 もっとも当人たちは何故炎上したのか、理由を把握できてないのが困ったもの。

 単なる隠キャラボッチからの哀れな嫉妬と思っているから質が悪い。

「俺も同じように帰りましたよ。ああ、話が通じないって」

 紘真が、帰ると告げれば、勝手にしろと仲間内から叩き出す始末。ついでにSNSのグループから退会させるおまけつきだ。

 後日、ゴミを放置して帰宅したことが当然の大問題となる。SNSに栄える写真をアップしていたのが仇となり炎上、学校に抗議の電話が押し寄せた。

 一緒のグループに属していたことで紘真は、とばっちりを受ける。

 仲間の誰もが、紘真もいたと口裏併せて巻き込んできたからだ。

 もっとも駅の改札口の防犯カメラ映像にて、嘘だと即座にバレていた。

 この出来事以来、紘真は、一人登山やキャンプを楽しむようになる。

「小僧ども、これ運んでくれ!」

 裏口から老婆の弾む呼び声。

 見ればトレーにこんもりと肉塊が重ねられている。

 きれいな肉の切断面、スーパーのガラスケースに並べられていても違和感なく処理が施されていた。

 普段口にする機会がないイノシシの肉。

 生肉だろうとおなかが空いてきた。仮にクマなら迷いもなく食らいついているだろう。

「わたしゃちぃと風呂入っとくから、鍋の準備しといてくれ」

 老婆はいうなり着ていたレインコートを物干し竿に吊しては、ホースから出る水を当てて飛び血を洗い流している。

 イノシシ一頭を解体したからこそ、裏口から血臭が入り込んできた。

「血の匂いは、慣れないな」

 血臭は紘真の記憶を否応にも刺激してくる。

 嫌悪が嘔吐と共にこみ上げてくるが、顔を背けることで周囲に悟らせない。

 獣だろうと、人間だろうと血は血。

 命という赤い色。

 喰われることで外に流れ出た命の色……。

「誰だって慣れないって」

「そうよ。慣れているとしたら、お医者さんぐらい?」

「血が好きなのっていたっけ?」

「蚊がいるじゃないの」

 野田からの指摘に、誰もが納得してしまう。

 お陰で紘真にこみ上げつつあった嫌悪と嘔吐は、自ずと沈下していた。

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