第9話 洗濯ーフロー
サクラ・モミジ・ボタン。
この三つは植物の名前であるが、語尾に肉をつければ、動物の肉となる。
肉食が禁止されていた江戸時代、当時の人々は、別称をつけることで、動物の肉であるが、植物として流通や購入の規制をかわしてきた。
サクラ肉は、肉の色がきれいな桜色をしていることから馬の肉を呼ぶようになった、とされている。
モミジ肉は、花札の説が高いとされ、一〇月を示す花札には鹿と紅葉が描かれているため、鹿肉=モミジと呼ぶようになったとか。
ボタン肉は、濃い紅色であるため、紅色の牡丹が語原とされている。一方で、鯨が食用として捕らえられていたため、山鯨と呼ばれてもいた。
飼育されてない野生動物の肉であるため、どれも独特のクセがある。
故に、味噌と合わせて食するのがベストマッチ。
当然のこと、人の手による衛生管理が無縁の野生動物である。
新鮮だからと絶対に生で食べないように!
寄生虫による感染症で死亡するリスクがあるのをお忘れなく。
「あ~腹いっぱい~うごけね~」
遠山は腹をさすりながらソファーに腰を下ろす。
「もう、はしたないわね」
「といいながら自分も座ってんだろう」
向井からの指摘に鮎川は露骨に視線を逸らしている。
「イノシシ、豚に似て美味かったな」
「そりゃ美味いでしょ。豚の元なんだから」
野田の発言通りである。
豚は元々、野生のイノシシを家畜用に品種改良した種だ。
「勝美ちゃん、一服したいんだけど、ベランダで吸っていい?」
ポケットから煙草の箱とライターを取り出した遠山は聞いていた。
ちゃんづけされたことで老婆はご機嫌ときた。
「あ~それなら外に喫煙所がある。わたしも一服したいところじゃて、今から案内――」
「あれ、雨降ってきた」
紘真が食器をテーブルの上から流しに運んでいる時であった。
窓の外は変わらず霧で包まれ、五メートル先すら見通せなかった。
パラパラと小石が転がり落ちるような音がしたのも束の間、秒感覚で音は強くなっていく。引き寄せるように風が吹き荒む音も聞こえだし、周辺の木々が激しく揺さぶられる音が室内にいても把握できた。
「ん~む、こりゃ一服は無理じゃのう。わたしも諦めるからお前さんも諦めな」
「そりゃ残念」
一本吸えない程度で死なないと遠山はポジティブにタバコとライターをポケットになおしていた。
「山の天気は変わりやすいけど、今回は異常だな」
食器を洗いながら青川はメガネの下で眉をひそめた。
すぐ隣で同じように食器を洗っている柊もまた同じ表情だ。
「そうよね。この山には何度も来ているけど、昼間に霧が出るなんて珍しかったし」
「こりゃ降りるに降りられん。お前ら今日は泊まっていけ」
テーブルに一人、座っていた老婆からの申し出。
ご厚意に甘えるのが吉。濃霧は雨風で吹き飛ぶだろうが、山道は雨でぬかるみ、大雨により視界は悪い。強行下山は命を危険に晒す。
老婆は山に住んでいるからこそ、来訪者たちに食事の準備や各部屋の掃除をさせたのも、下山できぬ環境になると先を見越していたからだろう。
「とりあえず、これ終わったら家に連絡しとかないと」
洗い終えた鍋を受け取った紘真は、布巾で水気をふき取った。
使用した食器の数は多いが、人の数も多い。
役割を分担したことで思ったより早く終わりそうだ。
「お前ら皿洗い終わったら風呂に入りな」
一番風呂を味わった老婆が言う。
この山小屋の湯船は広い。一〇人は余裕で湯に浸かれるが、男女である。
男が先か、女が先かで、割れるのは必然であり、じゃんけんで前後を決めるのもまた必然であった。
男女、それぞれ代表者を選出してのじゃんけんが開始される。
最初の来訪者だからと男代表にされた紘真。
次なる来訪者だからと女代表となった柊。
勝っても負けても恨みっこなし。
「「最初はグー!」」
勝者、柊。女性陣が先に入ることになった。
「わかっとるが、覗いたら裸でほっぽりだすからな!」
忠告が老婆から飛び、男性陣は揃って、は~いと返事をした。
覗きは犯罪です!
男が男を覗いても、女が女を覗いてもです!
男性陣の番となり、全裸の男達は、のんびり湯船に身体を浸からせる。
風呂はいい。全身から疲れを抜けさせ、汗を落としてくれる。
紘真が手足をだらしなく伸ばしていた時、青川が紘真の身体に注視する。
脱衣所にて遠山や向井の割れた腹筋に、つい注視してしまった身。
見たからからこそ見られるのは常だが、誇れる腹筋ではない。
筋トレは個人で行っているが、紘真自身、割れるまでにはまだまだ遠かった。
青川が注視している部位は、紘真の左腕。
稲妻が走ったようなギザギザ線のような傷跡が、左の二の腕から手首にかけてあった。
「この傷跡です? 小さい頃、クマに襲われたんです」
紘真自身、隠すつもりはないのだが、普段は長袖で覆ってる。
事情を知る者からすれば、名誉の負傷というが、初見からすれば、訳ありの傷としか思われない。
医者曰く、成長過程で消えていくとのことで、整形は今のところ考えていなかった。
「運がよかったんですよ。後少し深かったら腕は飛んでたって医者から言われました」
「よく生き残れたな」
「運が良かったって言っただろう」
遠山につっこみを入れる向井。
男二人、やりなれた感がある。気心知れた仲間がいるというのは、こういう感じなのだろう。
紘真として同輩の友達はいる。放課後、勉強会をしたり、カラオケや映画に行ったりする仲はいるが、生憎、キャンプ仲間はいなかった。
薦めたことはあるが、各々暗いところ嫌い、虫嫌い、寒いのダメと、人間にありがちな理由である。
そのまま話は弾み、同じキャンプを嗜む者同士、話は自ずとキャンプ飯に移っていた。
「そうですね。包丁は便利ですけど、持ち運びは不便なんで調理用ハサミで食材を切ってます」
「だよな。挟んで切るだけで良いし、材料は事前に準備すれば問題ない」
特に料理が趣味の野田とは話があった。
「カレーも手っ取り早く作りたいなら、カレールーに野菜ジュースとコンビーフの三つあれば事足ります」
「初めてみんなとキャンプ行った時、作った作った」
「入れて混ぜるだけだから片づけの手間もかからんかったわ」
「へ~便利だね、今度、僕もキャンプ行った時、作ってみるかな」
男四人、話を弾ませている時であった。
「遠山、向井、まだいる!」
「悪いんだけどすぐあがってきて!」
浴室と脱衣所を隔てる扉から鮎川と野田の慌てた声がする。
尋常ではないと察した男四人は、浴室に声を反響させながら尋ねていた。
「どうしたんだ?」
「いいから早く来て!」
遠山が問おうと野田からせっつかれる。男四人は顔を見合わせては同時に湯船からあがって脱衣所に続く扉を開いた。
「「きゃっ!」」
全裸の男四人が揃って脱衣所に入ってきたのだ。
女二人の悲鳴は当然だが不可抗力であり、理不尽だった。
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