第2話 配信ーヤマー

 真っ白な闇、と形容される霧が満ちた闇夜の世界。

 闇は黒い。だが眼前に広がる闇は白い。

 先が見えぬどころか、星空さえ覆い尽くし、星による基点を掴ませず、右も左も分からない。

 唯一なのは、地に足を着けた靴底から伝わる感触のみ。

 人っ子どころか、獣一匹闊歩せぬ、白き霧に覆われた山道入り口。

 その前には二人の男と一人の女、計三組の男女がいた。

 頭にはヘッドライト、赤・青・黄と色違いの登山ウェア。各々の手に持つスマートフォンは絶賛配信中であった。

「みなさん、おばんどす~<チャンネル・ほらほらー>のアッカです」

「こんばんわ~ブンルルです」

「わんば~ん、ロイエだよ」

 二〇代ほどの男性二人と女性一人の三人組。彼らはホラー系動画配信チャンネル<ほらほらー>の配信者であった。

 各地にあるホラースポットに自ら足を踏み入れて生配信する。

 廃墟から廃村、廃トンネルと時代により打ち捨てられ、忘れ去られた施設が彼ら三人の配信ステージだ。

 おかしな影が映り込んでいると視聴者からコメントがあった。

 三人以外の声、女性の声を確かに聞いたとコメントがあった。

 夜な夜な廃墟にうごめく影の正体は、寝床にしたホームレスであり、そそくさと退散した。

 廃トンネルに響く不規則な足音は、薬物でラリった人間だった。ガチで逃げた。

 時折、外国に足を伸ばしては、鉱山に現れる空飛ぶ怪異を追った。その正体はジェットパックを装備した違法採掘者。目撃者は消すと空から追ってきた。ジェットババならぬジェットジジイだった。

 幽霊の正体みたり、枯れ尾花とは言ったもので、配信にて起こるホラーは九割九分九厘、生きた人間絡みときた。

 身体を張ってまで再生数を稼ぎたいわけでも、収益を目指しているわけでもない。

 単に恐怖とは何か、未知と無知が心より生み出すものか、人知を超越した存在か否か、直に確かめる探求心で動いていた。

 動画配信は単に、その瞬間を視聴者と共有したいからだ。

 時に驚き、揃って逃げ出そうと助け合い友情を確かめ合う配信は好評ときた。

「皆様、見てください。このゴリラ夢中な五里霧中な霧を」

「俺たちは今日、N県K山に来ています」

「なんとここ、むか~しに飛行機墜落事故があった山なんですよ」

 場所をボカすのはただの演出。映像一つで視聴者は簡単に場所を当てられるのを逆手に取っていた。

 アイドルが自撮り写真をSNSにアップすれば、網膜に映った建造物をヒントに住居を特定したストーカーがいるほど、映像の精度は向上していた。

「すんげ~事故だったけど、乗客乗員のほとんどが助かった事故ときた」

「小学生の頃だったけど、覚えてる覚えてる。墜落したけど、運良く斜面に滑り込む形だったから機体が分解する程度で済んだだっけ」

「だけどさ、機体が分解した際、乗っていた夫婦がシートごと遠くに投げ出されてクマに襲われたのよね」

 痛ましい事故である。全員生存なら奇跡と呼べるだろうが二名の犠牲者が出ていた。

「この山の中腹のキャンプ場にさ、来ていた人が元レスキュー隊員で、いち早く現場に駆けつけたんだよ」

「その人の子供か、孫だっけか、クマに食われかけた赤子を助けてクマに追いかけられたんだっけ?」

「確か孫だよ。当時の私たちよりも年下だったと思うよ? クマって生きたまま喰らうし、一度獲物と定めるとずっと追いかけてくるのよ。その子、追いつめられたけど、元レスキュー隊員の人が猟銃でクマを撃って助けたのよね」

 救助したことも、人がいる中での発砲もニュースで散々話題になった。

 法律では人間がいる位置での発砲は禁止されている。もし行おうならば警察は猟銃免許を剥奪する。だがいち早く現場に駆けつけた救助活動と緊急避難性、英雄視する世間から押され、警察は、お気持ちから厳重注意に留めていた。

「とまあ雑談はそれぐらいして、そろそろ行こうか」

「今回の目的はこれ!」

「墜落現場をさまよう夫婦の霊!」

 三人は自画自賛するように拍手をする。

 パチパチと響く柏手の音は暗き霧に吸い込まれては消えた。

 この山には一つの噂があった。

 霧の濃い夜の山道に赤子を探してさまよう夫婦が現れると。

 目撃者曰く、明らかに登山に不向きの服装、子供はどこ、どこと譫言のように言葉を繰り返す。近づこうと近づけず、気づけば消えている。

「というネットの噂だけど、ぜってーこれ創作だろう」

「この山、霧出るの多いからブロッケン現象の勘違いだな。自分たちの映る影を幽霊と勘違いしたパターン」

「ブロッケン現象ってのはね、霧がたちこめる山で、日の出や日没時に太陽を背にして立つと、全面の霧に自分の影が映り込む自然現象のことよ。場合によっては、虹の光臨が見えて綺麗だから、昔の人は仏様の光と呼んでいたの」

 合いの手を入れるようにして素早い解説を入れる。

 濃霧立ちこめる真夜中の登山は、方向を迷わせる。

 ひとたび山道から外れれば、崖への滑落リスクも高い。

 特にこの山は、夜において霧の発生が他山より多く、過去、大正や昭和の時代では、霧により足を踏み外して滑落する者が後を絶たなかった。

 今では山道が整備され、山頂へ導く形で各所にソーラーパネル式簡易照明が設置されている。

 ふざけて道を踏み外さなければ、問題なく山頂までたどり着けた。

 もっとも、夜間・濃霧の中の登山を実行するなど地元でもしない。

「では、いざ出発!」

「今から出発すれば山頂に到着する頃には日の出を拝めるぞ」

「ひゃうぃごー!」

 三人の足と心を動かすのは、恐怖ではなく未知への探求心である。

 ヘッドライトの点灯を各々確認すれば、三つの光を頭に宿して山道に足を踏み入れた。


 濃い霧の中を歩くのは、雲の中を歩いている気分にさせた。

 空にいるような錯覚を抱かせ、地に足をつけていなければ、なお錯覚していただろう。

「山道にライトなかったら、この配信できなかったな」

「だよね。撮影前の事前下調べは大事だよ」

「いつぞやの海外の時は、ガチで怖かったし」

 黙々と山道を登る三人ではない。

 配信中なこともあってか、雑談を交えながら霧の中を山道のライトに沿って進んでいく。

 本来、山では携帯電話などの無線通信機器は使用できない。

 電波を扱う機能上、通信を中継する基地局の存在が必要不可欠だからだ。

 その基地局が設営されていないパターンが多い。

 昨今の山での遭難者急増の背景には、どこでも繋がると携帯電話を過剰に信頼した結果、遭難したパターンがあった。

 もっとも今では遭難防止のために山中に基地局が設置され、登山者の安全が確保されている。

 彼ら三人がこうして山中でも配信を続けられるのは、そうした技術的背景があった。

 ただ――

「幽霊出る前にクマと出くわしそうだな」

「おいおい、それフラグだぞ」

「もうやめてよ。突撃、おまえらで朝ご飯なんてお断りよ」

 何気ない雑談から出てきた背筋凍る発言。

 幽霊に襲われても血肉貪られないが、クマは容赦なく貪り喰らう。

 この山にはクマが、ツキノワグマが出没する。

 整備された通信インフラにて、クマ出没が確認された場合、ただちに報告される手はずとなっていた。

「ツキノワグマってヒグマより小さいとか子供の頃思ったけど、直に見たら感想変わったわ」

「そりゃクマはクマだぞ。イノシシだって小さくても大人ぶっ飛ばすぐらいの突進してくんだぞ」

「医療関係者の友達いるけど、イノシシに突撃されて大けがした患者診た時、太股から股まで引き裂かれて酷かったって話よ」

 その光景を想像した男二人は本能で内股となって身を縮こまらせる。

 北海道に跋扈するヒグマと比較して体躯は小さかろうと、あくまでクマ同士を比較した話。

 三国志で例えるならヒグマは呂布、ツキノワグマは関羽と、ただの人間では銃があろうと太刀打ちできぬ獣である。

 山住まうクマからすれば、目の前を歩く生き物など、二本足四本足鳥脚千鳥足関係なく腹を満たす餌でしかなかった。

「最近はクマ除けの鈴持ってても意味ないとか」

「鈴が鳴る=人間がいる=エサがあるって認識がクマの間で広がってるってどっかで聞いたな」

「クマって本来は臆病で人間が来るとすぐ隠れるのにね」

 人間を恐れないクマ。

 裏を返せば人間に慣れてきたクマの認識が大きい。

 クマの出現頻度は北海道・本州・クマ種関係なく増加傾向にある。

 一時は山でのエサ不足故、人里に降りてきた説が濃厚とされてきたが、昨今ではクマの個体数増加による縄張り争いが背後にあるとされている。

 縄張りを追い出されたクマが人里にエサを求めて降りてきた。

 当然、人里に降りれば、捕獲される。山に帰される。帰されても縄張りではないからエサはない。人里に降りる。また捕獲される。かわいそうと思った人間が食事を与える。食事を与えられたクマはエサがあると学習する。人がいる=エサを得られると学習すれば、人里に降りてくる。

 実際、餌付けされたクマが小学校に降りてきた騒動が起こっている。


 では問題である。


 クマが人間をエサと見なす瞬間はいつか?

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