第11話 信仰ーカイコー
「蚕って、糸を出す蚕ですか?」
紘真は学校で習ったことがあるので、蚕がなんであるかピンと来た。
「その蚕蛾だよ。今じゃ化学繊維に押されて需要はほぼないけど、昔は蚕蛾からとれる生糸は、貴重な収入源だったんだ」
蚕蛾の幼虫は蛹となる際、糸を出し、繭を作る。
その繭をほどいて糸状にしたのが絹織物の原料となる生糸だ。
「この地方には、月の出た夜霧の日に限って、空を飛ぶ蚕蛾が目撃されているんだ」
「あれ? でも蚕って飛べないんじゃ?」
疑問を紘真が口走れば、嬉しそうに青川は頷いた。
「その通り。普通の蚕蛾は羽があっても空は飛べない。いや正確に言えば、空を飛べぬよう人の手により品種改良されたから、が正しい」
「イノシシが豚になったみたいに?」
「うん、人と蚕の歴史は把握できているだけで五千年は遡ると言われている。けど古すぎて、起源がわからない。人の手で改良されてきたのは確かなんだ。普通の蛾のように空は飛べない。口はあるけど小さすぎるせいで食事はできない。十五日しか生きられないと人の手で世話をしなければ、自然界ではとても生きられない虫なんだ」
「あ、もしかして」
紘真は、青川が探している蚕蛾の正体に気づいた。
「その飛ぶ蚕ってもしかしたら、祖先である可能性が高いと?」
「祖先というより種の起源の可能性が高い、だね。もちろん、品種改良されぬまま自然界で生き抜いてきた野生種かもしれない。新種かもしれないし、亜種かもしれない。もしかしたらまったくの別種かもしれない」
箱を開けるまで中身がわからないと同じように、実物を捕まえるまでは断言はできない。
「起源なら本当に大発見じゃないですか」
学会を揺るがす発見となる可能性が高い。
「実際、クワコっていう空を飛ぶ蚕蛾の野生種はいるから、この山の蚕蛾が別種なのか、新種なのか、実物がないから、証明できないんだけどね」
語るだけ語った青川は困ったように苦笑するだけだ。
確かに論より証拠である。証明に至らせる証拠がなければ意味がない。
「特にこの山は夜に霧が張ることで有名なんだ。だから、この山ならと思ったけど、昼から霧に覆われて、こうしていると。けど勝美さんから有意義な話が聞けただけでも大収穫だよ」
「わたしゃ、子供の頃に亡くなったばあさんから聞いた話を話しただけじゃよ」
酔いが回っているからか、顔を赤らめた老婆は饒舌である。
老婆の年齢は不詳だが、祖母ならば、三世代前、逆算して昭和から大正ぐらいだろうと紘真は予測を立てる。
「ここら一帯は昭和の中頃まで養蚕や石炭で生計を立てていたんじゃが、石炭は掘り尽くして閉山、養蚕も時代の波に押されて規模を縮小、都会にどんどん人が出て行って村があった場所は今じゃキャンプ場ときた」
「あのキャンプ場、元々が村だったんだ」
石炭鉱山があったことにも驚きだが、利用経験のあるキャンプ場が、元々が村だったのに紘真は驚きを隠せない。
「廃村となった土地を、どっかの企業が買い取ってキャンプ地にしたんじゃよ。元々は人が住んでた土地。水源もあり、麓に続く直通の道もある。長年人が住んでた土地じゃ、一時的に寝泊まりするには便利じゃろう」
言い終えた老婆はグラスの中身を飲み干した。空となったグラスにボトルから褐色の液体を注ぐ。
「この若造にも言ったが、月の出た霧の夜に目撃されとる蚕蛾、恐らくじゃが<てふしろ様>じゃろうな。まあ滅多に目撃はされとらんし、ばあさんも自分のひいじいさんから話を聞いた程度とか言っておったわ」
「てふしろさま?」
紘真はオウム返しに聞いていた。様とつけるあたり、敬う存在なのは確かなようだ。
解説の目線を青川に向ければ、待ってましたと言わんばかりにほくそ笑む。
「養蚕を収入源としていた人たちは、生糸の安定供給のために神に祈っていたんだ。蚕蛾の育成は手間暇かかるけど比較的早く繭を作るから手早い収入になる。けど一方でネズミや病気、寄生虫で蚕蛾がダメとなってしまう。タバコの葉が収穫時に出すニコチンで幼虫が全滅したって例もある。昔は今みたいに無菌室なんてないし、エアコンもないから温度調整もできない。全てが手探りだった」
「なるほど神頼みってことですか」
「地方によって異なるけど、ネズミの天敵である蛇や猫を祀っていたり、女性だったりするパターンが多い」
「蛇や猫はわかるんですけど、なんで女性?」
「卵を生むのは雌だからね。様々な苦しみを受けた果てに亡くなった女性が蚕に転生するという共通する話が多いんだ」
それに、と青川は続ける。
「古事記にオオゲツヒメという神様がいる。スサノオは聞いたことあるよね? そうヤマタノオロチを退治した神様だね。腹を空かせたスサノオはオオゲツヒメに食物を求めた際、様々な食物を受け取った。けど、不審に思ったスサノオが覗けば、鼻や口、尻から食物を取り出し調理する姿を目撃してしまう。汚い物を食べさせられたと激怒したスサノオはオオゲツヒメを殺してしまうんだ」
「気持ちは分からないけど」
「すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から栗が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれたんだ」
「はぁ~……ん?」
紘真は食物の成り立ちに感心するが、違和感を抱くのは早かった。
「他は植物や穀物なのに、なんか蚕が混じってる」
「お、良いところに気づいたね。そう、蚕はね、確かに生糸を出すけど、あくまで生糸は蛹を守る繭をほどいた物。少し脱線するけど、虫は種類によっては蛹から成虫になるもの、脱皮を繰り返して成虫になるのがいるよね?」
「確か、完全変態と、不完全変態の、はず」
変態とは成長過程で姿を変えることを指す。
性的な行為とは無関係だが、ヘンタイに意識が向いてしまうのは人間の性であり業だ。
「正解。手身近な虫で例えるなら、アゲハチョウが完全変態。カマキリが不完全変態となる。蛹は蝶や蛾、蜂など完全変態する虫が、最後の脱皮から活動をほぼ停止して成虫に近い形になっている状態を指すんだ。小さい頃、蛹を割ったことはあるかい? うん、変異の最中だからドロドロだったね。蛹は外部からの衝撃に弱いんだ」
「あ、それで繭を作るのか。繭は自分を守る部屋なんだ」
「またまた正解。蚕蛾は糸を出すだけじゃない。残った蛹はしっかりと食べられるんだ」
「い、今流行の昆虫食ですか」
紘真の苦き記憶が奮い起こされ、声を軋ませる。
幼き頃、祖父からイナゴの佃煮を口に放り込まれ、あまりの不味さに悶絶した経験があった。
本来なら、美味しくいただけるはずだが、どうやら祖父は、イナゴの体内から糞を取り除くのを忘れていたのが、不味さの原因であった。
「貴重なタンパク源なんだ。実際、大陸や東南アジアでは一般的だし、日本だって海のない地方は貴重な食料として重宝されてきた。繭から生糸を解いたら、残るのは蛹だけ。無駄なく活用していたんだ」
「あ~それで食物に蚕が出てきたわけか(そういや、長野のスーパーで買い物した時、蚕の蛹が普通に売ってたな)」
虫一匹だろうと、人と古くから関わってきた歴史があると学ばされる。
「この地方では<てふしろ様>と呼ばれているけど、ほかには、おかいこさま、おしらさま、おしろさん、くわご、あとと、うすま、しろさま、ひめこ、もつく、こなさまと土地の数だけ様々な呼び方があるんだ」
「そうよ、特にここら辺は、蚕蛾のことを<てふしろ様>と言って崇めていたそうさ」
老婆は空となったグラスにボトルの中身を注ぎながら言う。
部屋に入った時、半分あったボトルは空に近づきつつあった。
「特に<てふしろ様>から直々に与えられる卵から孵った幼虫は、白夜のような艶やかな糸を出すとして重宝されとった。夜、霧が出た山に入ってはならないってのも、<てふしろ様>が、今山におられるから、羽ばたきを妨げてはならないって教えだよ。漁師が海に行かされているように、蚕蛾に生かされているからこそじゃな。それだけじゃない。蚕蛾や生糸を粗末に扱う輩は、<てふしろ様>が罰を与えに現れると伝えられとった」
「罰、ですか?」
「むか~し昔、聞いた話じゃが、化学繊維に移行するからと、蚕を世話することなく捨てた男がおったそうじゃ。その晩、霧が出ているのに村の者が止めるのも聞かず、突然、村の外に飛び出しおった。翌朝、全身に生糸が絡まった状態で死んでおったそうじゃ。他にも蚕の餌となる桑の葉を腐ったまま与えた女は、全身が干からびた状態で発見されとる」
「あくまで、聞いた話ですよね?」
「あくまで、聞いた話じゃよ?」
恐る恐る聞き直す紘真だが、この手の昔話は、実体験からの戒めが根底にあった。
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