第35話 白衣ーミイラー

「なんでよ! いつからなの!」

 柊が混乱するのは当然のこと。

 慎重に進んでいたはずだ。

 虫人間の影形はなくとも警戒は疎かにしていなかった。

 気づけば、身に覚えのない場所にいて、通った覚えのない靴跡に混乱している。

 いつから、と疑問を抱くのは無駄。既に敵の罠だとしても、物事には予兆があるはずだ。それがまったくなかった。引き返すのは正しい判断だろうと、正しい道がわからない。

「え、嘘、だろう」

 絶句を加速させるのは紘真が腕時計を見た時だ。

 坑道内に踏み入る前は、夕刻前だったはず。腕時計が指し示す時刻は既に夜に至っている。

「俺たち、何時間も坑道内を歩いていたのか!」

 改めて自身の状態を確認すれば驚愕の上塗りでしかない。

 誰の衣服も土埃で汚れ、特に足まわりの汚れが激しい。

「へ、減ってる」

 肩にかかるリュックの重さに、まさかと紘真は中を漁る。

 中には飲料水や食料が入っていた。どれも未開封のはずが、開封されており、量が減っている。

 誰が食べたか、誰が飲んだか。答えは誰の口元が明確に語っていた。

 紘真は袖口で口元の汚れをぬぐい去る。

 身体の疲労感はあろうと、重さを感じさせぬのは小刻みに休憩を挟んだからだとしても、異常だった。

「それなら私たちは白昼夢でも見ていたというのか?」

「いえ、見たんじゃなくって見せられたんだと思います」

「誰によ?」

「てふしろ様」

 その伝承には暇がない。

 幻覚を見せるとあるからこそ、三人は気づかず、奥まで足を踏み入れていた。既に術中にはまっている。下手に動けば動くほど、蜘蛛の糸のように絡み、動きを縛られるはずだ。

「どうするか、いや、試すか」

 相手が補食生物ならば、巣にかかった獲物を補食しているはずだ。

 行わないのは、最後の一歩まで獲物が進んでいないからだ。

 動物だろうと昆虫だろうと、ただ獲物がいたから襲うのではない。

 獲物をしとめられる距離までギリギリまで詰めて襲いかかる。

 チーターが良い例だ。チーターは確かに最速の動物だがスタミナは最短。それ故、獲物を捕まえられるギリギリまで茂みに身を潜め、距離が縮まった瞬間、爆発的な加速力で一気に距離を詰めて捕獲する。

 紘真は、八mm金属球をスリングショットのゴムにつがえては、まずは正面の通路と、ほの暗き先に打ち込んだ。

 金属だろうと小さい故、横風に弱いが、坑道内だから影響は微々たるもの、軽く遠くまで飛ぶ故、弾には打ってつけだ。

 風鳴り音がしてしばらく、壁に当たったのか反響が響く。緊張と静寂が鼓膜に響き、心臓の高鳴りが頬に汗を落とす。

 次と、同じ要領で別の通路に木片を撃ち込んだ。四つ目は音がしなかった。ただ転がる音が小さく聞こえた。

『ングッ!』

 六つ目の奥からは何かくぐもった音がした。

 三人は合わせなくとも同時に身構えるも、六つ目の奥からは嘘のように音が止む。

 やや間をおいて警戒したが、飛び出してくる気配はない。

 一定の範囲からは敢えて動かない習性なのだろう。

「よし、私が先に」

 通路の安全を確かめんと陽川が一歩踏み出した時だ。

「ぐっ!」

 背後に立つ柊が唐突に潰れた声を上げる。

 紘真と陽川が振り返った時、柊を五つめの通路に引きずりこむ影を捉える。

 ライトに一瞬だけ柊を引きずる込む影が照らす。背後から柊の口元を人の手で押さえつけ、声を出さずにしている。ここにきて別なる人の姿で化けてきた。

「柊さん!」

 罠だろうと動かぬ紘真ではない。左腕の痺れの反応がなかろうが、目の前でこれ以上、連れ去られるのを見ていられぬと飛び出していた。

「こいつ!」

 飛び込んだ先で柊の姿を、そして引きずりこんだ影を見つけた紘真は、拳を握りしめて殴りかかる。

「嘉賀くん、ストップ!」

 影に殴りかかる瞬間、あろうことか止めたのは柊だ。

 後追いで来た陽川が、ライトで影を照らすなり、正体に両目を見開いた。

「あ、青川さん」

 大学の研究室から連れ去られた柊の恋人だった。

「はぁはぁ、そっち、に進んだら、ダメだ。こ、こっち、だ」

 息も絶え絶えだろうと、土汚れ場目立つだけで負傷らしき負傷は見あたらない。目だって複眼ではなく人間特有の単眼が二つ、ただし妙にタバコ臭かった。

「力弥くん、だ、大丈夫なの!」

「い、いいから、僕に、ついてきて、い、急いで!」

 身を案じる恋人の声を振り切るように、青川は身体をよろけさせながら、壁伝いに先を進む。見かねた柊が青川の肩を支えて歩く。

「タバコ臭い」

「あははは、理由は、後で、話す、よ」

 壁伝いに右に右にと進んでいく中、たどり着いた先は行き止まり。

「ここ、だよ」

 青川が言うなり、その身を土壁に吸い込ませた。いやよく見れば、大人一人が通れる隙間がある。暗闇だからこそ、気づけなかった。

 荷物もどうにか通れるため、身を押し込ませるようにして通り抜けた。

「ここは休憩所ですか?」

 陽川が先に感じたのは土臭さを上書きするタバコ臭さ

 次いで反響する声で相応の広さがある空間だと気づく。

 炭鉱には作業員が休憩するスペースや万が一、崩落に巻き込まれた際の避難所がも設けられている。

 ここもまたその一つだろう。ただ換気設備が停止した坑道内で臭いが充満するのは致命的のはずだ。

「元、みたいだよ、うっ」

 絶え絶えの息で青川は木製テーブルにあるランプに火を灯した。淡い光が室内を照らし全容を露わとする。

 紘真は柊の視線に気づけば、すぐさまリュックを渡す。

 リュックから飲料水を取り出せば、息が絶え絶えの青川にゆっくりと飲ませていた。

「なんだ、ここは」

 一方で紘真は全容露わとなった室内に驚愕する。

 元は作業員たちの休憩所だったのだろうと、机や棚があり、壁際には色あせたメモ書きや写真がピンで張り付けられている。棚の中には薬液付けされた標本。写真も標本も、どれもが蚕蛾の幼虫や成体ばかりだ。

 しかも、どれもが手の平以上のサイズを持つ蚕蛾ときた。

 そして、金属トレーの上で、仏壇前の線香のように、煙をくすぶらせるタバコがあった。

「もしかして、ここって」

 タバコの煙と臭いに顔をしかめながら紘真は、嵐の夜、山小屋で老婆が語った話を思い出す。

「蚕蛾の品種改良をしていた人の研究室なのか?」

「そういえば、勝美さん、そんな話していたわね」

「といいますと?」

 当時、山小屋にいなかった陽川が話を振りながら、煙くすぶるタバコを消そうとした。

 タバコは仕事のつきあい上、慣れているが陽川自身、吸ってはいない。特にここは地下空間、換気が不十分な空間には毒だ。未成年だっている。

「それを消しちゃダメだ!」

 穏和な見かけを裏切る青川の張り上げた声。恋人として青川をよく知る柊ですら、彼の知らぬ一面だったのか、ボトルを手に驚き固まっている。

「タバコを消したら、あいつが、来る。来るんだ。そして」

 絶え絶えの息で青川は、部屋の隅、ベッドを指さした。

 休憩用のベッドだろうか、六つ並べられたその一つが人間サイズに盛り上がっている。

 シーツが上からかけられており、陽川は用心を重ねながら、めくりあげる。

「こ、これは!」

 シーツの下には白衣の人間がいた。

 

 ――ただしミイラ化していた。

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