第54話復員
なんだか、初めて見る夢だった気がした。
紋次郎がゆっくりと目を開けると、自分の身体が、何だか妙な格好で引きずられている。
「あ、エレーナさん! お兄が気がつきました!」
エレーナ? それはアレクセイの婚約者だったのでは。
一瞬、誰かと記憶が混濁したような気がして、紋次郎はこめかみに強い鈍痛を覚えて眉間に皺を寄せた。
苦労して目を瞬き、横を振り向いた先では――なんだか、泣きそうな表情で自分を見つめている、エレーナ・ポポロフの顔が――驚くほど近くにあった。
「え、エレーナさん……!?」
「やっと……やっと気がついたのね、モンジロー」
「え!? あれ!? おっ、俺、どうしたんだ!?」
「お兄はね、エレーナさんと下校する最中、後頭部に隕石が降ってきて気絶したんだよ」
隕石? 意味がわからずに横を見ると、制服姿の寿がいて、自分の左肩を抱えて紋次郎を引きずっていた。
「あ、あれ? 寿? なんでお前、ここに……!?」
「たまたま通りかかったら道でお兄が死んでたからさ。エレーナさんだけだと引きずるのに苦労するかと思って」
「おっ、お前、ちょ、何があったんだよ!? 隕石だぁ!? んなことあるわけが……!」
「そんな事言われてもなぁ。アレは確かに隕石でしたよね、エレーナさん?」
「えぇ。物凄く大きな隕石だったわね。博物館に売ったら高く売れたはずよ」
「え、えぇ……!? だ、だって確か俺、エレーナさんと仲直りしようとして、エレーナさんを追いかけて……!」
「あら、そうだったかしら? 夢でも見てたんじゃない?」
ケラケラと機嫌よく笑ったエレーナに、紋次郎は顔を歪めた。
だがとにかく、笑ったエレーナの顔にはもう一週間に渡った冷戦状態の影はなく、元通りの表情になっている。
とにかくよくわからないが、仲直りには成功したのか……それだけは確かな気がして、とりあえず紋次郎は安堵することにした。
「しかし、流石の『不死身の船坂』の子孫も、後頭部に隕石が直撃すると失神するのね。トラックと激突しても失神しなかったのに、紋次郎ったらものの見事に伸びちゃって……」
「う……お、俺だってそんな無敵とか不死身なわけじゃないだろ。エレーナさんって俺のこと何だと思ってるんだ?」
「そりゃあ、やたらと頑丈で力が強いだけの、ただの男の子だと思ってるわよ」
エレーナは再び、ケラケラと笑ってから……急に笑みを消して、紋次郎の目を覗き込んだ。
ただでさえこの至近距離、その上顔まで近づけられたら――。
吐息がかかりそうな位置に近づいたエレーナの顔に赤面すると、エレーナが怖いぐらい真剣な口調で言った。
「もう金輪際、私を助けるために無茶はしないこと。その上でこの間みたいなことをのたまったら、もう二度と仲直りしてあげないからね」
その真剣な口調に、思わず紋次郎は押し黙った。
おっ、おう……と思わず気後れしながら答えると、さて、とエレーナが雰囲気を切り替える声を発した。
「全くコトブキちゃん、コトブキちゃんも苦労するわね。こうも鈍感なお兄さんを持つと」
「えぇ、そうですねエレーナさん。本当にこの兄と来たら鈍感で困りますって」
「え? 急に何? なんでふたりともそんなに急に仲良くなってんの?」
「そりゃあ、宿敵同士だもの。エレーナさんと仲良くなってるのがお兄だけなんてズルいじゃん?」
そう言って。エレーナと寿は引きずっている紋次郎越しに見つめ合い、えへへと笑い合った。
なんだか、何が何なのかサッパリ……多少ゲンナリする気持ちで引きずられていた紋次郎は、そこであることに気がついてハッとした。
「あれ? え、ちょ――ふたりとも、俺を引きずってどこ行くの? 家は反対じゃん?」
「そりゃあ、頭に隕石が激突したんだもの。精密検査しに病院へ」
病院、精密検査――。
その言葉を聞いた瞬間、紋次郎は激しく怯えて、引きずられているままのつま先に力を込めて抵抗した。
「び、病院――!? 精密検査!? ちょ、は、離して! 離してくれエレーナさんも寿も! 病院には一週間前に行ったからもういい! もういいって!! この間のアレであと十年は間に合ったから……!」
そう言った途端、紋次郎を無視して、エレーナと寿が視線を交差させた。
「コトブキちゃん、やっぱりこうなったわね」
「えぇ、対応を検討しておいて正解でしたね」
「は――? 対応? ふたりとも何を……」
「モンジロー、ちょっと自分で立てる?」
「え? あ、ああ……」
そう答えると、二人は紋次郎の両腕を離し、エレーナが紋次郎の前に、そして寿が背後に立った。
何をする気だ? 紋次郎が片眉を上げた、その瞬間――。
寿の腕が電撃的に動き、紋次郎を羽交い締めにした。
「んな――!?」
「エレーナさん、よく狙って。割と本気で蹴飛ばさないと失神しませんよ?」
「ええ、わかってるわ。これでも小さい頃はロシアンサンボ習ってたから、蹴る力には自信があるの」
言うなり、エレーナは右足を持ち上げ、デモンストレーションをするかのように蹴る動作を繰り返した。
まさか、検討された対応って――!? 一週間前の地獄が脳裏に呼び起こされて、紋次郎はいっぺんに蒼白になった。
「ちょ、ちょちょちょ!? エレーナさん!? 何をやる気ですか?! 何その動き!? 蹴る力に自信があるって何!? 何をするの!?」
「何をやるか、って……少しあなたに寝ていてもらいたいの。大丈夫、潰すようには蹴らないから」
「や、やめろォ! そんな臆面もなく肯定するな! 何が大丈夫なんだよ!? そんな長い脚で蹴り潰された死ぬ! 流石に俺と言えども死んじゃうから――!」
「エレーナさん、それじゃあお願いします」
「ああああああ! 勝手にお願いするな! わかった行く! 病院には自分の足で――ああーッ!!」
既に日が暮れかけた街に――紋次郎の絶叫がこだました。
◆◆◆
いよいよ本日完結します。
完結話は17:00に投稿します。
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