第33話推しアイドル激ハマり戦

 その後、なんとかエレーナと寿がそれぞれ満足の行くワイシャツを一着ずつ購入した後、紋次郎はメタメタに草臥れていた。ワイシャツが入った袋を手に提げ、ショッピングモール内の椅子に座り込んで項垂れる紋次郎を、エレーナが腕を組んで見下ろした。


「もう……そろそろお昼よ。シャキッとしてちょうだい。何を多少ファッションショーしたぐらいでメタメタになってるのよ」

「草臥れるだろ……あんなに取っ替え引っ替え、俺を好き勝手にしやがって……もう疲れた。俺は当分動けそうにないぞ……」

「ねぇお兄、私喉乾いたからスタバ行きたいんだけど」

「勝手に行ってこい! お兄ちゃんはしばらくここで充電する! テコ使っても絶対動かんぞ!」


 紋次郎が裏返った声で言い張るのを呆れたように見てから、寿は代わりに、というようにエレーナを見た。


「仕方ない、エレーナさん。ちょっと付き合ってもらえます?」

「うぇ?」

「この際に少しエレーナさんとも仲良くなっておきたいですから。エレーナさんも私たちの宿敵として、私の方の調査も必要でしょ?」


 そうは言ったものの、寿の視線や表情には特に敵意や企みは感じなかった。思わず頷いてしまうと、「それじゃ一緒しますか!」という快活な声とともに、寿はショッピングモールの奥へと歩き出した。


 なんとなく気後れしてから、少し早足になってその背中に追いつくと、寿がニヤリと笑ってエレーナを振り返った。


「さっきはなかなかいい戦いでしたね。エレーナさんが奮戦してくれたおかげで日本海海戦ぐらいは勝てませんでしたね」

「……何言ってるのよ、アレはロシア側の勝利よ。今回はトーゴーに華麗なる敵前ターンを許したつもりはないけど?」

「あはは、エレーナさんって強情ですねぇ。それでこそ我が家の宿敵だ」


 寿がケラケラと笑い、手を後ろ手に組んでエレーナの顔を覗き込むようにした。


「しっかし、お兄から話を聞いた時は驚きましたよ? エレーナさん、本当にウチの先祖のことが好きなんですね。子孫を探しにわざわざロシアから日本に来るなんて……」

「当然じゃない。小さい頃から何回その話を聞かされたと思ってるのよ。ポポロフ家では『不死身の船坂』の存在は伝説よ。その子孫はどんな人間なんだろうってずっと思ってたけど……兄はともかく、その妹は予想していた以上の曲者らしいわね」


 そこでエレーナは少し憎らしげに寿を見た。なんのことですかぁ? の意志を込めて、寿も笑った。流石はアイドル、毒気なく笑顔を浮かべるのは得意であった。エレーナはその笑顔にますます苛立ったように口元を歪め、ぷい、と前を向いてしまう。


「ねね、エレーナさんの一族では、ウチの先祖ってそんなに有名なんですか?」

「そりゃもう。祖父から何回も何回も聞かされた話以上に『不死身の船坂』については知ってるわよ」


 エレーナは得意げに説明を始めた。


「『不死身の船坂』――あなたの曽祖父の父は、ロシア軍側には『Росомаха』と呼ばれて恐れられていたのよ」

「ろそまは――?」

「そうね……確かヤポーニャでは、クズリと呼ばれているはずの動物よ。身体の大きさに見合わず物凄く凶暴で、クマにすら恐れることなく襲いかかる大陸の動物。あなたの祖先にはピッタリの渾名よね」


 エレーナの方も得意げになって説明を始めた。


「あなたの曽祖父の父、船坂佐吉は凄かったのよ。旅順要塞の第三回攻撃作戦では白襷隊――いわゆる決死隊としても参加してるわ。その時の攻撃はロシア軍の鉄壁の守りで成功しなかったようだけど、船坂佐吉は早くもロシア兵を数十名も仕留める大手柄を立てたと言われてるわ」


 エレーナは人差し指を立てながら長口上を述べる。


「だけど、何と言っても船坂佐吉を有名にしたのは死の丘の戦い――いわゆる二〇三高地攻略戦ね。この総攻撃でロシア軍は約六千名の戦死者を出したと言われるけれど、その中の少なくない数が船坂佐吉の捨て身の特攻攻撃によって斃されたと言われてるわ。この戦いで船坂佐吉は九日間に渡った総攻撃の最後、二〇三高地の頂上に日本の日の丸を立てた兵士の一人ともなった。この戦いであなたの先祖は一説には百数十名のロシア兵を討ち取る大手柄を立てたとも言われていて――」


 不意に、何だか妙な沈黙が落ちた。


 ん? と隣を見ると、寿が視線を伏せて何事かをブツブツと呟いている。


「ろそまは――アレって、クズリって意味だったんだ……」

「え?」

「あ――いや、何でもないんです。独り言独り言」


 エレーナの驚きに、寿が何かをごまかすかのような笑みを浮かべて首を振った。なんだかその表情が青褪めて見えたのは気のせいなのだろうか。エレーナはなにか不審なものを感じたが、それを口にするより先に寿がなにかに気がついた表情になった。


「ねぇ、ウチの先祖ってロシア側からは、その、ろそまはって呼ばれてたんですよね? なんでエレーナさんはその名前で呼ばないんですか?」


 おお、この少女、見た目によらず鋭いところもあるではないか。


 少し考えてから、エレーナは柔和に微笑んだ。


「そうね……それはね、その名前が彼には似合わない名前だと思うからよ」

「んえ?」

「コトブキちゃん、こんなこと言っておいてなんなんだけど、私の先祖とあなたの先祖は確かに宿敵同士だった。でもね、反対に、友人同士でもあったの」


 エレーナがそう言うと、寿がぱちぱちと目を瞬いた。


「私たちはね、これでもちゃんと知ってるのよ。あなたの先祖――『不死身の船坂』が、血に飢えた野獣なんかじゃなかったことを。ちゃんと血の通った、優しくて、共に会話していて楽しい人だったってことをね。そう、ちょうどあなたのお兄さんのような……」


 兄のような。その言葉に、寿が首を傾げた。


「『不死身の船坂』がお兄に似てた、って、それは一体どういう……」

「それはまだ話せないわよ。私はもう少しあなたがたのことを知るまでは宿敵でいたいの。今はこちらが知ってるすべてを話すことはしません。残念だったわね」


 そう言って微笑むと、寿ははぐらかされたことが悔しかったのか、少し頬を膨らし気味にした。その子供っぽい所作を見て、エレーナも思わず笑ってしまった。ただの小生意気な少女だと思っていたが、紋次郎が「俺に似ずに可愛い妹」と手放しで褒めそやすのも、この表情を見ていれば納得してしまいそうになる。


 ――と、そのときだ。近くから聞き覚えのある音楽が流れてきて、ふとエレーナは足を止め、音のした方を見た。


 CDショップの入り口に置かれたディスプレイの中に――昨日寝落ちするまで見ていた『La☆La☆Age』のライブ映像が流れていた。おおっ、と声を上げ、思わず駆け寄って眺めると、背後にいた寿がちょっと驚いたような空気が伝わった後、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる気配がした。


「この曲、『La☆La☆Age』の『らぶりーこーる』じゃない!」

「えっ?」

「人気のアイドルグループとは聞いていたけど、本当に人気があるのね! 相変わらずキレッキレのパフォーマンスだわ! 素敵――!」


 エレーナが思わずディスプレイの中に夢中になっていると、背後にいる寿がおずおずと尋ねてきた。


「エレーナさん、もしかして、『La☆La☆Age』お好きなんですか?」

「いいえ、ハマりたて。この間モンジローにライブDVDを借りたの! そしたらどの娘も凄く可愛らしくて、ダンスが上手くて――! 特にこのセンターを飾ってるKoto☆って子のパフォーマンスが凄いの! コトブキちゃんも見て見て!」


 エレーナが思わず背後を振り返ってKoto☆を指差すと、なんだかぽかんとした表情の寿が、やおら声を出して笑い始めた。


 その反応に戸惑ってしまったエレーナがまごついても、両手で腹を抱えての寿の笑い声はしばらく治まることなく響き続けた。


「エレーナさん、意外すぎ……! まさかそんな、たった一日でハマっちゃうなんて……!」


 ケラケラと心底可笑しそうに笑った後、寿は目元の涙を拭い、エレーナに向き直った。


「エレーナさん」

「な――何?」

「エレーナさんのこと、半日ぐらい観察させてもらいましたけど……なんかもう、今のでわかっちゃいました。思ったより悪い人じゃないんだな、って」


 寿の言葉にエレーナが再び戸惑うと、寿が何故なのか苦笑いした。


「全くもう……本当はもう少し邪魔するつもりだったんだけどなぁ。そんないい顔で応援されたら、幾ら私でも今回これ以上はエレーナさんを邪魔できませんね。仕方ない、お邪魔虫は退散しますか」


 何だかよくわからないことを言って、寿はエレーナの顔を覗き込んだ。


「エレーナさん、私ちょっと用事を思い出したので、少し中座します」

「え? チュウザって――?」

「いなくなります、ってことですよ。後はお兄と二人、水入らずでデートしてください。私は適当に時間つぶして、帰る時に合流しますから」

「で、デートって……! あ、あのね、これはちゃんとした調査であって……!」

「あはは、顔真っ赤にしちゃって可愛い人だなぁ。なるほど、調査か。ならひとつ、お兄について有益な情報を教えちゃいます」

「え、モンジローについての情報――?」


 ニヤニヤと笑って、寿はそっとエレーナの耳元に口元を寄せて、そっと耳打ちした。


「エレーナさん、お兄はああ見えて、かなりのおっぱい星人なんです」

「うぇ――?」

「もうね、デカけりゃデカい程いいと思ってます」

「そ、それはどういう――」

「そのままの意味、ですよ。これでも妹ですからね。兄専用のパソコンがどんなエロ画像で埋まってるかぐらいは知ってますよ。――エレーナさんのこのお宝具合なら、お兄は絶対気に入りますから」


 そこで寿は人差し指でエレーナの胸をつんつんとつついた。「ちょ、ちょっと……!」と思わず身を捩ると、寿が最後に付け足した。


「ちゃんと頑張って、お兄のズナコームィじゃなく、パドルーガになれるように努力してくださいね?」


 全く予想していなかったその言葉に、エレーナの顔面に物凄い勢いで血が昇った。今、この娘はなんと言ったのだ? ズナコームィ友人ではなくパドルーガ恋人――? 思わぬところで聞いたロシア語の響きに思わず絶句してしまうと、ニヤリ、といやらしく笑って、寿は跳ねるかのような足取りでどこかへと去っていった。


 まだ――顔が熱かった。パドルーガ。あの妹がどうしてそのロシア語を知っていたのかはわからなかったけれど、とにかく、エレーナが思ってもないことを口にしたのは確かであった。


 呆然と立ち尽くしていると、「おおーい、エレーナさん」という気の抜けた声とともに、紋次郎が背後から歩いてきた。


「あれ、まだスタバ行ってないの? それと寿は?」


 紋次郎の言葉に、エレーナはようやく口を開いた。


「コトブキちゃんは――何か用事を思い出したからいなくなる、って。帰るときに連絡してくれって――そう言ってたわ」

「えっ、用事? なんだアイツ、必要な買い物なら一緒についてったのに」

「いっ、いいじゃない、本人が一人でいいって言ってるんだから! ほ、ほらモンジロー、スターバックスはいいから次のお店回りましょう! 私だって色々見たいものあるのよ!」


 そう言って、エレーナは紋次郎の右腕を取った。うわっとたたらを踏んだ紋次郎の肘に、エレーナは意を決して、思い切り胸を押し付けてみた。


 途端に、ビクッ! と紋次郎の身体が硬直した。おや、と思ってその顔を見上げると、見上げる形になる紋次郎の顔が少しずつ紅潮し始めた。一度だけ、紋次郎は何かを言いたげにエレーナの顔を見たが、数秒後には何も言わずに顔を背け、ごほん、とわざとらしい咳払いをした。


「……じゃ、じゃあ、俺たち二人だけで回るか」


 消え入りそうな声でそう言った紋次郎に、うん! とエレーナは大きく返事をした。



◆◆◆



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