第32話続・第二次日本海海戦
フンフンフンフン! と鼻息荒くワイシャツを選び、エレーナはやがて納得がいく一着のワイシャツを選びだした。全体的に白一色ではあるが、袖口を捲り上げるとブルーとグリーンの縁取りがしてあるタイプのシャツである。
これならスクールシャツとして許容範疇であろうし、何よりも涼しげでいいではないか。モンジローにはこういうクールなシャツが一番良く似合うのだ。なぜそう言えるのかというと、それがエレーナの好みだからである。
紋次郎が入っているはずの試着室の前まで来たエレーナは、そこで断ることもなくカーテンを開けっ広げた。
「モンジロー、コレ着てみなさい」
瞬間、ぎょっとしたように振り返った紋次郎と、バッチリ目が合ってしまった。紋次郎は試着室の中で下着シャツまで脱ぎ、上半身丸裸であった。
ギャ! と短く悲鳴を上げて、エレーナはワイシャツをその場に取り落とし、両手で顔を覆った。
「ももももも、モンジロー……!? あなたなにやってるの!? な、なんで上半身裸に……!」
「あ、いや、だって! あんまりエレーナさんも寿も戻ってこないから! 暇つぶしに自分の身体を見てみようかなと……!」
なんだかよくわからない言い訳をした紋次郎の身体は――締まらない言い訳の内容とは裏腹に、それはそれは物凄い身体だった。
ジュードーはやめたと聞いていたが、地味に筋トレにでも励んでいたのか、それともこれも特異体質故なのか。まるで古のギリシャ彫刻のような、物凄く陰影のある身体つきである。筋繊維の束で織られたような身体はこれ以上ない雄々しさとしなやかさとを併せ持っており、エレーナの目からでも、その筋の一本一本までくっきりと観察できる。これが、これが一体、同年代の青年の身体であろうか。
「す、凄い身体……!」
思わず真っ赤になった顔のままでそう言ってしまうと、紋次郎も赤面し、乙女そのものの所作でもじもじと身体を捩った。
「え、エレーナさん、いっぺんカーテン閉めてくれるか? ちょっとあんまりジロジロ見られるのは……!」
「え? あ、ああごめんなさい。じゃ、カーテン閉めるわね。その間に服を着て」
「お、おう……」
エレーナはカーテンを閉め、取り落としたワイシャツを拾い上げて腕に挟んだ。ドキドキ……と、心臓が今までの人生で一番うるさかった。
それは正しく、幼い頃から何度も何度も空想した「不死身の船坂」の、不死身の身体そのもの――思わぬところで見ることが叶ってしまった肉体に、エレーナの胸は凄まじく高鳴った。
もし、もし紋次郎が妙な気を起こして自分を押し倒してきたりしたら、全く抵抗することなどできそうにない身体つき――そう考えるだけで頭がぐるぐると回転し、目が潤み、何故なのか唾液が大量に分泌される。
ごくっ、と口内に溜まった唾を飲み込み、胸に手を当てて高鳴りを堪えていると……「開けるぞ」という声とともに、紋次郎が黒い下着シャツ一枚で現れた。
「も、モンジロー……シャツ、着ちゃったのね……」
「な、なんでエレーナさんが残念そうなんだよ……。見せもんじゃないんだぞ」
「み、見せもんじゃないにしても凄すぎるわよ……今度腹筋触らせなさいよね」
「えっ、ええ……!?」
「あ、いや、いつでもいいのよ!? ……とにかく、これ選んできたから着てみて」
エレーナがおずおずとワイシャツを差し出すと、紋次郎が壁にあるフックにハンガーを掛け、ボタンを外して着込んだ。シュルシュル、というじれったいような衣擦れの音がした後、紋次郎が「サイズはピッタリだな」と安堵したように言った。
これは……エレーナはワイシャツを着た紋次郎を、頭のてっぺんから爪先まで見た。ヨレヨレだった古いワイシャツとは違い、ノリの効いたワイシャツを着ると、見栄えが数段もよくなった気さえする。エレーナはむふーと鼻から息を吐いてふんぞり返った。
「ふーん、モンジロー、やっぱりあなたは服装にさえ気をつければ全然見れる男子になるじゃないの。私の服装のチョイスがいいのね!」
「い、いや、だからただのワイシャツだろ? それだけでそんなに変わるわけが……」
「何言ってるのよ、少し色味が入ってるせいで普段よりずっと爽やかよ! よーし、私の選んだのはこれで決定ね! 流石にこのセンスにはコトブキも敵わないはず……!」
「あれ、エレーナさんもう戻ってきたんですか? 早いッスね」
寿と口にした途端、その本人の声が聞こえて、エレーナは振り返った。そこには、右腕に何着ものワイシャツを抱えたコトブキが立っていた。
「エレーナさん、もしかして一着しか選んでないんですか? 私は何着か選びましたよ? 何せお兄は何着ても似合っちゃいますからね。選ぶの大変でした」
言うが早いか、寿は失策を悟りつつあるエレーナの隣に来て、更衣室の中でエレーナが選んだワイシャツを着込んだ紋次郎をしげしげと見つめた。
「ふーん、なるほど。エレーナさん、意外にシンプルなデザインが好きなんですね」
ニヤ、と寿はエレーナを見つめて含み笑いをしてから、自分の持ってきたワイシャツを紋次郎に押し付けた。
「ほらほらお兄、ボサッとしてないで早く脱ぐ! 今度は私が持ってきたシャツを着るの!」
「おっ、おう……ちょっと待ってな、今脱ぐから……」
紋次郎が手早くワイシャツのボタンを外し、今度は寿が持ってきたワイシャツを着込んだ。これは色は全くついていないタイプだが、胸元にワンポイントでクマの刺繍が施されている。これは――確かにちょっとカワイイと思ってしまうのが悔しい。
紋次郎がボタンを乱雑に留め、「ど、どうだ?」と正面に向き直ると、寿が手を叩いてはしゃいだ。
「やっぱりお兄はこういう系が似合うよね! 結構身体がガッチリしてるから、こういうところでハズすとギャップがあってより可愛い! やっぱり日本のカワイイは最強だよ!」
最後に当てつけのように「日本の」とつけて、寿がチラリとこちらに目配せしたのを、エレーナは当然見逃さなかった。その流し目にかなりムッとしたエレーナは、くるりと踵を返し、そこら辺にあったワイシャツの一着をふん掴むや、寿を押しのけてずいっと紋次郎に差し出した。
「……モンジロー、早くそんなダサいワイシャツ脱ぎなさい。あなたに似合うのはこのワイシャツよ」
思わず、人を殺した直後のような声が出てしまった。考えて選んだわけではない、ただただ寿が選んできたワイシャツを脱がせるための、ピンク一色のワイシャツである。
「えっ、えぇ……!? エレーナさん、それ物凄く色ついてんじゃん……!」
「だから何?」
「だ、だから何、って……!?」
「いいから早くそれ脱いで! あなたは黙ってこれを着ればいいの! 早く!」
「わっ、わかったわかった! ちょ、ワイシャツ引っ張らないで! ボタン取れちゃう……!」
「あっ、エレーナさんずるい! お兄はまだ私の選んできたワイシャツ全部着てないじゃん!」
「やかましい! 一着一着交代で着せたらいいじゃないの! モンジロー、早くコレ着なさい!!」
「うわ!? ちょ、わかったわかった! ブレークブレーク! 後でちゃんと着るから……!」
その後、実にたっぷり一時間も大騒ぎは続き、ワイシャツを選び終わった頃には昼近くになっていた。
◆◆◆
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