第34話普通にデート戦

 あちこちの店をひやかして、色んな商品を手にとって、昼はエレーナの希望でラーメンを食べた。


 色んな服を着たり、着せたりして、様々なお話をして、呆れるほど笑った。


 エレーナにとっても人生始めてとなる同年代の異性とのデートは、それはそれは充実した時間だった。


 遊んで、話して、食べ尽くして……気がつけば、そろそろ午後五時に差し掛かろうとしていた。


 ショッピングモールを出て、横並びに歩道を歩きながら、紋次郎がぽつりと呟いた。


「楽しかったなぁ」


 なんと答えようか迷って――エレーナも結局、素直に同意することにした。


「ええ、楽しかったわね」


 この一日で、お互いにそういうやり取りが普通になっていた。小難しいことを考えなくとも、お互いになんとなく考えていることがわかるようになっていた。


 けれど――その先はいくらなんでも、エレーナの口からは言い難かった。思い切って、エレーナは違う切り口で水を向けてみた。


「モンジロー、そろそろ帰りのバスの時間でしょ? コトブキちゃんを呼んだら?」

「ん? うん……そうだな」


 紋次郎が消極的に同意して、スマホを取り出した。


 だけど――紋次郎は何かを迷ったまま、操作することなく、もう一度スマホをズボンのポケットに押し込んでしまった。


「モンジロー……?」

「いいじゃん、バスの時間まで少し時間があるんだから。それに寿だってもう高校生だ。バスに乗り遅れたって、一人で帰れる」


 その言葉に、少しだけドキドキしてしまったのは秘密だ。もう少し、もう少しだけ、この時間が長く続いてほしい――明確にそう言った紋次郎の言葉に、何も言うことなく頷いたエレーナは、そっと、そんなことを言った紋次郎の横顔を伺った。


 紋次郎はまっすぐ前を見つめ、すっかりと傾いてしまった太陽を食い入るように見つめていた。その横顔は何かを言い出そうと迷っているかにも、今日という一日が終わってゆくことを惜しんでいるようにも見えた。




 多分、モンジローの考えていること、言いたがっていることは、私も同じこと――。




 思い切って、エレーナは言ってみることにした。


「モンジロー」

「何?」

「帰りたくないわね」

「――うん」


 紋次郎が頷いた。ただ頷くだけで、結構勇気のいることだったはずだ。


「もう少し、もう少し遊んでいたい、私」

「そうだね」

「明日になったらもう、今日みたいに楽しくなれないんじゃないかって、そう思う」

「それは――嫌だね」


 エレーナは不意に、何か切ないような気持ちになった。夕暮れ時というのは、ロシアでも日本でも、人を素直にさせるのだとは――知らなかった。


「今はこうしてあなたと楽しくいられるけど、明日になったらそれが変わっちゃうかもしれないって、ちょっと心配。明日のことなんて誰にもわからないから――」


 自分は何を言っているのだろう、何を言いたいのだろう。

 

 自分でも考えてみるが、よくわからないことだった。


 でも、それがとにかく――怖いのだ、ということを言いたいのだということだけは、おぼろげながらにわかっていた。


「明日になったら、あまりにも多くのものが変わってしまうかもしれない。今夜辺りロシアの偉い人が、日本とは国交を断絶します、なんて言い出したら、あなたとは二度と会えなくなっちゃう。それどころか、そのうちあなたと私はまた百二十年前みたいに敵同士になって、殺し合いをしなきゃいけなくなるかもしれない。馬鹿なことだけど、考えてみると結構怖いわよね」


 紋次郎は無言だった。無言で、何かをじっと考えていた。


「百二十年前は宿敵同士だったから、よりそう思うのかもね。今は平和になったけれど、その逆だって有り得るかもしれない。お互いに全然恨みなんかないのに、誰かの思惑でそういうことになって、勝手に線を引かれて、あっち側とこっち側を分けられて――」


 そう、自分たちの先祖は、かつてはそういう立場にいた。


 あの当時、日露戦争に従軍したロシア兵の大半は、日本がどういう国で、どこにあり、底に生きる人たちはどんな人々なのかを、殆ど知らなかったという。


 当時のロシア帝国は欧米列強に名を連ねてはいたものの、国力的にも経済力的にも明確に後進国であり、そこに生きる人たちも当然素朴な人々で、読み書きすら覚束ない人々も多かったという。


 そんな人たちが、国家という巨大なものの思惑によって異国の地へ運ばれ、血で血を洗う戦場に何の準備もなく放り込まれ、そしてその多くが傷つき、死んだ。


 それは日本ヤポーニャも、おそらく同じ――急に全ての日常が変化し、今まで平和だった世界が一変する。爆炎とうめき声がひしめく戦場に放り込まれ、湿ったカビ臭い塹壕の中で、死の恐怖に、人を殺す恐怖に苛まれた。


 いくら国家のため、誰かのためと繰り返し念じても、納得できるはずのなかった一方的な死――その結末と、彼らはどんな風に向き合っていたのだろう。


 そして――いざ自分たちにそんな運命が降り掛かってきたら、自分はどう思うのだろうか。




「いつかそんな日が来てしまったら、私は――どうすればいいのかしらね」




 エレーナが乾いた声で笑った、その途端だった。


「エレーナさん」


 紋次郎が、ふと歩みを止め、真剣な目でエレーナを見た。その黒い瞳に西日が反射して、まるで燃えているように見えた。


「最初に言っておく。何を突然、って言われるかもしれない。絶対にイヤ、ってヒかれるかもしれない」

「な――何?」


 その物々しい言い方にエレーナが少し戸惑うと、紋次郎がはっきりと言った。




「エレーナさん。手――繋いだらダメか?」



◆◆◆



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