第29話推しアイドルドハマリ戦

「デート……モンジローとデート……うふ、うふふふ……」


 一方その頃――紋次郎と寿が丁々発止のやり取りを繰り広げている部屋の隣――203号室では、エレーナが部屋の中心に座り込み、不気味な声と表情で笑っていた。


 デート。自分としては全くそのつもりがなく切り出した休日の買い物の提案だったが、紋次郎が「それはデートだ」と断言したことで、却って嬉しい結果となった。


「それに、昼間はあんな、あんなことにまで……」


 それを思い出すと、エレーナの体温が上昇した。最初はまぁ、びっくりしたけれど、それ以上に、紋次郎が自分に興奮してくれたという事実が嬉しかった。てっきり、こちらのことを女として見ていないのかもしれないと思っていたが、上記ふたつの理由から、全くの杞憂だったようだ。


「もう……どんな服を着てくべきかしら……ヤポーニャでは服もまだよく買ってないし、ヤポンスキの好みも調べとかないと……でもとりあえず、なんとかなるわよね? 少し胸の開いた服とか着ればイチコロ……!」


 そう、このエレーナ・ポポロフという美少女は、割と一人でいるときにテンションが上がりがちな女であった。小さい頃から「不死身の船坂」の英雄譚で鍛えた妄想癖は、花も恥じらう十七歳となった今でも健在。デート。たったその一言で彼女の頭の中のパラダイスは無限に広がり、春爛漫と咲き乱れる花畑の上を天使がラッパを吹きながら飛び回るのであった。


「と、とりあえず、落ち着け、落ち着くのよ私……ただのデート、そう、これは一緒に服を買いに行くだけ……浮つきすぎるのはよくないわよ……」


 誰にツッコまれたわけでもないのに、エレーナは頭の中に際限なく広がる妄想を振り払った。これ以上は見境がなくなると、自分でもわかっていた。ある程度でストップを掛けないと今日は眠れそうにない。


 と――沈黙が落ちた部屋の中で、エレーナはテーブルの上に乗せられたDVDを見た。


 紋次郎がゾッコンお熱を上げている『La☆La☆Age』とかいうアイドルユニットのDVD――そうだ、これを観ておかねばならない。これには船坂紋次郎という好きな男子――否、宿敵の「好き」が詰まっているはずである。これを観て休日のデート……否、調査に備えるのだ。具体的に言えば、紋次郎が好みの仕草、声、話題を発見するのである。


 いそいそと、エレーナはロシアから持ち込んだDVDプレイヤーにDVDを差し込んだ。倍速にすることもなく画面を眺めていると――暗いライブ会場にスポットライトが瞬き、ジャーンという音と共に数人の女の子が照らし出される。


「おっ」


 エレーナは短く声を漏らした。舞台上に照らし出された女の子たちは、皆ヤポーニャの女児向けアニメに出てくるような衣装を着ており、彼女たちの登場とともにライブ会場が地鳴りのような声援に揺れた。


 エレーナは思わず画面を凝視した。五人いるらしいメンバーの中で、センター――つまり中心に立った、黒髪のツインテールの女の子。学食ではじっくり観察できなかったKoto☆という娘が、瞑目し、静かに佇んでいる。


 色とりどりのサイリウムの輝きが会場を埋め尽くす中で――最初の一曲が始まった。


 と、そのとき。今まで電源が切れていたかのように俯いていたメンバーが一斉に顔を上げ、爆発するかのように躍動を開始した。


 それは――エレーナが今までの人生で一度も聞いたことがない、珍妙な世界であった。


 歌詞の内容も、振り付けも、観客席から轟く声援コールの数々も、普段見知っている日本ヤポーニャの表情とは何もかもが違っていた。まさに今この空間だけが異界の只中にあるというように、光、音、熱気、全てが渾然一体となり、新世界創造の如き混沌と秩序とを創り上げてゆく。


 知らず知らずのうちに、エレーナは指でリズムを取り、歌詞を朧げに口ずさんでいた。


 テレビのスピーカーをぶるぶる震わせる、まるで呪文のような言葉の連なりが、エレーナを確実に異界へと誘い始めていた。


 最初の一曲が終わり、メンバーがそれぞれ口上を述べ始める。紋次郎の「推し」――Koto☆が溌剌と汗をかき、観客席に手を振りながら叫んだ。




『みんなー、愛してるよー!!』




 愛してる。日本語では一度も言ったこともないし、聞いたこともない言葉。その言葉の響きが何故か胸に刺さったような気がして、エレーナは大いに動揺した。


 こんな愛らしい子が、こんなに人々を沸かせられる子が、こんな輝きを放っている子が、自分を「愛してる」と言ってくれた――。そのことが何故なのか信じられないことのように思えて、エレーナの心臓が確実に脈拍数を上げ始めていた。


 次の曲が始まった。それとともに観客たちのボルテージもうなぎ上りに上がり始める。


 『La☆La☆Age』のメンバーは一糸乱れぬ足運びでステージ場を移動し、踊り、跳ね、乱舞している。それはまるで妖精たちが花の周りを舞い踊るかのようで、エレーナは今やすっかりとテレビの中で展開される世界に釘付けになっていた。




 凄い、これがアイドル、これが『La☆La☆Age』、これがKoto☆という少女――。




 今や全身でライブに浸りながら、エレーナは全く新しい世界への扉が軋む音を立てながら開いていくのを、頭の片隅に確かに知覚していた。


 結局その晩、203号室ではエレーナが疲れ果てて寝落ちするまで、『La☆La☆Age』の、そしてKoto☆の歌声が途切れることなく聞こえ続けた――。




◆◆◆




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