第2話野獣男回想戦

 「彼女」は――しばらく動けなかった。




 一体なんなのだ、今の男は。


 ナイフを持ったチンピラ二人を瞬殺し、しかも持ち上げて小枝のように振り回し、頭からブロック塀に叩きつけてみせた。


 それどころか、頬に突きつけられたナイフにも全く動じることなく、むしろ己から刺されに行った挙げ句、奥歯で噛んでへし折った。




 今まで一度も見たことがない――否、これからの人生でも二度と見ることはないだろう大立ち回りに、「彼女」はしばし魂を抜かれてしまったかのように呆然とした。

 



 不意に――ふわり、と、ブレザーから男の香りが漂い、どきりと心臓が跳ね上がる。


 これが、あの猛獣男の匂い――そう思うと、恐怖と驚きで早鐘を打っていた心臓が、それとは別の理由で一層早く鼓動した。


 何故なのか顔が熱くなり、笑い出したくなるような、反面、頭を掻きむしって悲鳴を上げてしまいたくなるような、矛盾しきった感情がぐちゃぐちゃと絡み合い、頭が混乱した。




 さっき、男たちをノした男が振り返った瞬間――。


 白く冷たく、色濃い殺気を称えた野獣の目に睨まれた瞬間。


 そのとき、恐怖を圧倒して感じた何か――そう、それは「彼女」が人生で一度も感じたことのない感情――なまぐさくて湿った野獣の吐息に魅入られてしまったかのような、不思議に甘い、痺れるような感動。


 そのとき感じた、言いようのない感動のことを考えると、「彼女」の奥底が甘く、急激に収縮したように感じた。ブレザーの袖を両手でぎゅっとかき合わせながら、「彼女」は何だか猛烈に熱く感じるため息をついた。


 あの猛獣のような、まるで不死身の怪物のような立ち回り方、あれは、あれは――。




「不死身――」




 「彼女」は、我知らず呟いていた。


 そう、不死身。


 それこそが「彼女」がこの国に来た理由。


 我が高祖父の宿敵であり、不倶戴天の仲であったという、一人の男の名前。


 なんとしてもその男の子孫を探し出し、それがどんな男であるのか確かめる。


 それが先祖たちの流血に適うほどの男であったのか、なんとしてもこの目で確かめる。


 そしてこの国と、祖国である国が、将来的にも真の友好国たり得るのか確かめる。


 それが、それが「彼女」の目的――顔も知らぬ高祖父の、積年の恨みに報いるための目的だった。




 そう、それはかつて「不死身」と讃えられた男の物語。


 かつて数多の友軍を屠り、殺し、血祭りに上げたという男の武勇伝。


 その男に何度も何度も煮え湯を飲まされ、その末に敗軍の将の汚名を着せられた「彼女」の高祖父の無念。


 その憎くもあっぱれな戦いぶりとは――もしかしたら、先程の猛獣男のようなものだったのかもしれなかった。




「まさか――」


「彼女」は顔を上げ、今しがた猛獣男が消えていった小路の向こうを見た。




「あれが、不死身の船坂――?」




 再びひとりごちた「彼女」の耳に、遠くパトカーのサイレンの音が聞こえ始めたのは、それからすぐのことだった。




◆◆◆



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