俺が暴漢から助けたロシアン美少女、どうやら俺の宿敵らしいです ~俺とエレーナさんの第二次日露戦争ラブコメ~

佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中

第1話暴漢制圧戦

 バシッ、と音がして、船坂紋次郎は音がした方を振り返った。




 今の音、何だか物凄く不穏な音に聞こえたけれど――。


 紋次郎は嫌な胸のざわめきを感じて、路地裏の方、中華屋が脂混じりの湿った排気を吐き出している行き止まりの小路へと歩み寄った。




「大声出したらマジ殺すぞ。俺たちがやらねぇと思ってるのか?」




 男の下卑た声が聞こえ、視界にギラリと冷たく光る白いものが見えた。


 如何にもチンピラでござい、という出で立ちと潰れた声。二人いるうちの、片方の男が握っているもの――おそらく、サバイバルナイフか何かの刃物に違いない。かなり本気、ということには間違いない状況に、紋次郎の頭の中で警報が鳴り響いた。




 ああ、これは間違いない。


 最近、この街に出現し、得物を振りかざしては婦女暴行を働いている不逞の輩がいるという話は学校で聞いていた。


 徐々に厳しくなる捜査の手に焦ってなりふり構えなくなっているのか、遂に白昼堂々の犯行に及んだものらしい。


 紋次郎は注意深く事態を見守ることにした。




 男二人に刃物を突きつけられている女性は、したたかに張られたらしい頬を押さえながら涙声を振り絞った。




「そんなナイフ如きで私を脅そうって気!? そんなもの、全然怖くないんだから!」




 震えているながらも豪気にもそう言い張った女性に、男二人も流石に気圧されたらしかった。


 一瞬、圧倒されて押し黙ったチンピラを、女性は更に面罵した。




「身体を穢されるよりも、魂を穢される方がよっぽど屈辱だし! 死ぬまで抵抗してやる! アンタたちみたいなド三下のチンピラなんかには絶対に屈しない! さぁ刺しなさいよ、でないと私がアンタたちに噛みつくからっ!!」




 虚勢ではない、そう決めているのだとわかる声で女性は怒鳴った。


 その痛罵に、ナイフを持っていない方の男の顔がみるみる赤黒く変色した。


 「このアマ……!」と呻いた男が右手を振り上げるのに向かって、紋次郎は声を浴びせかけた。




「あの、ちょっと」




 その声に、ビクッ、とチンピラ二人の肩が震えた。ぎょっと背後を振り返ったチンピラは、突然現れた紋次郎にも動揺した風はなく、黄色く濁った目で紋次郎を睨んだ。




「あ? なんだよお前。何のつもりか知らねぇが、取り込み中だ。失せろクソガキ」

「よしましょうよ、ね? 気持ちのいい朝なんですから。ここでやめるならそこの人もごめんなさいで勘弁してくれるんじゃないですか?」




 なるべくソフトな対応を心がけながら紋次郎が諫めると、流石のチンピラ二人も顔色を変えた。




「あの、そういうの絶対よくないことですよね? いい大人が白昼堂々と女の人を乱暴して、それを子供が見てるんですよ? お願いだから恥ずかしいと思ってくれません?」




 その言葉に、チンピラ男たちは一瞬、不気味なものを感じて目配せした。


 普通、この状況下なら、どんな人間でも、少しは震えるとか怯えるとかするはずである。


 だがこの状況に割って入ってきた、どう見ても高校生としか見えない男からは、些かの動揺も怯えも感じられなかった。それどころか、まるでそれ自体が作り物、ロボットかアンドロイドであるかのように、妙に人間味がなく、機械的であった。




 何だか不気味なものを感じたのも、だが一瞬のこと――。


 チンピラ男たちは刃物持ちという圧倒的有利を思い出したのか、へらっ、と呆れたように笑った。




「――おいおい、お前はよっぽどのアホらしいな、え? こいつが持ってるコレが見えないのか?」




 ナイフを持っていない方の男が、へらへらと嘲るように笑いながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。




「失せねぇなら痛い目見んのはお前の方だぜ。痛い目見ねぇと痛いってことがどういうことなのかわかんねぇのか、最近のガキは?」




 かなり本気の殺気立った声にも、紋次郎は無反応だった。まるで彫像のように営業スマイルを維持したままの紋次郎に、チンピラが顔を歪めた。




「一発喰らえば目も覚めんだろ。痛いってことがどういうことなのか、大人が教育してやるよ。明日から学校行けなくなっても知らねぇからな――」




 殴りつけるつもりなのだろう、チンピラが紋次郎の左肩に手を置いた。




 途端に、カチリ、と、紋次郎の頭の中で何かが切り替わる音が聞こえた。




 それを目だけ動かして確認してから、紋次郎は口を開いた。




「ご忠告ありがとうございます、おじさん。お礼に俺からもいいことを教えてあげます」




 その言葉に、あァ? と男が片眉を上げた。




「おじさん、可哀想ですけど――今年のクリスマスは警察病院の中で、しかも流動食で祝うことになりますよ――」




 瞬間、紋次郎は動いた。


 肩に置かれた男の腕を右手で取った紋次郎は、手の甲に回した親指を支点に、力任せに捻り上げた。




「な――あ、いででででで……!!」




 更に捻り上げると、チンピラがたまらず膝をついた。ぎょっと目を見張ったナイフ男がこちらに向かってくるより先に、紋次郎は左肘を跳ね上げ、捻り上げたままのチンピラの腕に振り下ろした。


 ボキン! という身の毛もよだつ音が発し、うぎゃあっとチンピラが悲鳴を上げ、がっくりと膝をついた。しばらく、妙な方向にねじ曲がった自分の腕を見て狼狽えていた男だったが、紋次郎が次の動作に入ったのを見て、ぎょっと顔を上げた。


 紋次郎は左足に体重を載せ、思い切り右足を振りかぶった。そのまま、曲げた膝で男の顔面を狙うと、パキッ、と鼻梁が叩き折れる音が発し、男の顔に綺麗な膝蹴りが決まった。


 パッ、と赤い飛沫を散らしながら、チンピラ男がずるずると地面に伸びた。




 これで一本、これでもう一人の方も戦意を喪失してくれれば……と思った瞬間、もうひとりのチンピラが背後から覆いかぶさってきた。




「て、テメェ――! な、なんなんだこのガキ……!?」




 おっと、あくまでやる気か。これは予想外……と思ったのと同時に、紋次郎の頬に男が握ったナイフがピタリと添えられる。


 予想通りサバイバルナイフだが、思ったより小さいナイフだ。だがナイフを握る男の手はぶるぶると震えている。これはいけない、早めに始末しないと、本気で急所を狙ってきそうだ。

 



 瞬間、紋次郎は思い切り口を開け、何の躊躇いもなく、サバイバルナイフに己の頬を突き刺した。


 ブツッ、と音がして、鋭利な刃が肉を裂き、鮮血が迸った。




「んな――!?」




 男が仰天した瞬間、頬肉を貫通した刃先を、紋次郎は渾身の力で噛んだ。


 ナイフの刃を奥歯によってガッチリと固定したまま、紋次郎は思い切り上半身を捻った。




 バキン! という金属音が頭蓋を伝わって響き、ナイフの刃が根本から折れた。




 柄だけになったナイフを凝視して硬直した男は、ナイフの刃を噛み締めたままの紋次郎の顔を見て、何が起こったのかようやく理解したらしかった。


 血に塗れた頬から白刃を生やし、ギラリと目を光らせた紋次郎の顔を見て、チンピラがはっきりと怯えた。




「ひ、ひぃ――!?」




 男が柄だけになったナイフを取り落としたのと同時に、男の胸ぐらに向って、紋次郎は思い切り右手を伸ばした。




「うおっ――!?」




 短く悲鳴を上げた男の胸ぐらを、紋次郎はそのまま両手で掴み上げた。


 信じられない剛力で呆気なく身体を持ち上げられた男が、顔の真下にある猛獣の眼光を見て、今度こそ恐怖の悲鳴を上げる。




「な、や、やめろこのガキ! はっ、離せよコラ! おっ、おい! 何をする気だ――!?」




 じたばたと、まるでヒグマに組み付かれた子鹿のような顔と声で暴れるチンピラ男に一切構わず、紋次郎はその場で身体を捻り、チンピラの身体を大きく振り回した。




 うおおおおおおおおおおお! という紋次郎の雄叫びと、ぐわあああああああああああ!! という男の悲鳴が重なった瞬間、紋次郎は何の躊躇いもなく、男の身体を近くのブロック塀に向かって放り投げた。




 たっぷり五メートルも飛翔した後――人間の身体がブロック塀を粉砕する、凄まじい轟音が発した。


 細かな破片と鮮血とを飛び散らせながら、チンピラ男はブロック塀に上半身をまるっとめり込ませ、完全に失神した。




 よし、状況終了――。


 紋次郎はまだ噛んでいたナイフの刃先を、プッと吐き出した。折れたナイフが地面に落ち、甲高い金属音を立てる。


 乱れた制服のブレザーを手で直してから、乱暴されかけていた人物を振り返った。




 振り返って――紋次郎は、は、と短く息を漏らした。

 これはこれは――なんというか、ちょっと予想外の人物だ。




 まず目に入ったのは――この脂と湿気に塗れた小路でも輝いて見えるほどの、美しい銀髪であった。染めたものではない、明らかに天然と思える美しい白金の輝きに、一瞬、紋次郎は掛けるべき声を忘れて黙ってしまう。


 それだけではない。まるで天使のように、端正にすぎるほど整った顔と、それに似合わず妙に勝ち気な印象を与える碧眼。


 だがどこかに、己と同じ東洋人の面影が残る顔――いわゆる、ハーフとかクォーターとかいう人だろうか。


 バランスの取れた肢体と、出るところと引っ込むところを全く過たない均整の取れたボディラインは、白いブラウスとスカートというシンプルな出で立ちにこれ以上なくマッチしている。


 だがそのブラウスは先程のチンピラ男たちによって切り裂かれてしまったのか、前が大きく裂け、一部下着が覗いている有様だった。




 しばらく、掛けるべき言葉を忘れてから――紋次郎は動いた。




「ひ――! や、やめて、来ないで――!!」




 女性は足で地面を掻き、尻をにじって逃げようとする。まるで硝子細工のような美しい瞳の目には強い怯えの色が浮かんでいて、全身で紋次郎を拒絶していた。


 大きく引き裂かれた前を隠すことも忘れ、地面に手をついて起き上がろうとする女性の肩に、紋次郎は脱いだ制服のブレザーを、そっと掛けてやった。




「これ、貸しますから。着といてくださいね」




 はえ――? と、ハーフだかクォーターだかの女性が、呆気に取られたように紋次郎の顔を見上げた。


 とんでもない美女に真正面から見つめられた動揺から、思わず紋次郎は微笑みかけてしまった。




「怪我は――してませんよね?」




 紋次郎の問いかけに、ブレザーの襟を両手で掴んだ女性がガクガクと頷いた。




「じゃあ、呼ぶのは警察だけでいいです? 救急車は要りませんよね」




 その一言に、女性が二、三度口を開け閉めしてから、震える声で叫んだ。




「怪我はしてない、って――! あ、あなた、あなた刺されてるじゃないの! あなたの分の救急車が必要でしょ!!」

「あぁこれ? これはかすり傷です。もうすぐ塞がるから大丈夫ですよ」

「だ、大丈夫なわけないでしょう!? ナイフで刺されたのに! どういう大丈夫なのよ!!」

「それは――とにかく大丈夫、ってことです」




 なんと答えても、多分自分の特異体質については納得してもらえないだろう。


 仕方なく無茶苦茶な理屈を言い、安心させるようにぎこちなく微笑むと、塞がりかけていた傷が裂け、再びドブッと鮮血が流れ落ちた。


 ひぃ、と女性が顔をひきつらせたのにも構わず、紋次郎はスマホを取り出し、110番した。




「――あの、もしもし。二丁目の『万来軒』の脇にパトカー一台配車お願いします。――はい、はい。物凄く美人な銀髪の女の人と、ナイフを持った犯人と、もう一人犯人が倒れてますんで。――あ、犯人の分の救急車は必要だと思います。――はい、え? 俺ですか? いやそんな名乗るほどのもんじゃないんで。――いいえ結構です、じゃあ失礼しまーす」




 一方的に電話を切った紋次郎は、女性を振り返った。女性はまだ怯えが残る表情をしていたが、確実に何かが落ち着いた雰囲気だ。




「あと数分でパトカー来るってことなんで。事の次第はお巡りさんにお願いします。じゃ、俺はこれで」

「え? えぇ、ありがとう。――じゃないから!! ちょ、ちょっと!! 何!? どこに行こうとしてるの!?」




 女性が素っ頓狂な声を発して、思わず立ち上がろうとした。立ち上がろうとしたらしいが――完全に腰が抜けているらしく、女性は大きな尻で地面に尻もちをついた。




「どこって――学校行くんですけど」

「な――何言ってるのあなた!? 行くべきところは病院と警察でしょ!? 何回も言うけど、あなた刺されてるのよ!? 自分じゃ気づいてないの!?」

「いや……そりゃ幾らなんでもナイフで刺されてて気づかないわけないでしょう。失礼だなぁ、それって俺がすげぇ鈍感って意味ですか?」

「あ――ご、ごめんなさい、私ったら大恩人に向かって失礼なことを――じゃないでしょ! ああもう! なんなのあなた?! どう言ったら伝わるの!? 何回も言うけど、あなた! 刺されてるの! ナイフで! 血も! 出てるの! 行きなさいよ! 病院に!!」




 美しい銀髪を振り乱しながら、女性はバシバシと地面を平手で叩きながら病院に行けと力説した。




「っていうか気になるところが一杯ありすぎよ! なんなのあなた、人の形した野獣かなにかなの!? ナイフ持ったチンピラ二人をあんなあっという間にノして、しかも一人は掴んで振り回してしかも投げ飛ばしたじゃないの! あなたのどこにもそんな怪力あるように見えないから! むしろすっごく弱そうだから! なんなのあなた!? サイボーグなの!? ターミネーターなの!? どっち!?」

「ターミネーターでもサイボーグでもないですよ。それに俺、暴力嫌いなんで。それじゃ」

「ちょ――ちょっと! ホントに学校行く気!? 血だらけ! 血だらけなのに! せ、せめて名前ぐらいは――!」

「俺? 俺は『名乗るほどのもんじゃない太郎』ですよ。それじゃ、お大事に」

「ちょ、ちょっと――! ブレザーどうやって返せばいいのよ――!」




 女性が引き止めるのも構わず、紋次郎は小汚いスクールバッグを抱えて小走りに走り出した。まだ背後からは女性のヒンヒンとした声が聞こえ続けていたが、過剰防衛のカドでしょっぴかれるのは嫌だった。


 そのまま、紋次郎は血だらけのワイシャツのまま、学校へと走った。




◆◆◆



ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


前回はすみませんでした……。

今回は完結までやりきりますので

どうぞご安心ください。


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