第8話クラスメイト袋叩き戦

「紋次郎、お前……! さっき授業開始前に何をしてた!? さっきあの転校生様にナニしてもらってたんだ!?」

「ちょ、ちょちょちょ、落ち着け! 落ち着け巽! 俺は何もしてない! ナニもしてもらってないから……!」

「うるせー! おのれ、そんな可愛いクマちゃんの絆創膏まで貼ってもらって白々しい! どこまで行った!? 何回イッたんだ!?」

「どこまでも行ってねぇしイッてもねぇよ! エレーナさんに失礼だろうが! ちょ……ブレークブレーク!」




 紋次郎が友人である藤村巽の手をタップすると、紋次郎の胸ぐらを掴んでいた手がようやく緩んだ。


 藤村巽だけでなく、紋次郎を取り囲んだ男子学生どもは、殺気立った視線で紋次郎を睨んだ。それはまるでリンチ前、この後紋次郎に「タイヤのネックレス」を被せてリンチにかけそうな殺気である。


 小柄に慢心の怒りと嫉妬とを込めて、藤村巽が忌々しく吐き捨てた。




「クソ……! みんなあの子とお近づきになりたいって思ってんのに、まさか事前に紋次郎が抜け駆けしてたなんて……! お前がそんなやつだったなんて思わなかったよ、この人でなし!!」

「そんなやつ、って何だよ!? 登校前にちょっと事情があって少し話したってだけだ! それだけでどうして俺が抜け駆けしたことになるんだよ!!」

「……なぁみんな。紋次郎のこの所業、これは重大な違反行為、裁かれるべき罪ではないかね?」




 藤村巽が紋次郎の席を取り囲んだ男子生徒たちに目配せすると、殺気立った観客は皆一様に頷いたり、舌打ちをしたりする。




「この咎、船坂紋次郎にどのように贖わせるべきだろうか。俺は彼女持ちではないクラスの男子全員分に詫びとしてコーヒー牛乳を奢らせるべきと存ずるが……いかがかな?」

「ちょ――! 俺の家計を破産させる気か!? 一人暮らしなの知ってんだろ!!」




 紋次郎は椅子から腰を浮かせて抗議した。




「お前らみたいに実家暮らしじゃねぇの! 今日食べる晩飯も仕送りから出てんだぞ! コーヒー牛乳をそんな数奢ったら明日と明後日は水呑み百姓になっちまうだろうが!」

「うるせー盗っ人モウモウしいぞテメー!! 水飲むぐらいなんだ! 空腹でグーグー腹が鳴る度に己が犯した罪の重さを反省する、理想的な罰だろうが!!」

「か、勘弁してくれ……! 俺はホントにナニも……!」

「ちょっと、あなたたち」




 途端に、殺気立っていた連中の殺気が、猛烈な北風に冷やされた。びくっ、と肩を揺らした男たちが振り返った先で――エレーナ・ポポロフが、その上に豊満な胸をどっしりと乗せて腕を組み、氷の如き冷たい視線で睨んでいた。




「さっきから聞いてれば、何? まるで私がさっきその男と何かいかがわしいことをしてたような口ぶりだけど」

「うッ……!? あ、い、いや……」

「とても面白い空想が聞けて、今の私、物凄く不愉快だわ。特にそこのちっちゃい男」

「お、俺――!?」




 藤村巽が気圧されたように言うと、エレーナは物凄い目つきで藤村巽のつむじを睥睨した。




「あなたの言ってたことはしばらく忘れないわ。そしてあなたという男へ感じた軽蔑の念もしばらく覚えとく。――さぁ、この期に及んで、まだ何かくだらない空想を語る勇気がある?」




 最後の言葉は、まるでブリザードのような冷たさを持って響き渡った。


 今までアフリカのスラムの如き熱気と殺気に包まれていた教室は、今や吹雪が吹き荒ぶ極寒のシベリアの大地に変わり、男たちは一気に意気消沈した。


 まるで命を削る鉋であるかのように吹き付け続ける冷たい風に、男たちは三々五々と紋次郎の周囲から散ってゆき――後には紋次郎と、エレーナだけが残された。




「……ヤボンスキ男は例外なく変態ね。私、人生で初めてよ。朝は乱暴されそうになって、昼を迎える前にこんなスケベなことを好き勝手言われるなんて。夕方にはノゾキでもされるんじゃないかしら?」

「それは……うん、日本人の男として否定できないな……」

「今のところ、例外はあなたぐらいのものね。あーあ、宿敵が今のところ周囲で曲がりなりにも一番信頼できる男だなんて皮肉すぎ」




 そんなことをボヤきながら、エレーナは紋次郎の後ろの席、藤村巽の席に座った。


 おお、宿敵の子孫に早速用でもあるのかな、と紋次郎が多少緊張していると、エレーナが頬杖をつき、じーっと音が鳴りそうなほど紋次郎を見つめてきた。




「……な、何?」

「あなた、お昼は?」

「は?」

「お昼は普段どこでどうやって食べてるの?」

「え――仲間連中と学食で食べてるけど」

「あらそう、健康で清潔な食卓じゃない」

「それ、褒めてんの?」

「私もご一緒しても?」

「ふぁ?」




 紋次郎が気の抜けた声を発すると、エレーナが物凄く湿った視線で見つめてくる。




「私もご一緒してもいい?」

「んぇ?」

「だから――私も一緒していい? って」

「何に?」




 途端に、エレーナが天板にバンッと両手をつき、苛立ったように椅子から腰を浮かせ、ぐぐぐっと思い切り顔を寄せてきて、紋次郎の目を至近距離から覗き込んだ。




「私も、あなたと、一緒に食事がしたいのだけれど」




 一言一言、エレーナは噛んで含めるようにそう言った。




「うぇ――?」

「あぁもう――なんでそんな気の抜けた返答なのよ。あなたが何を食べて何を嫌うか、それぐらい知っておかないと調査にならないじゃない。言っとくけどこれは立派な計算よ。将来あなたが私の家や祖国に反逆してきたら、その時はあなたの嫌いなものをたくさん送り付けてウンザリさせてあげる作戦だから。別にあなたの食の好みが知りたいとかそんなんじゃないから、勘違いしないでよね」




 とは言いつつも――エレーナのその天使か妖精としか見えない顔は、何だか物凄く必死に見えた。断られたらどうしよう、そんな恐怖と不安に怯えているのが、紋次郎にもわかる。




「あ、ああゴメン、そういうことか……ごめんね、察し悪くて」

「それで……どうなの? 私と一緒にお昼食べるのはイヤ?」

「そ、そんなわけないじゃないのよ」





 思わずオネエ口調になりながらも、紋次郎はしどろもどろに答えた。




「むしろエレーナさんがご一緒してくれんなら嬉しいよ。むしろこっちからお願いする。ホントだよ? あくまで俺の食事に毒とか入れない前提なら……」

「……怪しいわね、その反応。そう言えばヤボンスキはホンネとタテマエとかいう会話術を駆使すると聞いたわ。それを使えばヘーゲル弁証法よりも巧みに真意を隠して会話できるってお祖父ちゃんが――」

「そんなことは絶対ない。ヘーゲル弁証法っていうのは知らないけど、みんな喜ぶよ、絶対」

「……あなた相手に悔しいけど、正直に言うわ。私、これでも不安なのよ。こんなデカい外国人が一人でこんなところにノコノコ出てきて、ヒかれてるんじゃないかって……」




 その言葉のテンションの低さに、おや? と紋次郎はエレーナを見つめた。エレーナの顔には、これから日本という異国で暮らしていくことへの、色濃い不安が滲んでいるように見えた。




「私、ただでさえ結構目立つ髪の色してるし、他の女の子みたいに小柄で可愛くないし……この国が私の祖国の潜在敵国で、将来的にも敵になるかもしれないっていうのはわかってる。わかってるつもりだけど……流石に学校のみんなのことを敵だと思いたくは……」

「――なぁみんな! 昼はエレーナさんと一緒にメシ食いたいよなぁ!?」




 瞬間、紋次郎は大声を上げてエレーナの言葉を遮った。びっくりしているエレーナに構わずに紋次郎がクラスの男子連中を見ると、男子連中が見る見る色めき立ったのがわかった。


 こんな天使か妖精かとしか思えない銀髪大爆乳の大天使の大妖精と食事――そんなもの、世の中の男なら生涯でいっぺんでも機会に恵まれたら泣いて喜ぶ事態であろう。




「そうだ――そうだな! 俺も一緒に食べたい!」

「エレーナさん、是非俺も加えてくれ! 俺はこれでも役に立つ男だぜ!」

「おいおい、お前らだけでカッコつけてんじゃねぇよ! 俺も一緒に行くとも!」

「バカ野郎が! お前らだけで行かせられるか! 俺も一緒に食うぞ!」

「俺たちは仲間だろ!? 一緒にメシ食うぐらいなんでもねぇじゃねぇか、エレーナさん!!」




 次々と上がる男子連中のアツい声に、エレーナが激しく感動したように教室を見渡し、「みんな……!」と言った。まるで正義のヒロインのように両手を組み、胸に押し当てるエレーナの頬はほんのり桜色に染まり、目には涙が浮かんでいる。




 あ、この人、結構アホなんだな。


 なおかつ、チョロい。


 それを見た紋次郎も少し感動した。


 百二十年という途方もない年月は、たとえ「ロマノフの帝剣」と呼ばれた武闘派の一族をもなかなかアホにするものらしかった。




 俺も行く、俺も一緒にメシ食う――そんな男子連中の雄叫びは、しばらく教室中から聞こえ続けた。



◆◆◆



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