第39話憤怒限界突破戦

 最後の授業が終わり、ぼちぼちとクラスメイトたちが帰り支度を始めた。


 紋次郎は意を決して立ち上がり、机の中の一切合財を置き勉して、スクールバッグを持って立ち上がった。


 目標は、右前方――全てが終わるや、無言でそそくさと消えてゆこうとする銀髪に向かって、紋次郎は声をかけた。


「エレーナさん!」


 思わず大きくなってしまった声に、クラス中の視線が集まる気配がしたが、かまっていられなかった。


 紋次郎の声に、エレーナが振り返った。


「あの、さ、エレーナさん……」


 声をかけてしまってから、紋次郎は自分がなんと話を続けようとしていたか、全く考えていないことに気がついた。尻切れ蜻蛉になってしまった紋次郎の言葉に、エレーナは紋次郎を見つめた。


 エレーナの不思議な色の瞳は、明らかに次の言葉を待っていた。


 紋次郎が、ある言葉を口にするのを。


 そうでなければ紋次郎を許せないのだと、その目は明確に語っていた。




 お兄は他人の痛みには敏感なのに、自分の痛みには鈍感すぎんの――。


 どうエレーナさんに謝るかぐらい、自分で考えろ。でないとお兄、人間じゃなくなっちゃうよ――。




 今朝方、寿に言われた言葉が、伽藍堂の頭の中に反響した。


 今日一日、言われたことの意味を考えてみたが――やはり、紋次郎にはわからなかった。


 エレーナが感じた痛みの正体――それがわからなければ、謝罪のしようがなかった。




 結局、紋次郎は続く言葉を見つけることが出来なかった。


 押し黙ったまま視線を泳がせている紋次郎を、なんだか泣きそうな目で睨んだ後、エレーナはぷいと顔を背け、のしのしと教室を出て行ってしまった。


 後には、阿呆のような間抜け面を晒し、好奇の目線に多数さらされたまま立ち尽くす紋次郎だけが残された。


「な、なぁ紋次郎……」


 呆然と立ち尽くしていると、藤村巽が少し遠慮がちに話しかけてきた。


 あん? と不愉快さ120%の目と声で応じると、巽は少し怯えた。


「お、おい、そんな目するなよ。これでも心配してんだよ」

「何を?」

「お前、お前さぁ、エレーナさんとなんかあったろ?」

「あったよ。あったからお互いこんなんなんだ」


 もはや隠す気力もなくそう言うと、巽が少し押し黙った。


「なんだよ?」

「別れたのか?」

「あ?」


 思わずドスが効いてしまった声に、巽がうひっと首をすくめてから、ボソボソと声を潜めた。


「だ、だから、そんな目するなって。割とお前の眼力は怖いんだよ。これでもかなり失礼なこと尋ねてる自覚はあるんだから……」

「ほーう、自覚はあるのか。ならなんだ今の質問は? 誰と誰が別れたって?」

「お前とエレーナさんだよ、決まってるだろ」

「なんでくっついてもいねぇのに別れられるんだよ。不思議なこと言うな、お前」


 巽の怯えた表情が、なんだか妙に紋次郎をイライラさせた。紋次郎が遠慮なく不機嫌な声で言うと、巽が次の言葉をなんと言おうか困ってしまったように口元を歪めた。


「嘘つけよ。今までのアレでお前らが付き合ってねぇなんて言っても誰も信じねぇだろうが。別れた? 別れたんだな?」

「だから最初からくっついてねぇ。何遍言わせんだ。そんな事実はない。金輪ッ際ない」

「ああもう、わかった、わかったって。とにかくなんかあった、そんで今仲直りしようとしてる、けれど上手く行ってないって、そういうことか?」

「だったらどうなんだよ?」




 その時自分の口から出た言葉は、自分の声とは思えなかった。


 真実、人殺しのような声を発した紋次郎に、事態を見守っていたクラス中が静まり返った。




「巽、さっきからお前は何が言いたい? 何を確認したいんだ? 俺とエレーナさんが付き合ってるとか付き合ってないとか、そういうことか? エレーナさんがフリー確定なら、それでいいいじゃねぇか。お前、エレーナさんのファンなんだろ?」




 思わず紋次郎が拳を握り締めると、ガタン、と背後の机にぶつかりながら巽が怯えた。


「おっ、落ち着け紋次郎! そんなこと俺を含めて誰も考えてない! 考えられると思うのか、今のお前のこの状況を見て! 俺はただ、お前を心配して……!」

「心配、心配だぁ!? 今の俺はお前に心配されるぐらい惨めだってのか!? みんなみんな世界の裏側で土食って生きてる珍獣が来たみたいにチラチラ見やがって! 俺とエレーナさんがコレでなにかお前らに迷惑でもかけたってのか!!」


 途端に、紋次郎の視界がうっすらと、桜色に色づき始めた。


 これ以上はいけない、相手は友達なのに……そうは思っても、ただでさえくすぶり続けている己の中の火は消えてくれない。




 その瞬間――紋次郎に明確な変化が生じた。



 

 見開かれた紋次郎の白目の部分がじわじわと端の方から紅潮し、物理的に赤く変色してゆく。




 黒目が赤黒い血の色に混じって――真実、怪物のような眼光を放ち始める。




 明らかに常人に起こりうる変化ではないその変化に、藤村巽が恐怖で硬直する。


 クラス中が紋次郎の豹変に息を呑み、教室内が水を打ったように静まり返った。




「おっと、そこまで」


 涼しい声とともに振り上げかけた手首を掴まれ、その瞬間、消えかけていた理性が戻ってきた。はっとして背後を振り返ると、そこには厳しい表情でこちらを睨む堀山茜の姿があった。


「茜ねえ――堀山先生……」

「全く、紋次郎……君ぐらい世話の焼ける生徒はこのクラスにはいないぞ。君のような男と正面切って殴り合える人間はこの世には少ないんだ。一方的に友人をリンチにでもかける気だったか?」


 その言葉に、紋次郎は巽を見た。巽の顔は酷く怯えていて、その目は友人を見る目つきでは――既になくなっていた。


「……悪い、巽。俺が悪かった。子どもみたいに八つ当たりしちまって……」

「いいよ、気にするなよ。俺の方こそ、配慮が足りなかった」


 冷や汗をかきつつも、巽の声は穏やかだった。友人に、クラスメイトたちにこんな表情をさせてしまった自分を恥じていると、堀山茜がふーっとため息を吐いてから、鋭く紋次郎を見つめた。


「君には少しお説教が必要なようだな、船坂紋次郎。それに頭を冷やす時間も必要だ。藤村巽、紋次郎を借りていいか?」

「ええ、お願いします」


 巽が頷き、お願いしますというように頭を下げ、それからぼそりと付け足した。


「紋次郎には元気でいてもらわないと、俺だって嫌ですから」


 その一言に、紋次郎は何も言えずに俯いた。

 堀山茜に促されて教室を出る時、堀山茜は振り返らないままに言った。




「船坂紋次郎、君はもう少し真剣に考えるべきだぞ。――君が思っているより、遥かに多くの人間が君のことを心配していることをな」




 その一言に、紋次郎は何も答えることが出来なかった。



◆◆◆



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