第6話第二次日露戦争

「ま、まぁ、そういうことなのはわかったけど――」




 紋次郎がしどろもどろに言うと、エレーナが露骨にムッとした表情を浮かべた。




「あによその顔? まだなんかわかんないことあるの?」

「まぁ、歴史のことは詳しくないんですけど――だから、何?」

「え?」

「だって――ソレもう百年以上前の話でしょ? なんで俺とエレーナさんに関わりがあるの? 当事者全員死んでる話だよね? なんで今更俺、エレーナさんに絡まれなきゃならんの?」




 紋次郎がそう言うと、うえっ? と呻いたエレーナの顔がだらしなく弛緩した後、物凄く慌てたような表情になった。




「か……関わりがないって何!? こっちはあなたの先祖の宿敵の子孫なんだけど!? あーコイツが先祖の敵だったのかぁ、じゃあ仲良く出来ないな、って思うところでしょ!」

「思わないでしょ! だって今もこうして現に一緒にお話してるし、今日からクラスメイトだし! オマケに朝は乱暴されかかってたところを助けたじゃん! 宿敵どころかむしろ恩人みたいな感じでしょ、恩着せがましいけどさ!」




 思わずそう反論すると、むぐっ、と反論に詰まったように押し黙ったエレーナが、数秒後には何故なのか白い頬を紅潮させた。




「そ、それは……確かに、あのときのあなたは不死身の怪物みたいでちょっと見惚れちゃったけど……」




 物凄く小さな声でボソボソと何事か呟いて、エレーナはブレザーの襟で口元を隠し、もじもじと音がしそうなほど、なんだかもじもじとし始めた。




「そ、そりゃ、あの時は私だって殺されるかも、乱暴されるかもって怖かった。誰でもいいから助けてって祈ったわよ。でもまさかそれが不死身の船坂の子孫だなんて普通思わないでしょうよ。宿敵の子孫に助けられて、しかもちょっとカッコイイとか思っちゃうなんて……申し訳なくて先祖に顔向けできなくなっちゃったじゃない……」




 ん? なんだろう、この表情と顔の色。触れれば指先が沈んでゆきそうな白い肌が、まるで湯上がり色である。


 目つきも何だか切なさ全開、という感じで、エレーナは両足の膝頭をすりすりと不気味に擦り合わせている。




 この人、もしかして――紋次郎は幾らなんでも何かを察した。


 昔から腕っぷしと傷の治りの早さには自信があるが、別に紋次郎は脳筋でも、行き過ぎて難聴な男でもない。帰宅部だし、成績もギリギリ赤点を回避できる程度には悪くないほうだ。


 笛――ではなく、昔爺ちゃんに貰ったハーモニカを吹き、羊――ではなく、実家で飼っているネコと遊んで暮らしてきた。


 けれども、というか、そのせいで、というか、人の感情の機微にはそこそこ敏感な方だと、自分でも思う。まぁぶっちゃけ、これだけわかりやすく顔に出るエレーナの方が珍しいのだろうけれども。




 何かをぼんやり察した紋次郎だったが、ここでグイグイ行って関係を進展させようと思うほど肉食であるわけでもなかった。


 なんだか締まらない空気の中、紋次郎が話を進めることにした。




「それで、最初に聞いておきたいんだけど、エレーナさんは俺をどうしたいん?」

「ふぇ?」

「確かに、まぁ俺とエレーナさんには、今も一ミリグラムぐらいは因縁めいたものがあるとするよ。で、どうするの? 宿敵の子孫だとわかったなら、俺をどうしたいの?」




 その言葉に、エレーナは再び虚を衝かれたような表情になり、焦ったように視線を逸した。それから、「ど、どうしたい、って……!」と呟いてから、物凄い勢いで何かを考え始めた。


 え、もしかしてこの人、それ以上考えてこなかったのか? と紋次郎が少々驚いている前で、何事かブツクサとエレーナが呟き始めた。




「そ、そりゃ……やりたいことはたくさんあるし? そりゃあいっぱい考えてきてるわよ。例えば今までの一族の恨みつらみをぶつけてやるとか、一緒にご飯食べるとか、手を繋いでみるとか、その、あなたの逞しそうな腹筋を触ってみるとか……なんてったってあんな怪力なんだし……」

「はぁ、俺の腹筋? エレーナさん何言ってんの?」




 紋次郎が思わずツッコむと、はっ、と聞かれたことを悟ったのか、エレーナが露骨に慌てた。




「そっ、そりゃ当たり前でしょ! 宿敵の子孫の身体なのよ!? あの、ほら、アレよ! その不死身の身体でまた私の祖国や家に歯向かって来た時に弱点がわからないと倒しようがないじゃない! あなたの弱点の調査よ、調査!!」

「ち、調査……?」

「そ、そう! 調査するの! あなたのことをね! よし、これだわ!!」




 エレーナの顔がパッと百万ルクスの輝きを発した。これはいい思いつきだぜ、と、極太文字で顔に書いてあるかのようだ。


 エレーナは偉そうに足を肩幅に開き、ブラウスを突き破らんばかりの逸物を誇張するかのように胸を反らして腕組みした。


 その顔はまるで総理大臣と肩を組んで写真を撮ってもらうときのような、これ以上ないドヤ顔であった。




「よくお聞き、フナサカ・モンジロー。私は今、今日この時から、あなたを調査するわ。もう二度と私の祖国や家に歯向かったりできないよう、宿敵であるあなたの弱点や弱みを調べて調べて調べ尽くしてあげる。これは私とあなただけの、第二次ニチロセンソーよ」




 第二次日露戦争。


 エレーナのその言葉の印象が、何故か強く紋次郎の中に消え残った。




「これは私からあなたへの宣戦布告だからね、モンジロー。少しでも妙な気を起こしてみなさいよ、その時はあなたの弱点を知り尽くした私がコロリ一捻りで無力化してあげるから。そして今度は絶対に負けない。元よりポポロフ伯爵家の辞書に敗北の文字はない。負けっぱなしは趣味じゃないから――覚悟しておくことね!」




 フフン、と鼻を鳴らして、エレーナは美しい銀髪をシャラリと弄った。


 そのあまりに隙のないドヤ顔に、思わず紋次郎も気圧され気味になり「う、うん……」と頷いてしまった。




「さて、ヤポーニャに来た最大の目的はこれで果たしたわね。とりあえず、今日はこんなところでいいでしょ。さ、わかったなら授業に戻るわよ」

「う、うん。俺はなんかよくわかんなかったけど……」




 紋次郎が頬の傷をボリボリと指で掻くと、そこでエレーナが忘れていたようにハッとして紋次郎の頬を見た。




「……あなた、その頬の傷、本当に何の処置もしてないの? いやそれどころか、え? もう塞がってる……?」

「そうなんだよね。俺、異常に傷の治りが早い特異体質らしくてさ」




 紋次郎は苦笑しながら己の身体について説明した。




「これも曾祖父さんの親父からの遺伝なのかなぁ。昔からどんな大怪我しても、三日もあれば治っちゃうんだよね。それに痛みにも強いらしくて」

「そ、そうなの――やっぱりそこは『不死身の船坂』の子孫なのね……」

「そういうことなのかなぁ。昔、木登りの最中に落っこちて腕を骨折したときも、一週間もしないうちにくっついちゃってさ。だから全然病院とか行ったことなくて。今朝エレーナさんに救急車って言われた時、正直に言えば怖かったんだよね、病院行くの」

「はぁ?」

「だって何されるかわかんないんだもの。アレでしょ? 病院って行ったら物凄いぶっとい注射とかされるんでしょ? 怖いじゃん、注射。金属の針で刺されるんだぜ?」




 その言葉に、エレーナが一瞬驚いた表情になった後、呆れたように言った。




「……何それ、ナイフが怖くなくて注射が怖いなんて。普通逆でしょ?」

「いやぁ、俺には全然逆なんだよなぁ。注射とか見ただけで失神するかもしれないぜ。いや、多分確実にするよ、失神」

「おかしな人……。あんな猛獣みたいな男のくせにいい歳して注射が怖いなんて……ハァ、つくづくよくわからない人ね……」




 そう言って、何かを思い出して制服のブレザーの内ポケットに手を伸ばした。ポケットから取り出されたエレーナの手には、一枚のクマさんの絵が描いてある絆創膏が握られていた。




 ん? 絆創膏……? と紋次郎が目を丸くすると、ずいっ、とエレーナが紋次郎に顔を寄せてきた。


 うわっ、と仰け反ろうとすると、すかさず「動かないで」と鋭い声が飛ぶ。その言葉にそれ以上の行動を阻まれ、なんだかむず痒いような指先の感触を頬に感じた後……エレーナが身体を離した。


 紋次郎が頬に触れてみると、頬の傷には絆創膏の感触があった。


 エレーナを見ると、エレーナが紋次郎の鼻頭に人差し指を押し当て、言い聞かせるように言った。




「こういうの、ヤポーニャでは『ブシノナサケ』っていうのよね? 一応、応急処置はしてあげる。これで今朝のことの貸し借りはナシ、私たちは宿敵同士なんだから――いいわね?」




 武士の情け――妙な発音のその言葉に、思わず紋次郎は吹き出してしまった。ケラケラ笑う紋次郎を、エレーナは不満そうに見た。




「な――何よ? 今の言葉の使い方が間違ってるの?」

「いいや、合ってると思う。ありがとな、エレーナさん。俺、今日はこれ剥がさないように暮らすからさ」




 紋次郎がニカッという感じで笑うと、エレーナが何だか慌てた目と口を開いたけれど――何も言うことはなく、その後は紋次郎から視線を外し、再び制服の襟元で口を隠し、白い肌が桜色に染めて押し黙ってしまう。


 照れている、紋次郎にもわかる。世が世なら伯爵令嬢のくせに顔に出やすい人だなぁ、と、紋次郎はしばらく笑い続けた。




 かたや「ロマノフの帝剣」と称された貴族の末裔――。


 かたや「不死身の船坂」と恐れられた怪物の子孫――。




 彼と彼女、総参戦人数たった二人という第二次日露戦争が、こうして、朝の視聴覚室の中、静かに勃発した。




◆◆◆



ここまでお読み頂き、ありがとうございます。


「面白かった」

「続きが気になる」


そう思っていただけましたら

★での評価、ブックマークなどを

よろしくお願いいたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る