第18話友情確認戦
「いい? モンジロー。アパートメントの壁は薄いの。間違っても壁に耳当てて私の部屋を盗聴したりしないでよね!? わかった!? 絶対よ!!」
「え、エレーナさんこそ、俺の調査とか言って俺のゴミ袋とか漁るなよ! 全く、本当に偶然なのか!? 実は俺の住所とか調べてわざわざここに来たんじゃないの!?」
「な――! 何を抜かすのよ! 幾らなんでもそんなKGBの諜報活動みたいなことするわけないじゃない! 偶然よ、全くの偶然!」
「本当かなぁ……今までの行動を思うとかなり疑わしいなぁ……」
「な、何よその目は! 偶然だったら!!」
お互いの部屋の前でギャーギャー騒ぎまくった後、二人は何だか疲れてしまったような気持ちになり、フゥ、と同時にため息を吐いて押し黙った。
「……まぁ、逆によかったのかもしれないな。曲がりなりにもエレーナさん、日本で知り合いなの、今のところは俺ぐらいだろ?」
「ま、まぁ……そうなるわね」
「なら、色々わかんないことがあったら聞いてくれよ。多分慣れるまでに時間かかるはずだからさ。お隣なら安心だろ?」
「ま、まぁ――そうかも。それについては多少あなたがいてくれて安心かも」
歯切れ悪くそう言ったエレーナは、そこでくっと奥歯を噛み締めて呻いた。
「それでも何だかちょっと屈辱ね――宿敵の子孫にヤポーニャでの生活のイロハについていちいち教えてもらわなきゃならないなんて……」
「あぁもう……今更だよ、今更。その時は宿敵の子孫じゃなくて、友達として頼ってくれればいいじゃないか」
「と――友達?」
その言葉に、エレーナがはっと顔を上げた。
「わ、私たち――友達、なの?」
「えっ、違うのかな? それとも宿敵同士では友だちになれないかな?」
「いえ、いえいえいえいえ……そんなことは……」
エレーナはなんだか虚を衝かれたような顔でぼんやりと紋次郎を見た。
「あの、モンジロー、その……日本語の『友達』って、Знакомыйじゃなくて、その、Подругаってことでも、いいの?」
「いや、ちょっとわからんな、何? ズナコームィじゃなくてパドルーガ、って言った? 文脈的には俺たちはパドルーガでいいんじゃない?」
そこで、ふっ、とエレーナが顔を背けた。
「え――何?」
訊ねてしまってから、紋次郎は少しドキリとした。
何故なのか、エレーナの白い肌は湯上がりのように真っ赤になっていた。
そうするのが癖であるらしく、つまみ上げたブレザーの裾で口元を隠し、潤んだ目を伏せているエレーナに、思わず紋次郎も言葉を失ってしまう。
「え、エレーナさん……?」
「……なんでもない。心配しなくてもいいから」
「だ、だって、なんか真っ赤じゃないか。俺、何か変なこと言ったか? もしそうなら謝るけど――」
「あ、謝る必要なんてない! とにかく、これはなんでもないから! いいの!」
エレーナが強情にそう言い張り、追撃を諦めざるを得なくなる。
本当にこの人、なんというか、大丈夫なのか? と思った次の瞬間、紋次郎はあることを思い出した。
「そうだ、エレーナさん! 俺のブレザーは?」
「え、ブレザー……? あ、あぁ、大丈夫、あの後ポリツィヤ――警察の取り調べが終わってから、一度ここに戻ってハンガーに掛けといたけど」
「ああ、助かるなぁ。じゃ、それだけ返してくれるか? それがないと明日登校できないからさ」
瞬間、エレーナが顔を上げ、何だかちょっと寂しそうな表情をしたように、紋次郎には見えた。
何だこの顔? と思っていると、エレーナがおずおずと言った。
「あのね……あなたに貸してもらったブレザー、まだ埃塗れなのよ。それに多少血もついてる。少し綺麗にしてみるから、明日の朝、返すってことじゃダメ?」
「あ、いいよぉそんな気遣い。もとから薄汚れてるしさ、そのまま返してくれれば――」
「お願い。それぐらいはさせて」
急に低くなったエレーナの顔と声に、少し気圧されてしまった。
「いくら私でも、絆創膏一枚じゃ気が済まない。頬を突き刺されてまで私のために戦ってくれたあなたに、それぐらいは恩返ししたいの。……ダメ?」
ダメ? とかなり真剣な視線で聞いてくるエレーナに、紋次郎は、「う、うん……」と頷くより他なかった。
「それじゃ、明日返してもらうってことで。そんなに無理して綺麗にしないでね」
「う、うん」
「それじゃ、今日はこんなところかな。それじゃエレーナさん、また明日ね」
「うん……」
エレーナから帰ってきたのは、何だか元気のない返事だった。
というよりも、何かを言いたがっている風に見える。思わずきょとんとしてしまうと、エレーナが口元に手を寄せ、「あ、あのね……」と蚊の鳴くような声で言った。
「もし、もしあなたがいいなら……明日の朝から、私と一緒に登校してくれない?」
「ふぇっ?」
「だ、だって、私ってあなたのПодругаなんでしょ? それぐらいはしてもいいと思うのだけれど――」
テレテレと、何だかわからないが、猛烈に照れながらエレーナはそう主張した。
私たちは友達、まぁそれなら一緒に登校ぐらいしてもいいじゃないか、と、エレーナは外国人らしいフランクさでそんな事を言っているのかもしれない。
まぁ、こんなとんでもない美人と一緒に登校すると色々と問題はありそうだが、エレーナには友人らしい友人は自分しかいないのだ。おそらく、色々と不安なのだろう。
「よし、わかった。明日から一緒に登校しようか。待ち合わせは八時でいい?」
そう言うと、エレーナの顔がパッと笑顔になった。
「ほ――本当!? いいの!?」
「それぐらいならお安い御用だよ。まだ道とかもよくわかんないでしょ? 俺が迷わないように案内するよ」
「も、申し訳ないわね。それじゃあ、お願い。いい、絶対だからね!?」
まるで紋次郎が約束を反故にすることを恐れているかのように、エレーナは念押しした。いいとも、と頷くと、エレーナが少し安心したような表情になった後、何かを思い出して慌てて付け足した。
「い――言っておくけど、これも調査の一環だからね?」
「へ?」
「こ、これはあなたがどんなルートで普段帰宅するのか把握するためだから! そうじゃないといざとなった時に襲いづらいから――!」
「そうか? そりゃ不思議だな。これから俺はエレーナさんと一緒に登校するのに、誰が俺を襲うんだ?」
からかってみると、エレーナが困ったように眉間に皺を寄せ、「それは……!」と言ったきり黙ってしまった。今日一日を通してもそう思うのだが、エレーナはあまりに隙だらけだった。
こういうところ、本当にアイツと一緒だなぁ――。
意地っ張りで、素直でなくて、洗練された愛情表現というものが出来ない不器用な子。
そのくせ一途で頑張り屋で、一度こうだと決めたら絶対に曲げられない子。
思わず、エレーナの頭を撫でたくなる衝動を堪えるのに大変な努力が必要、だった。
まだ決まりが悪そうにしているエレーナを、そろそろ紋次郎も勘弁してやる気になった。
「明日、集合時間に遅れるなよ? 寝坊したら置いてくからな」
「な――! 寝坊なんか絶対しないわよ! あなたの方こそ、絶対に遅れないで起きてよね!」
「こう見えても早起きは得意なんだよ。――じゃ、そろそろ解散するか」
「え、えぇ……」
エレーナが頷き、もう一度だけ念を押した。
「明日、絶対よ?」
「あぁ」
「待ってるからね」
「待たせないようにするさ」
フッ、とお互いに顔を見合わせて笑ってしまってから、紋次郎とエレーナは何だか名残惜しい気分とともに自分の部屋へと帰っていった。
◆◆◆
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