第17話二〇三号室突撃戦

 しばらく、紋次郎とエレーナは初夏を迎えようとする田舎道を歩いた。何だか気まずい空気が流れ、お互いに無言だった。


「……あの、ありがとうね。朝のこと、お礼言ってなかったから」


 ぽつり、とエレーナが言い、紋次郎は無言で頷いた。


「あの時、本当は怖かった。大の大人二人に武器を向けられて、殴られて……口では抵抗したけど、多分、私一人だったらあのまま襲われていたと思う。穢されたらどうしよう、それからどうやって生きていこうって、そんなことばかり考えて……」


 本当に怖かった、というように、そこでエレーナは深くため息を吐いた。


「でも、あなたが来てくれて、あっという間にあの強姦魔どもをぶっ飛ばして助けてくれた。あの時は本当に救われた気持ちで一杯だった。あなたの猛獣ぶりもちょっと怖かったけど――穢されかけてた私にブレザーを掛けてくれて、怖い人じゃないんだな、ってすぐわかった」


 あぁ、と紋次郎は今更ながらにエレーナの肩にかけてやったブレザーのことを思い出した。あのブレザー、どうなったんだろう……と思っていると、エレーナがふと立ち止まり、紋次郎をまっすぐ見つめた。


 思わず、紋次郎も立ち止まってエレーナを見つめた。


「お礼と一緒に、これだけは言っとかないと、って思うのだけれど――」


 エレーナは碧眼を潤ませて、こっちが気の毒に感じるぐらい、必死な表情をしていた。




「かっ――カッコよかったから!」

「え?」

「あの時のあなた――凄く、凄くカッコよかった! 『不死身の船坂』そのものみたいで、凄く強くて、見惚れてしまった――!」




 エレーナの声は、遮蔽物のない田んぼの道によく響き渡った。


 この素直ではない人の口から出たとは思えない、真っ直ぐな感情を乗せたその言葉に、紋次郎の顔が急激に熱くなった。


「おっ、おう……」

「な、なによその表情。褒めてるのよ? こんな小っ恥ずかしいこと、二度と言わないんだから、もう少し喜んでよ」


 エレーナはボソボソとそんな事を言った後、迷ったように付け足した。


「正直に言うわ――私ね、実際は『不死身の船坂』に憧れていたの。そりゃ先祖に恥をかかせた宿敵の男だけど……それ以上に、英雄だとも思っていた」


 訥々と、エレーナはそんなことを語り始めた。


「小さい頃は『不死身の船坂』の英雄譚を祖父から聞くのが好きだった。銃剣を振り回して、どいつもこいつも一撃でぶちのめして、陣地を奪って、たくさんの仲間を救って……。大国だったロシア帝国相手に、たった一人で立ち向かった日本人ヤボンスキのこと、ずっと頭の中で空想していたの。彼が今も生きていたらどんな人だったんだろう、って……」


 そこでエレーナは、少しだけはにかむように笑った。


「でも、あなたのことを見てたら、こんな人だったんだろうな、って、すぐわかった。普段は草食動物みたいに人畜無害な人なのに、いざとなったら猛獣に豹変したんだろう、って。でも基本的には穏やかで、優しくて、震えてる人がいたらつい自分の上着を脱いで、その人の肩に掛けちゃうような人だったんだな、って――」

「褒めすぎ、褒めすぎだから。あぁもう、勘弁してくれよ――」


 顔を真っ赤にしながら紋次郎が降参すると、エレーナが少し得意げに笑った。


「ようやく一本、かしらね。初めてあなたに一矢報いたわね」

「で、でも、エレーナさんの顔も真っ赤じゃないかよ……痛み分けだよ、これ」

「それでも一本は一本よ。これで戦局はロシア側に有利になったわね」


 ニヤリ、とエレーナは笑みを一層深くした。


 真っ赤になって縮こまっている紋次郎をニヤニヤと見つめてから、あーあ、とエレーナは視線を虚空に移した。


「でも、あの奇妙奇天烈な踊りだけは、多分本人とは違うわね。『La☆La☆Age』、Koto☆、だっけ? あの当時のヤポーニャにもアイドルっていたのかしらね――」


 その言葉に、紋次郎は顔を上げた。


「あのさ、エレーナさん」

「うん?」

「俺は確かに『La☆La☆Age』が好きだし、Koto☆も好きだぞ。けどな――それに感じる、可愛い、とか、愛してる、は、なんというか――もっともっと、エレーナさんが考えてることとは違うものなんだ」


 この男は何を言い出すんだろう、というような表情で、エレーナが紋次郎を見た。


「何というかな――俺がKoto☆に感じてる愛というのは、跳ね返すもののない、広い広い海のようなものなんだ。多分、エレーナさんが思ってる愛ってのは、ごうごうと燃え上がる炎みたいなもの、なんだと思う。わかるか?」

「全然わからない」

「あぁもう、なんて言えばいいんだろう――」


 紋次郎はちょっと頭を抱えてしまってから、エレーナを真剣な目で見つめた。


「エレーナさん。つまりこういうことだよ。――俺はKoto☆を愛してる。でも、それは恋じゃない」

「はぁ?」

「女性としてKoto☆を好きなわけじゃない、ってことだよ。そりゃ俺にとって一番の推しはKoto☆だけど――推しは推しだよ、憧れであって恋じゃない。恋じゃないけど、Koto☆は俺の人生で一、二を争って大事なものなんだ。だから、絶対に嫌いにはなれないんだ」


 紋次郎は、少し緊張した心持ちでエレーナを見た。




「こんな気色悪いアイドルオタクが宿敵の子孫で――エレーナさんは嫌か?」




 しばらく珍妙な表情で紋次郎を見つめたエレーナは、ややあって微笑み、長い銀髪を靡かせてふるふると首を振った。




「いいえ。最初に見た時は少し驚いたけど……いいわ、そこまで好きなら、特別に許してあげる」




 許してあげる。随分上から目線のその言葉に、紋次郎とエレーナはへらへらと笑いあってしまう。


 しばらく、紋次郎とエレーナは無言で帰り道を歩いた。


 無言だったのに、不思議と気まずさはなく、それどころか、何だか奇妙に落ち着いてしまったような空気が漂っていた。


 アパートに辿り着くまであと二つ目の信号で、エレーナが口を開いた。


「もういいわ。ここまで送ってもらったら後は十分。あなたは自分の家に帰って」

「あ、いや――俺のアパートもこっちだから」

「あら、そうなの?」


 ちょっと意外だというようにエレーナが目を丸くした瞬間、信号が青に変わった。


 再び無言で歩き、アパートまであとひとつの信号で、エレーナが紋次郎を見た。


「まだこっち?」

「うん」

「そう」


 暫く待つと、信号が青に変わった。二人で並んで渡ると、複数の新築アパートが建っている住宅街に来た。そのうちのひとつ、『メゾン三笠』という小綺麗な新築のアパートの前で、エレーナが立ち止まった。


「はい、ここまで送ってもらったらもういいわ。ここが今日から私の家になるアパートなの」


 エレーナはそう言って、そのアパートの二階を見た。




「日本のアパートメントはウサギ小屋みたいだって聞いてたけど……それほど住心地は悪くなさそうね。まぁ、何はともあれこれからヤポーニャの生活に慣れていくにはいい部屋だと思って……」

「……エレーナさん」

「うん? 何?」

「ちなみに、何号室がエレーナさんの部屋?」

「え? 二〇三号室だけど……」




 二〇三号室。ここでもなんだか日露戦争にコスってないか? 


 俺が突撃しろってか? 二〇三高地ならぬ、二〇三号室に?


 紋次郎はどうやっても自分たちを放っておく気はないらしい先祖の因縁と、「帰ったらたまげるかもしれん」と半笑いの声で言った堀山茜の一言を恨んだ。




「……隣部屋だよ」

「え?」

「俺、このアパートの二〇二号室に住んでるんだ。……俺、今日からエレーナさんのお隣さんだ……!」




 紋次郎が震えながらそう言うと、しばらくロンドンとパリの方向をそれぞれ見ていたエレーナの碧眼が――ゆっくりと真正面に戻った。


「え――!? うえええっ!?」


 エレーナが素っ頓狂な悲鳴を上げた。




◆◆◆



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