第19話妹連絡戦
部屋に入った途端、何だか猛烈な疲れを感じて、紋次郎はドサッとスクールバックを玄関に落とし、よろよろと部屋に入った。
何だか――色んなことが起こりすぎた一日だった。
俺を『宿敵』と呼ぶ、謎の銀髪ロシアン娘を強姦魔から助けて、ナイフで刺されて、その人がお隣さんになって――。
今日ほど密度が濃い一日は、いまだかつて紋次郎の人生にはなかったし、今後も有り得ないとさえ思えた。
なんだか疲れてしまい、紋次郎はジャージとスラックスのまま、どさりとベッドに倒れ込んだ。
『不死身の船坂』――。
今までの人生でもあまり意識したことのない先祖のことを、紋次郎は思い返してみた。
一応、『不死身の船坂』――船坂佐吉の顔は、仏間に遺影が飾ってあるので知っている。だが、それは船坂佐吉が七十代半ばで亡くなる直前、老人の時の顔だから、不死身と謳われたときの面影は、顔中に走る傷跡ぐらいしかない。
見る人が見れば軍人ではなく、その道の老ヤクザにも見える人相といえたが、反面、その目は穏やかで、殺気のようなものはなにもなく、むしろ温厚な人にさえ見えた。
かつて血で血を洗う激戦を繰り広げた旅順攻略戦と、二〇三高地の戦い――その最大の功労者であった船坂佐吉は、一節には三百人にも昇る数のロシア兵を屠ったという。
彼が数々の栄誉を故郷に持ち帰り、軍人年金という形で多額のカネが入ってきたからこそ、今の船坂家があり、紋次郎がある。
それはわかるが――言い方を変えれば、船坂家は船坂佐吉と、数多のロシア兵の流血の結果、栄光と財産を手にしたのだ。
戦地から帰って来た後も、おそらく一生消えなかった戦争の記憶――英雄と謳われた彼は、その記憶とどのように向き合って生涯を送っただろうか。
そして、今百二十年ぶりに、自らが作り出した因縁によって、己の子孫が宿敵の子孫と再会したことを、どのように感じるのだろうか。
考えても仕方のないことだとはわかっていたが――考えずにはいられないことだった。
しばらく無言で、紋次郎は天井を見つめ続けた。
ふと――ピロリン、というような音がスラックスのポケットから発し、紋次郎はスマホを取り出した。
見ると、LINEが来ている。巽からかな? と思って新着メッセージを見た紋次郎は、おっ、と声を上げた。
『そろそろ帰れそう』
それは愛しの妹からの連絡――紋次郎が溺愛して止まない魂の片割れからの連絡だった。
東京にこことは違う自宅を構え、何かと忙しい生活を送っている妹からの連絡は、いつも余計なことなく簡潔だ。
簡潔ではあるけれど――忙しい仕事の合間を縫って、必ずこうして連絡をくれるのである。
色々難しい年齢であるから最近は昔と違って塩対応なのだけれど、とりあえず、こんな田舎町で一人暮らしをしている兄のことを、何はともあれ気にかけてはいてくれているようだ。
そのことが、単純に兄として嬉しかった。
『そろそろ帰れそう』――それだけの短い文面を、紋次郎は何度も何度も読み返した。
「可愛い奴め」
思わず緩んでしまった頬のまま、紋次郎は愛おしくスマホを抱えて身を捩った。
昼間、エレーナに貼り付けてもらったクマの絆創膏が、いつの間にか剥がれて枕元に落ちていることに、紋次郎は気が付かなかった。
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