第21話見知らぬ戦闘記憶戦

『突撃ーッ!!』


 そんな号令とともに、「自分」は相棒であるライフル銃を抱え、塹壕を飛び出し、雄叫びを上げて走り出す。


 木が一本も生えていない、丈の低い草だらけの大地。自分が見据えるまっすぐ前には、小高く盛り上がった丘が――海抜が203mあることから、日本軍が二〇三高地と俗に呼んでいる丘陵がある。


 これから「自分」はあの丘に突撃を掛け、あの丘に陣取る露助たちと殺し合いを演じるのだ。


 方々から友軍の雄叫びが上がった次の瞬間、ガリガリガリガリ! という耳障りな機関銃の射撃音が遠くから聞こえ始め、それと同時に、臓腑を揺るがすような轟音があちこちで上がり、黒土が弾け飛んだ。敵軍の砲撃が始まったのだ。


 噴き上がる土煙と黒煙の中、当たるを幸いとばら撒かれる銃弾は――何故か「自分」には当たらない。


 否、当たっているかどうかがわからない。


 二、三度、太ももや肩に焼け木っ杭を押し付けられたような衝撃を感じたが――どういうわけか痛みを感じなかったし、歩みも止まらなかった。ただ前進することだけに「自分」が集中しているのがわかる。


 「自分」は雄叫びを上げたまま、爆煙を切り裂き、斃れた友軍の死体を踏みつけ、引きちぎられた鉄条網を飛び越え、驚愕の視線でこちらを見上げた露助たちの塹壕の中へ――銃剣先を振り下ろしながら飛び込んだ。


 ひげもじゃの露助の胸に、「自分」の銃剣先がめり込んだ。その露助が地面に倒れるより先にそれを引き抜き、次は横薙ぎで、隣りにいた目の蒼い男の首筋を狙う。


 首の筋ごと重要な血管が切り裂かれ、まるで噴水のように吹き出た返り血を頭から被ってしまう。


 それでもなお戦闘をやめず、「自分」はあと三人いる露助たちを睨みつけた。




『Росомаха! Росомаха――!!』




 一人の若い露助が蒼白の顔で繰り返し叫び、突如飛び込んできた日本兵を見て、すとんと腰を抜かした。




 そう、Росомахаロソマハ――それが露助が「自分」を呼ぶ時の名前らしい。


 今ではすっかりと覚えてしまったその声が消えぬうちに、「自分」は腰を抜かした露助を思い切り蹴りつけ、ライフルの引き金を引いて頭を吹き飛ばした。


 三人目。「自分」は唸り声を上げ、背後で拳銃を抜こうとする露助の顔面に向かい、振り向きざまに銃剣を投げつけた。


 分厚い額の骨を完全に貫き通す手応えを手元に感じ――気がつけばあっという間に四人を蹴散らしていた。


 と――背後に重苦しい金属音が音がし、最後の露助が震える手でライフルを構えていた。


 慌てて斃れた露助の死体から銃剣を抜こうとするが、手の届かない距離があった。その間に最後の露助がライフルのレバーを元の位置に戻し、引き金に指をかける。


 こうなったら――瞬間、「自分」は露助が構えたライフルの銃身を右手で掴み、渾身の力で捻り上げると、驚愕の表情を浮かべるその首筋へ思い切り咬みついた。


 ブチブチブチブチッ……! という身の毛もよだつ音が発し、露助の口から迸った悲鳴が耳を劈いた。


 口腔内へどうどうと流れ込んできた血を飲み下し、肉を引き裂いて――「自分」は露助の首筋を喰いちぎった。


 噛みちぎられた首筋を押さえ、中年の露助が仰向けに倒れ込んだ。


 刻一刻と流れ出てゆく血潮の音に震えながら、露助は焦点の合わない目で「自分」を見上げた。




 ふと――「自分」の中に、残虐な気持ちが湧いた。


 そうだ、こいつの一部を戦利品として持ち帰ろう。


 そうすれば、零細百姓でしかない家族の生活はきっと楽になる。


 上官が「よくやった」と褒めてくれて、また恩賜のたばこや羊羹をくれる。


 穢された妹の痛みの分、こいつらに同量の、いや、それ以上の苦痛を与える。


 武功抜群、軍神が宿りし兵士、古の古強者たちにも劣らぬ卓抜なる戦果――。


 俺の、俺の妹に手を出したことを、こいつらに一生後悔させてやる。




 やめろ、やめろ、誰もそんなことを望んじゃいない、妹が泣くだけだ――!


 「自分」の中の誰かが、そう絶叫したのに、「自分」は止まらない。


 そのまま、今まさに命を失わんとしている露助の口に、「自分」は手を突っ込んだ。




 メリッ、という音と共に、露助の身体が激しく痙攣した。


 そう、その時の自分の指に握られていたのは――生きた人間からむしり取った、血まみれの歯だった。




◆◆◆



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