第49話不死身の英雄解放戦

 はっ、と、エレーナの肩に噛みついたままの船坂佐吉が、何かを思い出したかのように目を見開いて停止した。


 そのまま、エレーナがゆっくりと、紋次郎の背中に手を回した。




「覚えてるでしょう!? アレクセイ・セルゲイヴィッチ・ポポロフを……! 戦場であなたに命を救われた、あなたの友人……!」




 ようやく身体を起こした寿は、息を呑んでエレーナを見つめた。


 エレーナがゆっくりと、紋次郎の、否、船坂佐吉の背中を擦った。




「あなたは人殺しなんかじゃない、あなたは私の先祖の命の恩人だった! だから私がいる! その孫の孫である私が、エレーナ・ヨシタカヴナ・ポポロフが今ここにいられるの――!!」




 エレーナは涙に震える声で船坂佐吉に語りかける。




「あなたは確かにたくさんの人を殺したかもしれない! けれど、その宿敵であった男の息子を助けたはず! そして友達になって、きっと――きっと平和な世の中でまた会おうって約束した! そうでしょう!?」




 そう、それはエレーナの祖国が激動の歴史を辿ったせいで、叶わなかったはずだけれど。


 けれど、百二十年経った今でも、その約束は、彼女らの一族の中で忘れられていないのか。




「遅くなってごめんなさい……! でも、でも、その子孫である私があなたに会いに来た! だから私はここにいる! アレクセイの孫の孫である、この私が、あなたに――!」




 エレーナの制服の生地を噛み千切った船坂佐吉が、エレーナを見つめた。


 信じられないものを見つめるように呆然とした後、ふと――船坂佐吉の右手が、エレーナの頬に回り――その美しい銀髪に触れた。




「銀色の、髪――?」




 血に塗れた船坂佐吉の目から、まるで潮が引いていくように、狂気が薄れていった。


 ゆっくりと、船坂佐吉はエレーナの肩に手を回し。


 二、三度、頬を震わせてから……何かを恐れるかのような表情で口を開いた。




「アレクセイ――アレクセイは、あの後、どうなった?」




 それは兄の声であって、兄のものではない。寿にはすぐにわかった。


 ごくっ、と、エレーナの白い喉が動いた。




「あの後、アレクセイは戦争を生き抜いて祖国に帰った。そして私の祖母の祖母であるエレーナと幸せな結婚をしたの」

「おお、そうか――! そいつはよかった!」




 船坂佐吉が、初めて笑顔を見せた。


 それは兄の顔であったけれど、兄の笑い方ではない、誰か別の人間の笑い方だった。




「そうか! アイツ、ちゃんと生きて結婚できたのか! あの写真に写ってた、お人形さんみたいに綺麗な女の人とか! そうか、それはよかった――! ずっと、ずっと心配してたから――!」




 寿が呆然としたまま聞いていると、エレーナが再び口を開いた。




「沢山、あのあと沢山、大変な目にあったと聞いてます。あの後、ロシア革命が起こって、アレクセイは貴族ではなくなった……。それでも、しっかりと愛する人の手を取り、国中を逃げ回って、なんとか生き伸びた。老いて死ぬその瞬間まで、あなたと再会するという目的を遂げられなかった自分を責めていたと……」




 その言葉に、船坂佐吉が痛ましく目を伏せ――。


 再び、エレーナを見つめた。




「それでも……アレクセイは、幸せに生きて……幸せに死んだのか?」




 エレーナははっきりと頷いた。


 そうか――と目を伏せた船坂佐吉に、エレーナが船坂佐吉の、血の涙に汚れた頬に触れた。




「あなたにだってあの後、お子さんが生まれた……そうよね?」




 船坂佐吉は何かを思い出した表情になった後、頷いた。




「とても、とても可愛い……俺の奥さんにそっくりな娘だったよ」

「そう、それはよかった。アレクセイだって心配していたらしいわ。ちゃんとフナサカは奥さんと仲良くやれてるだろうか、って……」




 もちろんだ、というように、船坂佐吉が薄く笑みを浮かべて頷いた。




「フナサカ――不死身の、フナサカ・サキチさん」




 エレーナが碧眼に決意の色を浮かべて、船坂佐吉を見つめた。




「思い出して。あなただって、戦場にいた頃のあなたが全てじゃない。ちゃんと幸せになって、幸せな結婚をして、お子さんやお孫さんたちに囲まれて幸せに生きた。――きっと、そうなんでしょ? ここに、モンジローやコトブキちゃんがいるのがその証拠、そうでしょう?」




 船坂佐吉が、今度はちゃんと人間の涙を目の縁に浮かべ、何度も何度も頷いた。




「あなたは赦されていないんじゃない。思い出していなかっただけ。過去の自分が全てじゃなかったって……。だから――あなたもちゃんと、自分を赦して。自分で自分が赦せないなら、あなたの宿敵であり友人だった、私があなたを赦す。だから――」




 エレーナが、船坂佐吉の頬を両手で包み込んだ。




「モンジローを――私の、私の大切な人を、返してください」




 船坂佐吉が、再び強く頷き、瞑目したまま空を仰ぎ、ああ、と嘆息した。




 全てを赦し、全てにようやく、赦されたような表情――。


 随分長い間忘れていた太陽の光を、再び全身に浴びようとするかのように。




 百二十年にも渡る船坂佐吉の戦いが、ようやく終わりを告げていった。




◆◆◆




もうすぐ完結します。


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