第53話終戦
「自分」は、懐かしい気持ちで家に帰るための道を歩いていた。
手には、武功抜群で天皇陛下から賜った軍刀と、そして復員先の東京で買い求めたお土産の数々。
嫁さんの好きな、甘いものばかりを買ってきたつもりだけど、喜んでくれるだろうか。
一応、自分があの二〇三高地に参戦し、そして生き残ったことだけは、電報で伝えていた。
なんやかやのどさくさはあったものの、日本はポーツマスという聞いたことのない外国の地でロシア帝国と講話したらしいし、日本とロシアの戦争は終わった。
後は、変わり果てた「自分」が、家族に受け入れられるかどうか。
身体にはこれで生きているのが信じられないほどの傷を負ってしまったし、顔も傷だらけだった。
これでは生まれてきた子供に顔を見られる度に泣かれるのではないかと、復員の船の中で鏡を見てため息をついたことも一度や二度ではない。
けれど、「自分」は生き残った。
殆どの戦友たちが死んでしまった中で、「自分」だけは故郷の土を再び踏むことが出来た。
それだけでも幸いなことなのだと自分で自分を励まして、ここまで帰るしかなかった。
「自分」が今日、家に帰ることは、伝えていなかった。
どうせ伝えれば、地元の人間総出で出迎えられ、旗を振られたり、万歳三唱で迎えられたりするのだろう。
そんな騒がしい歓迎をされるよりも、一人でひょっこり帰って、既に生まれているはずの子どもとの対面を楽しみにしていたかった。
やがて、家の前に辿り着いた。
玄関を開ける前、ひとつ深呼吸して気持ちを落ち着けてから、「自分」は家の引き戸を開け放った。
「おーい、今帰ったぞ」
はーい、と声がして、パタパタと奥からやってきた女性が、「自分」の姿を見るなり、まるで幽霊を見たかのように硬直した。
少し、照れくさくなって、「自分」は直立不動のまま、敬礼して言った。
「船坂佐吉一等兵、只今帰還いたしました!」
「自分」のそのおどけた言葉に、目の前の女性が震え、口元を手で覆った。
にっ、と笑いかけ、「自分」は幽霊などではなく、生きているのだと伝えると――愛する妻が裸足のまま飛び出してきて、自分に縋りつくなり、激しく嗚咽し始めた。
「えへへ。なんとか帰ってこれたぜ。ただいま、俺の奥さん」
そう軽口で応じてみても、妻の嗚咽は全く小さくならなかった。
生きて帰れる見込みのない、血で血を洗う激戦――。
それを生き抜き、ここに帰りつくことが出来た喜びに、思わず「自分」まで涙を流しそうになってしまう。
とにかく、安心させるように、愛する妻の頭を撫で続けていた、その時だった。
泣き出し始めた母に負けんとするかのように、家の奥の方から火がついたような赤子の泣き声が聞こえ始め、妻が顔を上げて振り返った。
おお、と「自分」も声を上げて恩賜の軍刀を放り出し、玄関に駆け上がると、妻の手を握って訊いた。
「どっちだ? 男か? 女の子か?」
「女の子――とっても可愛い、お姫様みたいな女の子です」
「そうか! よかった、よくやってくれたな! 早く! 早く顔を見せてくれ!」
「自分」は逸る声でそう言い、のしのしと家の廊下の奥へと歩いていく。
なぁ、無事に生まれてきてくれた俺の赤ちゃんよ。
君には、言いたいこと、聞かせてやりたいことがたくさんあるんだ。
戦場は怖いところだけれど、逆にたったひとつだけ、いいこともあったんだ。
俺に、俺に青い目をした友達ができたんだよ――。
そう思うのと同時に、急に、視界が強い光で包まれていって――。
◆◆◆
もうすぐ完結します。
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