第11話東洋呪術廻戦

 一体――なんなのだ、アレは? 東洋に伝わる呪術か何かだろうか?

 

 突如豹変し、奇妙な文言とともに奇妙な動作を始めた紋次郎の背中を見つめながらエレーナが呆然としていると、あぁ……と、その豹変に慣れているらしい男子学生たちから奇妙に納得したような雰囲気が漂い始めた。




「なるほど、『ララエジ』のKoto☆か。もう復帰したんだなぁ」

「確か事務所の階段から落ちて右足を骨折したんじゃなかったか?」

「全治二ヶ月とか言ってたのにもう復帰したのか。まだ事故から半月だぜ?」

「トップアイドルのセンターだからな。稼がなきゃいけないんだろ」

「ヒエー、紋次郎みたいな特異体質でもないのに、アイドルって可哀想っ」




 アイドル? その単語にエレーナが周囲を振り返ると、紋次郎にフジムラタツミとか呼ばれていた小柄な男子生徒がエレーナに向かって補足した。




「あぁ――エレーナさんは初めて見るよな。紋次郎はいつもああなんだ。今テレビに映ってるのは『LA☆LA☆Ageラ・ラ・エイジ』っていうアイドルグループで、紋次郎はそれの大ファンなんだよ」

「あ、アイドル……?」

「そう、アイドル。可愛い女の子たちが歌って踊るユニットだよ」




 フジムラタツミはキレキレのヲタ芸を続けている紋次郎を愉快そうに眺めた。




「凄いんだぜ、紋次郎は。『ララエジ』がまだ全く無名の頃からの猛烈な追っかけファンで、中でもお気に入りなのがあのツインテールの子。Koto☆っていうんだけど、もう我が子か妹かってぐらい推しまくってて、最近のライブなんか全部行ってるし、グッズもほぼ一揃い持ってるぐらいなんだ」




 何をか言わんや――エレーナは空いた口が塞がらない思いだった。


 あの、あの日露戦争の英雄、「不死身の船坂」の子孫が、あの猛獣のような男が、栄養不足の子猫のような歌声を奏でるひ弱な女の子の集団にあれほどお熱を上げているとは。




 軟弱――エレーナの脳裏に極太のフォントで浮かび上がったのは、その一言だった。


 お前の愛すべき行為はアラスカの奥地でグリズリーと鮭の奪い合いをすることであって、あの奇妙奇天烈なダンスを衆目環視の中披露することじゃないだろうという、ハッキリとした失望の念がエレーナの中で拡大し、何だか気分さえも悪くなってきた。




 いや、それ以上に――エレーナはため息とともに割り箸をテーブルの上に置いて、立ち上がった。




 急に立ち上がったエレーナに男子生徒たちは驚いたようだったが、その視線には構わず、エレーナはまだ大騒ぎを続けている紋次郎の背後に歩み寄ると、紋次郎が振り返った。




「おお、エレーナさん! エレーナさんも『La☆La☆Age』に興味あるの!?」



 振り返った紋次郎の顔は――生の希望に満ち溢れている反面、物凄くだらしなく弛緩していた。


 うわぁ、と思わず顔をしかめると、紋次郎はテレビ画面を何度もしつこく指さした。


「あ、まだ日本に来たばっかりでわかんないか! この娘たちね、『La☆La☆Age』っていうんだ! 通称ララエジ! エレーナさんにも紹介するよ! この子がみっちぃで、この子があむりん! んでこのエクボができる子がさっきーで……!」


 紋次郎はアイドルオタクそのものの早口で説明して、最後に真ん中で踊っている娘を指差し、そして一層顔を蕩けさせた。




「んでねんでね、この女神! この女神が俺の推しのKoto☆! どう? めっちゃ可愛いでしょ!? それだけじゃないの! Koto☆は凄く努力家で、ララエジ結成当時からずっと不動でセンター張ってる子でね! 歌もダンスもファンサもすっごいの! 興味あるならCD貸そうか!? あ、それだけじゃなくてツアーのときのDVDがいいか! ね!? ね!?」




 興奮した口調でまくし立てる紋次郎の向こう、テレビ画面の中で――きらびやかなスポットライトに包まれ、爽やかに汗を流しながら観客に手を振っている女の子が見えた。




 頭の両側で結ばれた、艶やかな黒髪――。


 この子が紋次郎の「推し」、Koto☆とかいう娘に違いなかった。




 ひと目見ただけで、なるほど紋次郎がお熱を上げる理由もわかろうものだった。


 その場にいるだけで何故か目を惹き、周囲を和ませ、虜にしてしまうかのような、圧倒的な存在感。


 顔からも性格のよさ、素直さが滲み出ていて、人を疑ったり嫌ったりすることなど有り得ないのだろうとさえ思わせる透明感。


 文化の差はあれど、その差を超えてその魅力を理解させてしまうような、何か途轍もないものを秘めた少女――。




 ああ、とエレーナは何かを納得した。


 要するに、この子と自分とは、何もかもが正反対なのだ。


 お淑やかで、素直で、小さくて、人気者で。


 そして、ちゃんとした両親の愛情に包まれて育った子。




 エレーナの目にも、Koto☆という少女は、そのように映った。




 ズキッ、と、何故なのか胸が強く痛んだ。


 それは「不死身の船坂」の事を考えている時に感じる、甘いような切ないような痛みとは、似て非なる痛み――何かへの羨望と、そして落胆を感じる痛みだった。


「ねぇ――あなたはその、Koto☆とかいう子、好きなの?」


 思わず尋ねてしまうと、紋次郎が振り返らないまま「ああ大好き!」と即答した。


「世界一可愛い俺のKoto☆! 世界中のどこにいてもいつの時代でも一番可愛いと思う! 可愛い! 俺の推しが可愛い! この世の誰よりも圧倒的に一番可愛い、それが俺のKoto☆!! Koto☆愛してる~~~~~~!!」




 その言葉に何だか物凄くカッとなって――エレーナは無言で、紋次郎の足を二回ローキックで蹴りつけた。




 あ痛だ! と紋次郎が悲鳴を上げてエレーナを振り返った。


「え、エレーナさん――? ど、どうしたの……?」

「――ッ、知らない――! さっきみたいに気持ち悪い踊り踊ってなさいよ! 好きなんでしょ、その子のこと!」


 自分でも意味不明な言葉に、紋次郎が戸惑いを全開にしてエレーナを見た。


 それ以上その視線に見つめられるのが嫌で、エレーナは無言で踵を返した。


 何だか紋次郎がまごついている雰囲気を背中に感じたが、エレーナはこちらを見つめるどの視線にも答えることなく、教室に戻る一歩を踏み出した。



◆◆◆



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