第45話過去暴虐戦

 船坂紋次郎が、かつて凰凛学園という名門校に在籍していた頃の話。


 紋次郎が中学三年の年、共に中等部に在籍していた妹の寿が、とある事情から高等部の学生に暴行されるという事件が起こった。




 ことの発端は、当時駆け出しのアイドルグループであった『La☆La☆Age』のセンターであった寿に、とある不良学生が告白したことであった。


 相手に恋愛感情があったわけではなかった。ただ、まだ駆け出しとはいえ、アイドルグループのセンターである少女を彼女にすれば、自分という男に箔がつくだろう――。


 男にそんな思惑が透け見えていた故か、当然、寿はその男の甘言を拒否し、交際などとんでもないと拒絶した。




 その態度、その台詞が――去る大病院の院長の一人息子であった不良学生のプライドと面子を著しく傷つけたことは想像に難くない。


 学内でも評判が悪かったその男は、あろうことか不良仲間とつるみ、後日、寿を五人で取り囲み、その髪をカッターナイフで切り落とすという蛮行に及んだのだった。




 彼らにとって不幸だったのは、それが、その光景が、妹の寿を目に入れても痛くないほど溺愛していたその兄――船坂紋次郎に目撃されてしまったことだった。




 天国に行ってしまった母が、常々綺麗だと褒めていた寿の髪――。


 本人が一日も欠かさず、丹念にケアし、アイドルとしての命だと誇りに思っていた黒髪。


 その黒髪の一房が、眼の前で切り落とされたのを目撃した瞬間――紋次郎の理性は一瞬で消失した。




 お兄、もういい、もうやめて、お願い、お願いだから……。




 妹のその涙声に正気を取り戻すまで、紋次郎は自分が何をやったのか覚えていない。


 ただ、気がつけば妹の寿が泣いて自分を羽交い締めにしており、自分の周囲に血袋と化した男子学生が五人、転がっていて――。


 あろうことか自分の手には――生きた人間の口から直接むしり取った奥歯が握られていたのだった。




 その光景を見た自分は――失神した、と思う。


 それが自分がやったことだとはとても信じられない、否、受け入れられないことだった。




 次に気がついときには、自分は警察病院の中にいて、当然、傷害の現行犯として、数々の取り調べも受けた。




 だが、紋次郎は罪には問われなかった。


 それぞれ半殺し――否、ほぼ殺したといえる五人の不良生徒のスマホから、同窓や他校の生徒を乱暴し、凌辱する様を映した動画が多数発見されたのである。


 この動画が発見されれば、彼らが寿の髪を切り落とした後、寿に更にどのようなことをしようとしたのかは、明白なことであった。


 更に、主犯格であった赤髪の男が、父に事件の口止めを依頼し、父の医院からチョロまかした薬物をも使って女子を弄んでいた事実までが取り調べで明らかになると――にわかに風向きが変わり始めた。


 それと同時に、凰凛学園での保護者の影響力やヒエラルキーを背景に被害を黙っていた生徒たちが一斉に声を上げ始め、紋次郎が殺しかけた不良たちが却って罪に問われることになった。


 過剰防衛を警察に叱責されはしたが、なんとしても名門私立校としての体面を守ろうとする凰凛学園側の思惑もあり、紋次郎は傷害の現行犯ではなく、凶悪な連続婦女暴行グループの新たな犯行を未然に防いだ人間となることが決定した。


 結局、紋次郎のしたことと、赤髪たちが寿に対して働いた暴行とが相殺されたことで示談が成立したものの――赤髪たちは二度と凰凛学園には戻ってこなかった。




 それ以後の紋次郎の記憶は曖昧だ。


 一度は人殺しになりかけた自分。


 獣の方がまだ理性的だと言えるほどの、自分の中に眠る暴虐性。


 その二つに怯える度、自分のやったことがフラッシュバックする度に気が狂いそうになり、半年間、紋次郎は一歩も自宅の外に出ることが出来なかった。


 当然、柔道など続けられなくなり、紋次郎は逃げるようにして凰凛学園の柔道部を退部する他なかった。




 そんな紋次郎を再び回復させたのが、人生のどん底に落ちた紋次郎とは対照的に、スターダムへの道を駆け上がってゆく『La☆La☆Age』の存在だった。


 窓もカーテンも閉め切り、誰とも顔を合わせないひきこもり生活の中で、唯一外界とつながる窓であったテレビから流れてくる、軽快な曲と、スポットライトを浴びて笑顔を振りまく妹の存在。


 まるで己の中の獣性に怯える兄を励まし、再び広い世界へと誘おうとするかのように活躍の場を広げてゆく妹の寿の存在が、いつしか紋次郎を再び外の世界へと救い出す勇気を与えた。


 柔道を辞め、凰凛学園に居場所がなくなった紋次郎に、自らが勤務する星嶺高校への転校を勧めてくれた従姉妹の茜の存在もあり、紋次郎はまる一年をかけ、なんとか立ち直ることが出来たのだった。




 だが――全てが元に戻ったわけではなかった。


 妹の寿は、それ以来、二度とあのツインテールの髪型には戻ろうとしない。


 それが兄である紋次郎の人生を破壊しかけてしまったことを悔いるかのように。


 


 寿が、今まで以上に精力的にアイドルとしての活動を増やしたのも、自分を励まそうとした結果なのはわかっていた。


 自分のせいで兄を人殺しにしかけてしまった――それを寿は悔いている。


 だから二度とあの髪型には戻らず、己の殻に閉じ籠もってしまった自分を救おうと足掻き、アイドルとしての道を駆け上がってゆこうとしたのだ。


 自分の成功が兄を救い出すきっかけになる……それは不器用な寿からの、兄である自分に対する最大級の応援だったのも、紋次郎は兄としてちゃんと気がついていた。




 可愛い。本当に可愛くて健気な、俺の妹。


 お兄ちゃんはお前を愛してるぞ、寿。


 俺は妹のためならば、たとえ世界を敵にしたとしても構わない。


 妹を守るためならば、俺なんか死んだって構わないんだ。




 そう、妹を。


 妹を守るためならば。


 もしその妹が、何者かによって傷つけられたなら。


 やっぱり俺は、そいつを殺してしまうだろう。


 妹のやられたことを百万倍にして返し、首を素手で捩じ切ってやろう。


 


 そう、あの死体の山になった旅順要塞攻囲戦の時と同じように。


 そう、軍刀で敵兵を斬り刻んだ白襷隊の時と同じように。


 そう、あの寒風と土埃に汚れた二〇三高地の時と同じように。


 





 無残にも殺されてしまった戦友たちのかわりに、俺が。


 俺がこの手で露助どもを一人でも多くぶち殺してやるんだ――。







「お、お兄、これは違う! これは違うの! お兄、私は大丈夫だから! お願いだから落ち着いて……!」




 そのツインテールが、あの日と同じく、再び切り落とされようとする悪夢を目の前にして――。




 紋次郎の中に眠る暴虐性が、きっかりあの日と同じことを為さんとするかのように鎌首をもたげ――。


 紋次郎の視界が、急速に血の赤色に染められていった。


 


◆◆◆




もうすぐ完結します。


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