第46話兄妹戦争戦①

「え!? ら、『La☆La☆Age』のKoto☆!? なんでこんなところに……!」




 状況はサッパリと飲み込めなかったが、見たところ、相当にヤバい状況である。


 紋次郎が慌てて駆け出すのになんとか追いすがり、たどり着いた先には、エレーナがハマりたてであるトップアイドルグループのKoto☆がいて、しかも明らかに正気ではなさそうな目つきの男にカッターナイフを押し付けられているではないか。




 しかも今、眼の前のKoto☆は、紋次郎に向かって「お兄」と言ったのでは……?


 まさか、そんな馬鹿な。


 エレーナは一挙に襲ってきた光景に目眩がするようだった。


 それじゃあ、紋次郎が愛して止まないKoto☆の正体とは……!?




「エレーナさん!」




 はっ、と、一瞬で様々なことを考えていたエレーナの頭を蹴飛ばすかのように、Koto☆――否、船坂寿が大声を発した。




「今すぐお兄から離れて! 離れてくださいッ!!」




 紋次郎から離れろ? どういうことだ。


 慌ててエレーナが紋次郎を見ると、もうそこに船坂紋次郎の姿はなく――。


 エレーナが人生で一度も見たことがない、【怪物】の姿があった。




「も、モンジロー……!?」




 その時、エレーナが目の当たりにした紋次郎は――控えめに言って、化け物であった。




 今まで普通の人間と同じく真っ白だった白目が凄まじい勢いで真っ赤に染まってゆき、血の色が黒目を覆い尽くす。


 髪が逆立ち、ワイシャツから伸びた腕にはくっきりと幾本もの筋が浮かび上がり、顔が阿修羅のように歪んでゆく。


 その変貌の凄まじさ、そして形相の凄まじさにエレーナが悲鳴を上げた瞬間、紋次郎が気が狂ったかのように咆哮した。




「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッツツ!!」




 その咆哮は、明らかに人間が発することが出来る声量ではなかった。


 ビリビリ! と辺りに存在するあらゆる物を鳴動させ、恐怖のどん底に叩き落すような咆哮に、カッター男が尻餅をついて悲鳴を上げた。




「う、うわっ……!? な、なんだよこの化け物……!?」




 化け物。カッター男の言葉は、全く真実であった。


 エレーナが生まれて初めて感じる戦慄に立ち竦んでいたその瞬間、紋次郎の姿が隣から消失した。




 紋次郎が地面を蹴って虚空に舞い上がったのだと気づくのに、一瞬、時間を要した。


 真実、怪物に変貌した紋次郎がカッター男に飛びかかろうとするのを目の当たりにして。


 瞬間、Koto☆が、自分を襲っている最中のカッター男を強く突き飛ばすのが見えた。




 宙を飛翔した紋次郎が、大きく右腕を振りかぶり――その拳が、数瞬前までカッター男が立っていた空間に突き立った。




 途端、轟音が発した。


 建設中のビルのコンクリートを紋次郎の拳が砕き、引き裂き――あろうことか人間の生身の拳が、分厚い壁を貫通して反対側に飛び出ていた。




 ぎょっ、と、その場にいた紋次郎以外の人間が瞠目した。


 直撃していれば、人間の頭蓋骨など簡単に粉砕しただろう拳を見て、わなわなと震えたカッター男が恐怖の悲鳴を発した。




「ひ……! う、うわああああ……!! ば、化け物だ……!!」




 その悲鳴に、Koto☆が一瞬だけ、つらそうに顔を歪めたのが見えた。




「グルルルル……! ガアアア……! グオオオオアアアアアア――――――――!!!」




 人間ではない、もはや野獣そのものの咆哮を発して、紋次郎がカッター男に向き直った。


 もはや白いところなどひとつもない、真っ赤に充血した目で睨まれて、カッター男が失禁しそうなほどに怯える。


 余りにも現実的にありえない光景の連続にエレーナが卒倒しかけているのにも構わず、紋次郎が体勢を低くし、直ぐ側に倒れたカッター男に向かって飛びかかろうとする。




 瞬間、地面に倒れたままのKoto☆が――否、船坂寿が、なんらかの覚悟を決めたような表情になったのを、エレーナは確かに見た。




 両腕を広げ、まるでカッター男の首を捩じ切ろうとするかのように構えた紋次郎に、かろうじて立ち上がり、細腕を一杯に伸ばした船坂寿が飛びかかり、二人の肉体が激突した。




 ズドォン! と、人間の音が発する音とは思えない轟音が、エレーナの鼓膜をつんざいた。




 思わず一瞬顔を背け、それからおそるおそる顔を正面に戻したエレーナの目に――。




 あの船坂寿が、紋次郎の腹に組み付き、全身で進撃を阻止している光景が飛び込んできた。




「ウウ、ウウウウウウウ……! ガ……ガ……!!」




 あの、走行中のトラックをも素手で停止させたほどの怪力の紋次郎が――なんと力ずくで押し止められている。


 正気を失った声と形相で腕を振り回し、すぐそこに尻もちをついたカッター男を屠ろうとするのに――腰に抱きついたまま岩と化している船坂寿がそれを許していない。


 あまりにも超常的としか言えない光景に、エレーナは目をこぼれ落ちんばかりに見開いた。




「……お兄、なんでそんな顔になってんの。いつものアホ面はどうした?」




 船坂寿が、言い聞かせるように言う。




「相変わらずお兄はキモいね……私のためだったらホント、なんでもするんだもん。いい加減、妹離れしなきゃ……ダメだよ……?」




 明らかに今の紋次郎には人間の言葉が通じる風には思えないのに、船坂寿は対話をやめようとしない。


 それどころか、かろうじて、という感じで押さえ込んでいる紋次郎の背中を、ゆっくりと撫で擦る。




「ホント、ホントそういうところ、お兄は馬鹿だよ……。また引きこもりに戻る気? あんな必死に頑張って外に出してあげたのに……もう、ホント手間がかかる兄貴だな……」

「ガ……ガ……! グルルルルル……!!」

「もういい、もうわかってる。今のお兄には、私の言葉だって届かないんだよね……知ってる。二年前もそうだったから……だからね?」




 瞬間、今まで聖母の表情を浮かべていた船坂寿の目が光った。


 全身の膂力を総動員し、紋次郎の腰を抱えたまま、大きく身体を捻った船坂寿が。


 自分よりも数倍は質量がありそうな船坂紋次郎の身体を――気合の怒声とともに、思いっきり虚空に放り投げた。




 一体これが――人間の膂力が為せる技だろうか。


 船坂寿によって放り投げられた紋次郎の身体はまるで砲弾のようにぶっ飛ばされ、二十メートルも空を飛んだかと思った途端、近くにあった建設資材の山に頭から墜落し、鉄がひしゃげる轟音が発した。




 もう仰天とか絶句とか、そういう表現も当てはまらない光景に卒倒しそうになっているエレーナの前で、船坂寿が低い声で宣言した。




「――正気に戻るまで、私がお兄をボコる。それしかない」




 その宣言とともに、船坂寿が髪に手をやり、一息に力を込める。


 ツインテールのカツラを地面に放り投げ――いつも通りの船坂寿になったKoto☆が、腰を落とし、両腕を構えた。




「さぁお兄――数年ぶりに、本気の兄妹喧嘩しようか」




◆◆◆




もうすぐ完結します。


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