第42話最終決戦前哨戦①
「エレーナさん!」
その後、方々駆けずり回り、人に行方を尋ね、走って走って走り抜いて――やっと追いついた美しい銀髪の後ろ姿に、紋次郎はそう大声を浴びせた。
ゆっくりと振り返ったエレーナの前で、膝に手をついて呼吸を整えた後――紋次郎はがばっと頭を下げた。
「エレーナさん、ごめん。随分時間がかかったけど、ごめん」
紋次郎は心の底から申し訳ないという気持ちで謝罪した。
「俺、いろんな人に教えられた。俺、自分の体質を過信して、エレーナさんが心配してくれたことを無視してしまってた。俺、ちゃんとわかったんだよ。だから謝る、すまなかった」
余計な言葉を言わないよう、慎重に言葉を選び、頭を下げ続けていると――ふん、と、エレーナが鼻を鳴らした。
「俺、エレーナさんが許してくれるなら、爪先でも何でも舐める。オールナイトって言われても舐めるよ。だから――ごめん」
そのまま、エレーナの第一声を待っていると――不意に、ずん、と後頭部に何かが置かれる感触がして、紋次郎は目を開いた。
「え? 何?」
「おだまりなさいモンジロー。しばらくそうやって無様に頭下げてて。宿敵の子孫が情けなく謝罪する姿を天国の祖先に見てもらうから。――ああ情けない、私があなただったら恥ずかしくて恥ずかしくて生きてられないわね」
「え、ちょ、エレーナさん――」
「うるさい! 頭を下げ続けてって言ってるの! 今顔上げたら許さないから!」
エレーナが大声を出した直後、ぐすっ、と洟を啜る音がそれに続き、紋次郎は息を呑んだ。
二、三度、そんな湿った音が続いた後、エレーナがふと沈黙した。
「ねぇモンジロー、ひとつ、ヤポーニャのことを教えて」
エレーナは震える声で訊ねてきた。
「私は祖父からいろんな話を聞いた。ルースカ・ヤポンスカヤ・ヴァイナー……ニチロセンソーのとき、ヤボンスキはみんな勇敢だったんだ、って。自分たちより何倍も強大だったロシア帝国相手に立ち向かってきたって。――死を恐れなかったんだって」
紋次郎は無言でエレーナの言葉の続きを待った。
ぐすっ、と再び洟を啜って、エレーナは思いがけないことを言った。
「私の父姓、ヨシタカヴナ、っていうの。ロシア人は名前に父の名前を名乗る。父の名前はヨシタカ。昔は優しくて、頼もしい人だった――」
ヨシタカ。エレーナの身体に流れる、もう半分の血の歴史を語る言葉。
紋次郎は顔を挙げないままにそれを聞いていた。
「父と母が離婚してから、母はガンに侵された。日に日に弱っていく母を見て、祖父は母に内緒で、離婚した私の父に連絡を取った。一度でいいから見舞いに来てくれ、弱っている娘を元気づけてやってほしいって。一度は愛したはずの人の最期を看取ってやってほしいって。けれど、父は来なかった。母が息を引き取る最期の瞬間まで――」
ぐすっ、と、エレーナは再び洟を啜った。
「その時、私は聞いてしまった。ゆっくり冷たくなっていく母の手を握りながら、祖父は涙を流して言った。すまない、私が間違っていた、って――。その言葉がどんな意味なのか、私にだってわかった。一方的に日本人を信じていた自分たちが愚かだったんだって、そういう意味なのが、すぐにわかった」
エレーナが悲鳴のように叫んだ。
「ねぇモンジロー、私にはわからない。私の父とあなたがたまたまそうだっただけなの? あなたたち日本人は、人が傷ついたり、死んだりすることをなんとも思わない人たちなの? 大事な人が死んだり、消えたりすることを――この国では悲しんだりしてはいけないの?」
血を吐くかのようなその言葉に、紋次郎は何も答えることが出来なかった。
「ごめん」
謝罪、の一言だけを頭の中に浮かべて、紋次郎はもう一度言った。
たとえ許されなくても、たとえわかり合う事ができなくても。
この頭だけは下げ続けるぞ、という意志を込めて口を引き結ぶと、何度か躍起になって鼻を啜る音がして――ふう、とエレーナがため息を吐いた。
「モンジロー、頭を上げて」
「上げて――いいのか」
「お願いだから」
湿ったその声に、ゆっくりと顔を上げると――エレーナが紋次郎の両肩に触れ、その顔を真正面から見つめる。
数秒間、見つめ合ってから――エレーナの手が左肩から離れ、おっかなびっくりという感じで、紋次郎の額を触った。
火のように熱く感じるエレーナの掌の感触に耐えていると、数日前に割れた額に触れたエレーナが、呆れたように笑った。
「呆れた、もう治ってる――」
「そりゃ特異体質だからな」
「あんなに深く裂けてたのに、もう傷跡さえないんだ」
「俺は不死身だよ。先祖ほどじゃないけどな」
「不死身――そうだった」
お互いに、遠慮がちに笑ってしまった後、エレーナは紋次郎の胸に額を押し当て、爆裂しそうなほどに早鐘を打つ紋次郎の心臓の鼓動を確かめるかのように押し黙った。
「ねぇモンジロー、お願いがあるの」
「何?」
「絶対に、私の前から消えたりしないで」
ぎゅっ、と、紋次郎の肩を掴むエレーナの力が強くなる。
「父も、母も、憧れだったもうひとつの祖国も、私の前から消えてしまった。だから――あなただけは消えないで。あなたがそう望むなら、宿敵としてじゃなくてもいい」
エレーナに潤んだ目で見つめられて、紋次郎の心が震えた。
「あなたは――どっちがいい? 私が宿敵じゃなくても、いいの?」
エレーナの言葉に熱がこもった。
これだけは真剣に答えてほしい、そんな真摯な言葉に、紋次郎はエレーナの肩を抱いた。
「エレーナさん――」
自分は今ここで、はっきりと言おう。
前回のように中途半端に濁した言葉、行動ではなく。
自分は、エレーナと宿敵ではないものになりたいのだと。
エレーナの青い瞳が、真剣に紋次郎の言葉の続きを待っていた。
紋次郎が深く息を吸い、しばし決意のために沈黙した、その時だった。
不意に――エレーナの頭越しに見えた道向こうに、踵を返して足早に去ってゆく黒髪が目に入り、一瞬だけ、注意がそちらに奪われた。
今のツインテール、そして制服は――凰凛学園の高等部の女子制服である。
そしてあの小柄な背丈、そしてつややかな黒髪……間違いない、妹の寿だ。
アイツ――紋次郎は今のやり取りを見られていたことを悟って、急激に顔が熱くなった。
昔から少し心配性のケはあったが、まさか放課後、わざわざ自分たちをつけて来るとは。
「モンジロー……?」
どうしたの? と、エレーナが不思議そうに紋次郎の顔を見上げた。
「い、いや、なんでもない。それで、エレーナさん……」
そう言って、再びエレーナの顔に向き直る直前、紋次郎の目に、一人の男が飛び込んできた。
如何にも正常な精神状態ではありません、と言えそうな、着の身着のままの格好に、伸ばし放題の無精髭と、脂べっとりの髪。
ひと目見て不潔で危険な印象のその男の目は十数メートル前をゆく寿の後ろ姿を凝視しており、なおかつその手に――白く冷たく、光るものが見えて、紋次郎はあっと声を上げた。
アレはヤバい。紋次郎が今での人生で図らずも研ぎ澄まされてきた危機感知センサーが警報を発した。
「モンジロー? どうしたの?」
「ご、ごめんエレーナさん、ちょっとついてきてくれるか」
「え、き、急にどうしたの? そんな怖い顔して! 何があったの!?」
「とにかく、なんかヤバそうなんだ。頼む、一緒に来てくれ」
「え、ちょ、ちょっと――!」
エレーナには悪いが、これ以上ことを説明している暇はなかった。
なにかの間違いであってくれ――紋次郎は祈るような気持ちとともに走り出した。
◆◆◆
完結させる、完結させるんだ……。
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