第十五話「うまく落ちろよ」

※※※


「う〜〜〜〜〜ん……こっちじゃ!」


 階段なども作られていない、ほぼ天然の洞窟を下っていく。

 分かれ道に差し掛かるたびに、童子は道をさし示してズカズカと行ってしまう。その勢いに、八兵衛は先導されるまま着いて行っていた。古巣とはいえ、全く見覚えのない場所のため、八兵衛が光圀の元へ辿り着くための道順の根拠があるわけでもないから、童子の謎の自信に頼るしかないのだが。


「さっきからやけに勢いよく道を選んでるけど、わかるのか? 光圀の居場所が」

「勘じゃ」

「おい」

「冗談じゃ。微かにな、するんじゃよ。氷砂の気配が」

「……!」


 童子が光圀から微かに感じたという、鬼の姫の香り。現に、童子はその気配を辿って光圀の前に現れた。だからその〈勘〉は相当以上に信じられるものだと思って良い。しかし、童子がその名を口にするたびに、八兵衛は口中に苦いものを感じていた。

〈光圀〉は、適性のある人間に〈鬼の脊髄〉を移植して造られる。ならば、光圀に埋め込まれている〈脊髄〉は。そして、つまりおそらく、氷砂姫は、もう。

 八兵衛の表情が曇るのに気づいてか、童子は八兵衛の頭頂部を小突いた。


「痛っ」

「今は目の前のことに集中せんか」

「あ、ああ……」

「ほんっとに妙な奴じゃな。まあ、だから最後の暇つぶしにはちょうどいいんじゃが」


 滝の音が大きくなり、童子の声は聞こえなかった。

 捕らえらえていた部屋からも微かに聞こえていた音。迷宮のような施設を何層か下に降りるにつれ、それはどんどん大きくなっていた。


「うるさいのう、この音……」

「……!」


 八兵衛は思い出した。

 待宵草忍軍の里は、大昔に噴火した小さな火山にできたカルデラの内部に作られている。その中央には、地下水脈が四方から流れ込み、水を吸い込み続けているように見えることから〈龍の口〉と呼ばれる巨大な穴が存在していた。修練に使われることも多かったが、その滝壺はあまりに深く昼間でも何も見えず、近寄るものはない。

 今八兵衛たちが彷徨っている施設はどうやら〈龍の口〉周辺に作られたもので、おそらく、今彼らはその滝壺に向かって降りているのだ。


「なるほどのう、だから床や壁からも水が染み出しておるのか」

「そういうことだと思う。滑りやすいから、気をつけろよ」


 童子の返事はない。壁に手を当て、目を閉じていた。

 数秒、何かを念じるように眉を顰めると、やがて目を開いた。


「何やってんだ、童子」

「水脈と龍脈が重なっているところも多いくらいでな。水場は霊気がたどりやすい」

「! 光圀の居場所、わかったのか?」

「おそらくじゃが、この辺りの水が全て集まる場所……滝壺のすぐ近くじゃ。あの小娘も最下層と言っておったし、当たりじゃな」

「じゃあ、このまま下に降りていけば……」

「そういうことじゃ。一気に行くぞ」


 二人は再び歩き出した。

 忍軍の施設だから、そこらじゅうに見張りや警備の忍者が配置されているかも、と警戒していたが、捕らえられていた部屋から出てこっち、一度も会敵していない。やはりあの〈歪みの日〉に、忍軍はほとんど全滅してしまったのだろうか。

 などと考えを巡らせている余裕は、この後すぐに無くなることになる。


「おい、例の死体どもじゃ……!」


 童子が警戒する視線の先、先ほどの部屋で見たような、異形の屍兵たちが緩慢な動きで歩いているのが見えた。慌てて二人は近くの岩に身を隠す。見たところ、さっき見かけた個体とは形が違うように見える。このまま通り過ぎてくれればありがたいが。

 そう観察していると、あり得ないものが視界に入ってきた。

 赤毛の癖っ毛で、メガネをかけた作業着の少女が、屍兵たちに囲まれながら、ぴょこぴょこと歩いている。それは、どう見てもシイナの姿だった。


「なんで、ここに……!?」


 息を呑む。しかし、この緊迫した状況においては、それすらも迂闊な挙動だった。

 その呼吸音を聞きつけたかのように、屍兵のうちの一帯が、ぐりん、とこちらに顔を向けた。他の個体と、シイナにしか見えない少女も即座にそれに倣う。


「くそ、見つかった……!」


 彼女は懐から、先ほど童子の腕を切断しようとした時に使ったのと同じ丸鋸を取り出し、上段に構えて走ってくる。

 八兵衛たちは反対側に走ろうとしたが、間の悪いことにその先にも屍兵たちの姿が見える。そしてその中央には。


「し、シイナ……!?」


 今前方から迫ってくるシイナと、全く同じ姿をした少女がいた。


「なんじゃ、双子、いや、三つ子か??」

「なんでもいい、とにかく何とかしないと!」


 八兵衛は頭を巡らせる。

 どうする。

 童子の攻撃力は当てに出来ない。今、戦闘で使えそうな要素は、八兵衛の速度だけ。しかし、携行していた小刀などは全て取り上げられている。丸腰。あたりを見回すが、湿った洞窟には応用できそうなものは何も見当たらない。天井から垂れ下がる鍾乳石を折って使うか。いや、それでは脆すぎる。

 視線を巡らせている中、童子の首から下がった鍵が見えた。


「童子、その鍵って……」

「お? これこそは鬼の一族に伝わる秘宝よ。木火土金水、それぞれの気の満ちた場所に触れて念じればたちまち気を集め、自らにふさわしい武具に姿を変えるという……」

「説明はいい! なんか出してくれ! 俺が使う!」

「雑なお願いは感心できんが、承知した……!」


 鍵を首から外し、水の滲み出る岩壁に触れる。


「こんだけ滝の音がでかいんじゃ。たいそう溢れておりそうじゃのう。……〈水気〉!」


 鍵の中央の飾り石が青くチラリと光ると、たちまち岩壁から大量の水が吹き出し、鍵の元へ集まっていく。


「ほれ、後はお前が使え」

「お、おい!」


 水が不定形にうねうねと纏いつく状態の鍵を、童子はほいと八兵衛に投げ渡した。

 取り落としそうになりながら、慌ててそれをキャッチする。


「あ、言い忘れておったが、〈水気〉は攻撃には向かんぞ。固く強い〈木〉や〈金〉、熱をもつ〈火〉と違って、手持ちの大きさで敵をやっつけるような力は出せんからのう」

「何やってんだよお前……!」

「気を集めるところまではやってやった。後はお主の戦いやすいような武器の形を念じてみい」

「くっそ……!」


 念じるって言ったって。八兵衛は毒づく。

 不定形の水を形にするだけでも大変そうなのに、例えば刀の形にまとめたところで、おそらく刀の形になった水でしかない。硬さも鋭さもないそれでは、おそらくまともな武器にはならない。

 どうする。

 手に持った鍵を見る。絶え間なく鍵の周りに水が注ぎ込まれ続け、水は尾を引いて岩壁に続いている。

 絶え間なく、岩壁から?

 気づいた。

 そうか、この水は、この辺りの地下水脈から岩に染み出したものから集められている。地下水脈は〈龍の口〉たる大瀑布に流れ込んでいる。

 使える水は無尽蔵。

 ならば。


「これだ!」


 八兵衛の声に応えるかのように、水が形を変える。

 岸壁から流れる水はぶしゅう、と音を上げた。

 次第にその勢いを増し、勢いを増し、勢いを増し、


「な、なんじゃこの音は!」


 その溢れ出る音は急速に高くなる。きいいん、と耳障りな音を立てながら、その水の刃は完成した。

 刃渡は小刀程度。しかし、その刃に沿って、細い水流が音に近いスピードで回転している。超高速の水流に触れればたちまち、石も金属も切断する、さながら激流のチェーンソーであった。形成する水は背後の岩壁から無尽蔵に供給されるため、エネルギー切れも起き得ない。〈最速〉の才をもつ八兵衛ならではの発想が作り上げた水の刃である。


「な、なるほどのう……!」


 八兵衛は岩壁を刃でひと撫でする。するとけたたましい音を立てながら、固い岩肌に真一文字の深い傷がついた。

 それを確認すると、八兵衛は背後の屍兵に向かって、最高速で飛びかかった。

 常人の目には映像としてすら記憶できないが、優れた動体視力を持つ童子にはそれがはっきりと見えた。屍兵の手足を順番に切り落とし、無力化していく姿が。


「なかなかやるのう……」


 初めて見る八兵衛のベストコンディションに、童子は舌を巻いた。

 文字通りの一瞬で屍兵たちを切り伏せた八兵衛は、シイナを組み伏せ、首元に水の刃を突きつけた。


「シイナ、お前、なんでここにいる。八咫郎はどうしたんだよ……!」


 しかし、当のシイナはきょとんとした表情で八兵衛を見上げていた。


「やたろう……? さて、私の記憶にはない名称だけど。同期漏れか、それとも直近で誰かが接触したか」

「ふざけんな! あの部屋でお前たちと戦ったはずだろ! まさか、お前たち……」


 八兵衛は混乱するが、反対側からの追っ手も迫っていた。


「問答している時間はないぞ! 向こうからも来る!」

「わかってる!」


 反対側から迫る屍兵たちは移動速度を上げた。その迫力に童子は震え上がったが、八兵衛は水の刃を逆手に構え直すと、再び最高速で屍兵たちに切り掛かる。先ほどと同じ要領で手足を順に切り落とせば苦戦することはない。

 と、思っていた。


「!?」


 最初に切り掛かった一体の屍兵の足に、刃が通らない。見ると、何やら加工された金属の装甲板が皮膚に直接取り付けられているようだ。おそらく、とんでもない硬度の。

 一度距離を取るためにバックステップ。別の屍兵に切り掛かるために構え直す。

 ための、一瞬の隙を、目の前にいるシイナのような少女が見逃さなかった。


「ミイヤ、援護するよ」


 懐から例の丸鋸を取り出し、八兵衛に押し付ける。難なく回避するが、着地した地点にはすでに別の屍兵が待ち構えていた。蛇のように長い両腕を八兵衛の足に巻きつけ、締め上げる。速度こそ尋常でないものを持っているが、膂力は人並み以下。八兵衛はすぐに身動きが取れなくなる。

 先ほど組み伏せていた方のシイナが起き上がると、八兵衛に歩み寄ってきた。


「感謝する、ニイコ」

「問題ない。ミイヤ、この検体はどこの所属だかわかる?」

「さて、私の副脳には情報がない。おおかた、シイナがまた同期を怠っていたんじゃないかな」

「そんなところだろうね」


 目の前で、シイナにしか見えない少女二人が会話を交わしている。

 八兵衛の脳は混乱した。


「さて、どうしようか。この検体は」

「シイナから情報が共有されていないから、重要性が評価できない。そっちの赤鬼は頭領からの指示にあったから確保する。小さい方のは、考えるだけ無駄だ。処分しよう」

「それがいい」


 何やら納得すると、シイナのような少女たちは丸鋸を持って八兵衛に近寄ってくる。何をするつもりかわからないが、ろくなことではなかろう。

 手に力を込めると、水の刃の回転速度が上がる。


「……!」


 八兵衛は思いついた。この状況を打破する策を。だから叫んだ。


「童子!!」

「な、なんじゃ!?」

「うまく落ちろよ」

「はああ!?」


 八兵衛は水の刃を握りしめて、全力を込めて念じた。


「うおおおおおおおっっ!!!」


 刃に流れ込む水の量が増す。岩壁から迸る水流がさらに大きくなる。

 細い糸のようだったそれは次第に太くなり、やがて人間の胴体ほどの大きさになり。

 そしてその水流の力に、岩壁は程なく耐えることができなくなった。

 ぴしり、と岩が悲鳴を上げた。亀裂は見るまに無数のひびと変じ。


「な、なんじゃこりゃあああああ!」


 壁が砕けた。

 壁には大穴が開き、滝が露わになった。

 弾けた岩の破片に当たり、八兵衛を戒めていた屍兵が体制を崩す。


「今だ!!」

「う、嘘じゃろーーっ!!」


 その隙を突いて、八兵衛と童子は岩に空いた穴から滝へ飛び込んで行った。



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