第十四話「あまり、鬼を舐めるなよ」
※※※
「ふざけんな、離せ! 離せって!」
八兵衛の四肢は、シイナが率いる異形の護衛たちによって押さえつけられていて、指先しか動かせない。
「まあ、暴れるよね。だから麻酔で眠っておけば良かったのに」
そう言いながら、シイナは注射器の針を八兵衛の上腕に近づける。
「安心して、今度は途中で切れるなんてヘマはしないよ。きみの代謝も計れたから、これが効けばあとは手術が終わるまで目覚めることはない」
手術が終わるということは、八兵衛の自我が失われることを指している。つまり、この注射をされたが最後、八兵衛の意識は二度と戻ることはない。
八咫郎は飛びかかって注射器をはたき落とそうと脚に力を込めるが、そのわずかな挙動を異形の護衛の一人が見逃さなかった。鼻までの全身を革帯で覆われた、眼の大きな一体が八咫郎の顔面を巨大な手のひらで押さえつけた。
「もー、いつの間に〈八〉くんと仲良くなったの? きみもすぐ別の実験の検体になるんだから、じっとしててよね」
その様を一瞥すらせず、シイナはゆっくりと針を八兵衛に突きつけていく。
肌に、針の切先が触れる。
直前。
「待てよ……!」
護衛の手を振り切って、八咫郎の声がその動作を止めた。
「……なーに?」
「お前、大事なこと忘れてるぜ」
「……?」
シイナは頭から生えた鍵をまたがちゃがちゃと動かす。鍵を捻るたびに左眼球があらぬ方向にぐるぐると回転していった。
「……今把握している情報を参照したけど、私の主脳が忘れていることはないね。副脳にしかない情報で、今必要なものは特にはない」
「……気持ち悪いな、おまえ……いや、そうじゃなくて。良くわかんねえけど、お前は今から八兵衛のことを改造しようとしてんだよな?」
「今まで寝てたのでなければ、確認するまでもないことだと思うけど?」
「……どんな改造か知らないけどよ、ほんとにそれ、八兵衛が耐えられるものなのかよ?」
「その心配はいらない。すでに試算は立てている」
「とはいえ、不確定要素も多いんじゃないか? 忍びの才に最近突然開花したものに同様の改造をしたという実績もない訳だろ?」
「……続けて」
八咫郎が並べ立てる言葉に、何やら思うところがあったらしい。八咫郎はかかった、とばかりにニヤリと笑った。
「お前はさっき、麻酔の量も見誤っていた。八兵衛の身体がどうなっているか、正直全部わかってないんじゃないか?」
「……肯定する」
「想定通りの手術をしたところで、その結果、八兵衛の身体が持たないで失敗する、なんてこともあり得るんだろ。だったら、まだ調べたりしなきゃいけないんじゃないのか?」
「ふむ」
八兵衛は二人のやりとりを聞きながら考えを巡らせた。
八咫郎の機転はありがたいが、おそらくシイナを説得するのは不可能。時間稼ぎしかできない。ならば、今やるべきことは、稼いでくれた時間を使って、脱出の糸口を掴むことだ。
しかし。
シイナは数秒黙ったのち、再び注射器を構えた。
「一理ある。けど、失敗するかどうかも重要な情報。まずは手術を実施して、その結果を見てから次のことを考える。それが一番効率がいい」
「くそ……!」
八咫郎は歯噛みする。が、
「待てい、小娘」
今度は童子の声がシイナを制止した。
「なんだか良くわからんが、要はそのちっこいのが手術に耐えられるようにすれば良いんじゃろ。だったら、わしの体を使えばよかろう」
「……えっと、どういう意味かな?」
シイナはきょとんとする。
「天帝計画とかいうのは、わしらの同胞の体を人間にくっつけて何やらすごい改造をして、すごいものを作ることなんじゃろ。だったら、そのちっこいのに手術する前にわしの腕でも足でもくっつけてみて、体を強くすれば失敗せんのではないか?」
「童子、お前、何いってんだ……?」
八兵衛は狼狽したが、シイナは興味を示したようだった。
「なるほど? そうすればある程度の再生能力を持った屍兵が作れるかもしれないということだね。確かに、〈八〉の検体としての課題は耐久力。事前に鬼の身体を使えば解決できるかも。でもどこを使う? 手か足? それとも血液?」
「んなことは知らん。腕でもテキトーにくっつけてみて、馴染み方を見れば良いんじゃないか? ほれ、わしの腕を一本持っていけ」
「童子! バカ言うな!」
「理屈は通るね。では早速実験だ」
シイナは着込んだ上着の内側から仰々しい機械を取り出す。何やら手元を操作すると、先端に取り付けられた巨大な丸鋸が勢いよく回転を始めた。その威容に、さすがの童子もぎょっと目を見開く。
「動かないでね。手元が狂うと備品を壊してしまうから」
「はようせい。痛いのは嫌いじゃ」
シイナは童子が被った布団を剥ぎ、腕の根元に刃を突き立て、
ようとした。
「かかったな、間抜けめ!」
「うぴゃあっ!?」
シイナが切り落とそうとしたのは、童子の左腕。
しかし、布団を剥いだ中にいた童子には。
左腕が二本あった。
正確には、
「自分で自分の腕を切り落とすのは、流石に骨が折れたわい。文字通りな……!」
童子の布団の中には、すでに切り落とされた左腕があった。そして切り落とされた腕はすでに再生している。再生した方の腕に渾身の力を込めて、童子はシイナの首を締め上げる。
「や、やめ……!」
丸鋸を取り落とし、シイナは目を白黒させながらばたばたともがいた。護衛たちはシイナからの指令がないと反射的な動作すらすることができないようで、棒立ちになっている。
「ほう、助けてほしいか。なら光圀の居場所を言え。いかに腕っぷしの弱いわしとはいえ、お前のごとき外道の小娘の細首一つ、へし折れんとは思わぬことじゃ」
「そ……れ、は……言え、な」
「あまり、鬼を舐めるなよ」
爪を突き立てる。鬼特有のものなのか、指の骨の先端がそのまま突き出たかのような鋭い爪は簡単にシイナの首の皮膚を突き刺し、中から鮮血が溢れる。
「ぴゃあっ! いたい……!」
「このままお主の首を骨ごと引き抜いて、脳髄啜って記憶を探っても構わんのじゃぞ。これが最後の情けと心得よ!」
「この施設の、最下層、中央の、〈大隠石〉の間……! そこに、いるから、放して……! しにたく、ない……!」
童子が手を離すと、シイナはべしゃりと床に崩れ落ちた。動かない。気を失ったようだ。
その様子を見ると短く嘆息し、童子は左腕の付け根あたりをさすりながら寝台から起き上がった。
「おお、いたた……やっぱり切り傷とかとは訳が違うのう」
「童子、お前、大丈夫なのかよ」
「お? 何を言うとるんじゃお前。鬼は腕を切り落としたくらいでは死なん。常識じゃろ」
「いや、そう言う話じゃねえよ。いくら再生するっていっても、その、痛いだろ。お前、痛いの苦手なのに」
童子はばつが悪そうに頭を掻いた。
「……痛くてもやるじゃろ。やらなきゃならんことは」
「……ありがとうな」
八兵衛は童子の胸あたりを小突いた。それは彼なりの親愛と感謝による行動だった。
が、生まれてこのかた人とそのようなコミュニケーションをとったことがなかったので、力加減がわからなかった。
「痛あ! 何すんじゃこらー!」
「腕切り落とすより痛いの!?」
「そういう話じゃ……お、おお?」
抗議の声を上げる童子の赤い顔が、みるみる驚愕の色に染まっていく。
先ほどまで棒立ちになっていたシイナの護衛の〈屍兵〉たちが、ぎぎぎ、とぎこちなく、一斉に童子たちに向き直っていく。
おそらく、これはシイナの仕込んだ安全装置。操手たるシイナからの指令が不意に途絶して一定以上の時間が経った場合、近辺にいる動くものを自動的に排除するような指令があらかじめ書き込まれていたと見える。
まずい、逃げなければ、と八兵衛と童子が顔を見合わせた時、屍兵との間に八咫郎が立ち塞がった。
「八咫郎!」
「先に行け、八兵衛! 俺が時間を稼いでやる!」
「でも……!」
「心配すんなよ、俺は愛のためにもくたばるわけにはいかない。それに、結構しぶといんだぜ、俺は」
心配を断ち切るように首を振ると、八兵衛は童子の手を引いて走り出した。道順は何もわからないが、とにかく、この施設の下層へ。
「さて……」
二人が部屋を出るのを見届けると、八咫郎は目を閉じ一つ深呼吸をした。
ゆっくりと目を開けると、緩慢に構えをとる屍兵たちを見据える。
もう一度、深く息を吸い込む。
この場にいたのが意思のない屍でなければ、その異様さにこの時点で気づいていただろう。急速に吸気すると、常人ではものの数秒で息がいっぱいになってしまう。だが、八咫郎の吸気は10秒どころではなく続いている。
急速なペースを落とすことなく、15秒、20秒、30秒。
……を、超えたあたりで、今度は息を吐き出す。
大量の空気が一気に吐き出され、部屋の中を旋風が駆け巡った。
人間の容量を超えた呼吸を終えた八咫郎の身体中の血管が、皮膚の上からもわかるほどに赤い色を発している。さながら、全身に刻まれた刺青のように。
異様な姿に変じた八咫郎は低く構えると、誰にともなくつぶやいた。
「素直に行ってくれて良かった。これで、二人に見られずにあまねを探しに行ける。全力でな」
次の瞬間、狭い部屋中に嵐が吹き荒れた。
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