第三話「神を疑い、殺す。それが〈疑神衆〉です」
※※※
先ほどの村人たちから離れようと、とりあえず通りに沿ってまっすぐ進んでみると広場に行き当たった。その広場の中央には、巨大な丸い岩が鎮座している。いや、岩ではなく、これが村人が言っていた、〈ウシビ様〉の頭部。思い出し、光圀一行は眉を顰めた。
「おみつちゃん! こっちこっち!」
声のする方を見上げると、その丸岩ーー〈ウシビ様〉の頭部の上に、火和が立っていた。
「ひ、火和ちゃん、危ないよ!」
「大丈夫だって。……よっと」
ひょいと飛び降りると、火和は少し気まずそうに笑った。
「さっきは、ありがと。その……聞いたよな? 雪次さんから、色々」
「うん……けど、なんかね、分からないんだ。どう思うのが正しいのかって。あ! その、火和ちゃんがうそを付いてるって思ってるわけじゃないんだよ。でも……」
光圀はあわあわと胸の前で手を振る。火和はその手を両手で捕まえて、強く握りしめた。
「おみつちゃん、ありがと。正直に〈分からない〉って言ってくれるのが、一番ありがたいよ」
「え……?」
「あたしは、村の奴らに散々嘘をつかれてきた。姉ちゃんが生贄に差し出される時も〈姉ちゃんにとっても幸せなことだ〉って。実際は、ただバケモノに食い殺されるだけだってのに。だから、あたしにとって良くないことも隠さずに言ってくれるおみつちゃんは、信用できるってこと」
「う、うん……」
偽名を名乗っているから、光圀は煮え切らない笑顔を返すしかできない。
「だからさ、あたしは、あたしの大好きな人たちに、おみつちゃん達を紹介したいんだ。ほら、ここが〈疑神衆〉の人たちが寝泊まりしてるところだよ」
火和が示す先には、真新しい白木で組まれた、ほぼ立方体に近い、奇妙な建物が建っていた。
※※※
「オウ、火和! ここんとこ珍しく来なかったじゃねえか。心配したぜ!」
白木の館の入り口前。
白装束の両袖を切り落とし、筋肉質な両腕を目立たせた屈強そうな青年が、火和を見るなり笑いかけた。
「うっす、カイさん。いやー、東の山に狩りに入ってたんだけど、ちょっと失敗しちゃってさ」
「なにィ!? お前、東の山っつったら、バカでけえヌシがいるところじゃねえか! お前、まさか……」
「はは、そ、そのまさかでさ」
「で、どうなったんだ! 死んじまったのか!?」
「いや、あたしここにいるし」
「あ、そうか」
「こっちの、おみつちゃんたちが助けてくれたんだよ。おみつちゃんたち、あっという間にヌシをやっつけてくれたんだ」
「お、おお……?」
カイと呼ばれた青年は、光圀達を見るなり赤面した。ぼっ、と音が聞こえるかのような急速な色の変化だった。
「ばっ、火和お前! こ、こんな綺麗な女性達をお招きするってんなら、事前に言っとかねえか!」
「なんで?」
「お前はガキだからわかんねえかも知れねえけどな、その、女性と会う時には、相応しい格好とか準備とか、色々あんだよ」
「え、でも、マガナちゃんとかエンジュさんとかとは普通にしてるじゃん」
「あんな奴らはそこには含まねえんだよ!」
「へえ、あとで言いつけてやろ」
「お前なあ!」
なんとなく自分たちのことが忘れられているような気配を感じ、光圀達は若干の居心地の悪さを感じていた。が、それ以上に。
ぐううう。
空腹を隠すことはできなかった。
それに気づいた火和は慌てて光圀の手を引いて、カイの元に連れてきた。
「ね、カイさん、いいでしょ? あたしを助けてくれたお礼に、おみつちゃんたちにご飯ご馳走したいんだ」
「ああ、もちろんだぜ。火和の恩人は、俺たちにとっても恩人だからな。っつうか、ちょうど今から昼飯なんだ。たくさん作ってあるから、食ってってくれよ」
カイは、十数分後に自らの発言を激しく後悔することになる。
※※※
「食ってってくれ、とは言ったけどよお……」
疑神衆は、各地を転々としながら、行く先々で簡易的な拠点を構えていくらしい。数名の幹部は基本的に新しい拠点に留まっているが、他のメンバーは各地へ情報収集のために飛び回っており、すでに作った拠点周辺や、今後拠点にできそうな場所を探し回っているそうだ。そのため、拠点への人の出入りが多い上に不定期なので、食事時に何人いるか把握できず、人が予想外に多くなった時に備えて、必然的に食事は多く作ることになる(もし余った場合は、拠点を構えている町や村の人たちに無償で提供している)。
この日の昼食もいつも通り、疑神衆の台所番でもあるカイが腕を振るって、何十人か分の食事を用意していた。はずだったのだが。
「すいません! おかわりありますか?」
「あ、俺も!」
「もうねえよ!」
「おみつちゃん、すごいな……!」
火和が感嘆の声を漏らすのも無理はない。巨大な鍋いっぱいに作っていたはずの煮物と、大量にあったはずの米櫃が、もはや空っぽになっていたのだ。光圀達が通された簡易的な客間は、空になった茶碗が散らばっている。
元々並外れた大食漢であった光圀と八兵衛はもちろんのこと、助さん、格さんも久しぶりの食事ということもあり、眼前には空になった食器が堆く積み上がっていた。
「申し訳ありません、カイ殿。なにぶん煙都からこっち、ほぼ飲まず食わずで来てしまったもので。馬鹿者が食料を独り占めしてしまいましたから」
「あんたもスカした表情でめちゃくちゃ食ったな……」
「まあまあ、ほら、あたしたち、火和ちゃんの恩人なわけだし」
「そういうの、自分で言うもんじゃねえだろ……ったく、せっかく美女とお近づきになれたと思ったのによお。火和、お前、大した奴らを連れてきてくれたなあ」
「へへ、そうでしょ!」
「褒めてるわけじゃねえよ! ああ、ヨギリになんて説明すりゃいいんだ……」
「え、ヨギリさん、今いるの?」
ヨギリ、という名を聞くと、火和は慌てたように髪を直し始める。その様を見たカイは、意地悪そうに口角を上げた。
「人のこと言えねえだろ、火和」
「そ、そんなんじゃないもん」
「ま、お前みたいながきんちょが相手にされるわきゃねえわな」
「だから、違うって!」
その時、襖が、たあん、と快音を響かせながら、勢いよく開いた。
「カイ! 何度言ったらわかるんですか。食事は静かに……おや」
現れたのは、カイと同じような白装束を(しかし、こちらは着崩さずにきちんと)まとい、眼鏡をかけた品の良さそうな青年だった。
「失礼、客人でしたか」
「ヨギリさん!」
ヨギリという青年の顔を見るなり、火和は駆け寄っていった。主人と数日顔を合わせなかった子犬のように、弾むような足取りであった。
「火和さん。ここのところ顔を見ませんでしたが、お元気でしたか」
「うん! ちょっと東の山で危ない目にあったんだけど、こっちのおみつちゃんたちに助けてもらったんだ!」
「そうでしたか、無事で何よりです」
言いながら、ヨギリは光圀一行に順に視線を飛ばした。
「東の山は危険な獣が多く棲息している場所です。随分と腕が立つ方々とお見受けしますが」
「そうなんだよ、おみつちゃんたち、すっごーく強いんだ!」
「ほう……?」
わずかに目を細める。その場に、さざなみのように生まれた緊張感に、助さんと格さんも、纏う気の色を変えた。ヨギリは左腕につけた腕輪のようなものに一瞬視線を落とすと、何かに納得したようにその場に腰を下ろし、深々と頭を下げた。
「この度は、私どもの仲間を命を救っていただき、誠にありがとうございました。私はヨギリ。この集団〈疑神衆〉を、まあ、まとめるような役割をしているものです。〈疑神衆〉に頭目はおりませんゆえ、私が代表して御礼申し上げる」
あまりに丁寧な所作に、両手に食器を持っていた光圀も慌てて膳を置き、つられて一礼した。
「みつ、あ、おみつです。えと、ちりめんじゃこ……」
「穢土の近くでちりめん問屋をしておりましたが、穢土があの有様で。おみつは亡き両親に代わって女将として方々を回っているところです。私は用心棒の志乃。あちらの赤毛が勘定係の柿子。そこの小さいのが、丁稚の八郎です」
いきなり柿子と呼ばれた格さんと、丁稚扱いされた八兵衛は同時に咽せたが、助さんは眉ひとつ動かさなかった。
ヨギリは光圀に向き直ると、まっすぐ曇りのない視線を向けてくる。
「そうでしたか。穢土で商いをされていたとは、それではここ三年ほど、ご苦労なさったことでしょう」
「は、はいっ」
「時に、私共〈疑神衆〉について、火和さんからどこまでお聞きおよびでしょうか?」
「え、えと、その、神様とか、お化けとか、人じゃないものをやっつけてる、って」
眼鏡の奥の眼がにこやかに細くなる。
「ははは、おおむねその通りです。三年前に穢土を滅ぼした〈歪みの日〉。我々はそれ以前から、〈神の世を終わらせ、人の世を創る〉ために活動をしておりました」
「神の世を、終わらせる……」
「はい。氷見津幕府の末期、海の向こうの国が大きな船で向かってきたことはご存知でしょう。我々の国にはない、城ほどもある鉄の船。幕府は鎖国を選び、技術を学ぶことはかないませんでしたが……人の知恵は、あのような巨大な機械を生み出し、海を渡ることを可能とするのです。しかし、この国では未だに、目に見えない神霊を畏れ、巨大な獣を崇め、神の奇跡に祈り、頼っている」
「でも、実際、龍脈の力はすごくて……」
「はい。霊気は現にこの国の龍脈を流れ、その力を使うことができる。しかし、それは、〈神の力を借りる〉ことでしかなく、人には完全に制御することができないものです」
「……」
「いずれ消えるかもしれない。いずれ人に罰を下すかもしれない。現にこのウシビ村では、加護を得るために火和さんのお姉さんをはじめ、多くの女性を犠牲にしなければならなかった。神の気まぐれ、神の理不尽のもとに成り立つ生活は、いずれ必ず崩壊する」
光圀の首筋で、ぴり、と何かが痺れた。
「だからこそ、我々は、世界に遍く存在する呪術や奇跡を蒐集し、その力を持って神を全て排除します。神を疑い、殺す。それが〈疑神衆〉です」
見ると、火和はその口上にうっとりと聞き入っているようだった。
カイも腕を組み、目を閉じて深く頷いている。
「我々はみな、かつて神の理不尽で家族や大切なものを失った者です。そして、〈歪みの日〉、今まで以上に多くの人々が、神の理不尽によって生活を壊されました。今こそ我々は仲間を集め、奇跡に依らぬ、人による人のための世を実現したいのです。これも何かのご縁。あなた方も〈歪みの日〉に暮らしを奪われてしまったのなら、我々と共に行きませんか」
神の世を終わらせる。ヨギリの説明は、具体的で理にかなっているように聞こえる。光圀達の〈全国の要石を浄化し、願いを叶える〉という、漠然とした世直しとは真逆の方法論。おそらく疑神衆の計画の果てには、要石も龍脈も必要のない世界が待っている。しかし、光圀には分からなかった。彼らの計画は、本当に非の打ちどころのないものなのか。
光圀の首筋の痺れが強くなる。
「クソメガネ。てめえ、バケモンをウチに誘う気かよ」
その時、胡乱で暴力的な声が響いた。
開け放たれた襖の裏に、何かがいる。
声色は舌足らずで、童女のよう。しかしその発声はざらりと掠れ、一音ずつにありったけの憎悪を込めるかのように、黒い迫力に満ちていた。
「マガナ。客人に無礼ですよ」
襖の裏から現れたのは、小柄な少女に見えた。
だが、一目見て、異様。
うつろい菊のような、内側から真紅が覗く色のないぼさぼさの髪。
見た目から推しはかれる年恰好には似つかわしくないほどに濁った真鍮色の瞳。
唇や瞼、装束から見える手足にびっしりと刻まれた、何かの文字のような刺青と、金属の鋲。
ヨギリやカイと元は同じ形であったであろう白装束を着崩した、異常な風体であった。
「マガナちゃん!」
火和は顔見知りのようで笑顔で名を呼ぶが、マガナは火和を一瞥すると舌打ちをした。
「うるせえのが帰ってきてたのかよ。つうか、マガナちゃんって呼ぶんじゃねえ」
「だって、マガナちゃんはマガナちゃんだもん」
「……お前がこいつら連れてきたのか」
「うん。おみつちゃん達。あたしを助けてくれたんだ」
「……」
マガナは光圀達を一瞥すると、嘔吐するように舌を出してみせた。
「やっぱ間違いねえ。こいつらん中にバケモノがいるぜ。どれだかわかんねえけど、よくこんなバケモノくせえ中でメシが食えるな。せっかくのカイのメシがクソ不味くなる」
「マガナ、無礼です。出ていきなさい」
「うるせえんだよクソメガネ。普通人は鈍感で羨ましいな」
「……霊気計は反応していません。彼女達は違います」
「ああ? んなわけあるかよ」
マガナは再び責めるように睨みつける。
光圀と目が合った。
光圀はマガナの迫力に負けじと、ムッ、と目に力を入れてみた。
「ご飯……美味しいもん……!」
「ああ?」
「カイさんのご飯、おいしかったもん。だから、ばけものなんて、ここにはいないよ……!」
マガナは数秒何か考えたようだったが、呆れたようにため息をつくと項垂れた。
「……アホくせえ。まあ、バケモンだったとしても、正体あらわしゃあたしが瞬殺してやる」
踵を返し、部屋から出て行こうとするマガナに、すれ違いざま、ヨギリが声をかけた。
「マガナ。体調は」
「最悪に決まってんだろ。体ん中じゅうでザワザワ騒いでうるせえんだよ。部屋に戻って寝る」
「……」
マガナが館の奥へ消えていったのを確認すると、ヨギリは再び額を床につけた。
「申し訳ございません。仲間が大変な失礼を」
「い、いえ……」
「よく言って聞かせますので、どうかご寛恕をいただければと。お詫びと言ってはなんですが、近くの建物にお部屋を用意いたします。もうすぐ日が暮れます。今夜は、そこにお泊まりください。私たちの仲間になってくださるかどうかも、できればゆっくり考えて頂きたいのです」
マガナに向けられた敵意に、まだ緊張が解けない。しかし、ヨギリからの提案に、光圀はある点が気になっていた。
「ば、晩御飯はつきますか?」
流石のヨギリも一瞬笑顔が引き攣るが、善処します、と努めて明るい声色で答えた。そしてもう一つ、黙ってひたすらに食べることに集中していた八兵衛が、ここにきて初めて口を開いた。
「あのさ、さっき〈霊気計に反応はない〉とか、〈彼女達は違う〉とか言ってたよな。あんた達、誰か探してんのか?」
瞬間、ヨギリの表情に緊張が見えた。姿勢を正し、八兵衛の方をまっすぐと見据え、答えた。
「……はい。私たちの目下の目標は二つ。各地を巡り拠点を増やすことと、神のみ技を操り世直しを行っているという一団……〈光圀〉を排除することです」
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