第二話「もうあたしの村に、神様はいらないんだから。」
※※※
「ウチの村……〈牛火村〉は、牛火山の中にあってね。作物の出来も猟の結果も、天気も、しまいにゃ村の奴らの人生もみんな、その山の不死身の神様のご加護だって考えてたんだ。神様……って言われてるものは、実際にいる。あたしも何度も見たことがある。獣みたいな人みたいな、なんだかよくわかんないけど、熊なんかじゃ比べ物にならないくらいでっかくて、角が生えてて毛むくじゃら。そんで、山の草や動物を喰う。人もね。おまけに、ひいひいじいちゃんの代よりもずっと前の時代から生き続けてて、不死身。だから、村人はみんな神様のことを怖がってたけど、それだけ強い物だから、崇拝もしていたんだ。自分たちが無事に生きていられるのは、みんな神様が自分たちを守ってくれているからだって。ちょっとした良いことが起きる度に、これは神様のお陰。何か悪いことが起きれば、神様が怒っているせい。みんな、そう考えてた」
少女に導かれ、山道を歩く。
拓けて見えた道にはいつしか木々の枝が鬱蒼と茂り、あたりは薄暗くなっていた。
が、その陰の中にあっても、八兵衛の覇気のない表情は際立っていた。
「……どした、おチビ」
「見てわかんねえのかよ。はらへった……」
「……あの子のこの話聞きながら、よくメシのこと考えられるな、お前。さっき何もしなかったくせに。みっちゃんが感じてた〈要石〉の気配と、火和ちゃんが言ってた〈神様〉……関係ないとは考えづらい。ちょっとはピッとしときよ」
格さんは呆れながら、先をいく助さんの様子をふと見遣った。
道中、〈火和(ひより)〉と名乗った少女の話を聞きながら、何かを考え込んでいるようだった。
「……その言い方では、あなたはその神様を信じていないように聞こえます」
助さんが口を開く。
「信じるわけないよ。あんなのは、ただの化け物だ。人喰いの」
「人喰い……」
「言ったでしょ。山の動物も食うし、人だって喰うって。村の奴らは、神様のご機嫌を取るのに必死だった。狭い村だってのに、神様……〈ウシビ様〉を祀る寺も神社もめちゃくちゃに建てて、供物をかき集めて。しまいには、ついに生贄を捧げ出した。誰からも頼まれてもいないってのに。最初は鹿とか猪とか、山に住む獣だった。でも、何年か前に穢土のお城が消えちゃった時、村人たちはすっかりびびっちまった。次は自分たちの番かもしれないって。それで神様の機嫌を取るために差し出した生贄が……」
少女の爪先が忌々しげに足元の土を抉る。
「あたしのお姉ちゃんだった」
一行の足が止まった。
「父ちゃんも母ちゃんもあたしが小さい頃に死んじゃって、姉ちゃんがただ一人の家族だった。だから、姉ちゃんを奪った神様を憎んでる。っていうか、神様なんてこの世にはいない。いるのは、人間よりもでっかくて強くて、心のない化け物だけだ。さあ、着いたよ」
ざわ、と木々が鳴いた。
風に揺れる木々の間に、異様な風景が見えた。
「何だ、これ……」
一面の、白だった。
真っ白。それは、決して雪が積もっているだとか、そういったものではなく。
幣や何かの札など、様々な呪具が村じゅうの建物に貼り付けられていたためだった。
説明を求めようと火和の方を見ると、何やら懐から白い布を取り出し、自分の腕に巻き付けているところだった。
「火和ちゃん……それは何?」
「これは、印だよ。神様をぶっ殺してくれた人たち……〈疑神衆〉の仲間だっていう、証だ。村に入るなら、これをつけてないとな」
「〈ぎしんしゅう〉……?」
光圀は首を傾げる。聞き覚えのない名前だった。
「そう、神様でも化け物でも、人間の手に負えない奴らをやっつけて、人間による世界を作るために旅をしている人たちさ。ウチの村にも、どっちかが来てくれるのを期待してたけど、〈疑神衆〉の人たちでよかったよ」
「え、〈どっちか〉って、どういうこと?」
火和はきょとんとした顔をする。
「え、あんた達、旅してるのに聞いたことないのか? 世直しのためにこの国中を旅してる、〈光圀様〉だよ」
※※※
村に入ってみたものの、入り口から受ける異様な印象は、さらに強くなるばかりであった。いけどもいけども、建物という建物にはばさばさと白い紙が貼り付けられている。雨の日とかどうしてるんだ、と誰もが思ったが、よく見ると幣や札はそのどれもが真っ白で、それが定期的に新しいものに替えられているのだということがわかる。実際、ちらほらと、白い布を腕章のように着けた村人たちが背負ったカゴから幣を取り出して、家々の壁に貼り付ける作業をしているのが見られた。
「あたしだったら絶対やりたくないわ、あの仕事」
「聞こえますよ」
「なあ、この村ちょっとやばいんじゃないのか」
「聞こえますよ」
八兵衛と格さんが明らかな抗議の声を上げるが、助さんと光圀は火和に続いてすたすたと歩を進めている。
「火和ちゃん、あの人たちは何をしてるの? あの、紙を貼ってるの」
「ああ、あれはね、この村に染みついた神様の気を全部抜いてるのさ。あれをすることで、神様の気配をこの村から完全に追い出すんだ」
「いいの……?」
「え、いいに決まってんじゃん。もうあたしの村に、神様はいらないんだから。変なこと言うね、おみつちゃん」
光圀には、火和の言うことが正しいのか、わからなかった。
違和感。昼間だと言うのに、人の姿が少なすぎる。見かける村人は、みな一様に〈神様〉を殺したものたちーー〈疑神衆〉の仲間の証であるらしい、白い腕章をつけている。というか、腕章をつけていない村人がいない。一人も。
そして、わからないことがもう一つ。傍の助さんに耳打ちする。
「ねえ助さん、なんでわたし〈おみつ〉ちゃんなの? 光圀だって伝えた方がよくない? 世直ししてる〈光圀様〉がわたしだって言った方が、ご飯たくさんもらえるかもしれないじゃない」
「……思い過ごしなら良いのですが、もし、私たちの名を騙っているものがいるのだとしたら、面倒なことになるかもしれません。今は、しばしご辛抱を」
火和が語った、この近辺で噂になっている〈光圀様〉。それは、問題ごとがあればたちまち解決、不届者がいれば、たちまち成敗してくれる女性で、二人のお付きを従えて諸国を旅しているのだという。
「うーん、わたしたちのニセモノがいるかもしれないってこと? でも、わたし達、八兵衛を入れて四人連れだもんね。ってことは、やっぱりニセモノがいるのかな」
「さて、噂というのは得てして事実と異なる形で広まるものです。警戒はしておきましょう」
うーん、と光圀は難しい顔をする。
自分たち以外にもいるかもしれない、〈光圀〉を名乗るもの。その正体について考えてみたところで無意味なのは理屈ではわかっているが、考え出すとぐるぐると止まらない。しかし、その思考は途中で途切れた。
殺気。というのとは違う、何か別の圧力を感じたからだ。
「……あんたたちか。何回言われたって無駄だ。あたしはあんたらには付いて行かない」
火和が低い声を出す。
眼前には、村人が五人ほど立ち塞がっていた。
年齢性別もばらばらだが、みな一様に、腕章をつけていない。
その中の、火和と歳の近そうな少年が必死な表情で叫んだ。
「火和、俺らの味方になってくれ! あいつらを村から追い出すんだよ!」
「泉太、あんた自分が何言ってるかわかってんの? なんであたしが、姉ちゃんを見捨てたあんたたちを助けなきゃいけないんだよ!」
「日子(にちこ)姉のことは……俺だって悲しいよ。でも」
「嘘つくな! 姉ちゃんが生贄に出される日、止めようとしたのはあたしだけだったじゃないか! あんただって、喜んで姉ちゃんを差し出そうとしてたんだろ! あたしには、姉ちゃんしかいなかったのに!!」
「それは……! 俺は、俺が……!」
泉太と呼ばれた少年はなおも火和に話そうとしたが、痩せた壮年の男が制した。その手には、重そうな棒を持っている。
「泉太、無駄だ。もう、捕まえて吐かせるしかねえ。疑神衆の内情を」
「雪次さん、待ってくれよ、そんな……!」
制止も聞かず、壮年の男は棒を振り下ろした。が、その動作は緩慢で、光圀は火和の体を抱えて即座にその軌道から逃した。
「火和ちゃん、大丈夫?」
「うん、ありがと、おみつちゃん」
「危ないから、逃げて。あとで追いつくから」
頷くと、火和は村の奥へと走っていった。
火和を取り逃した村人たちは恨みがましい目で光圀たちを睨むが、その巨体や、助さんが腰に刺した長刀に気づくと目に見えてたじろいだ。
「……あんたたち、旅の人なのか? 疑神衆の仲間には見えねえが」
はい、光圀と言います。と元気よく答えそうになったが、寸前で偽名を名乗っていることを思い出し、判断を委ねるような視線を助さんに送る。助さんは頷くと、
「はい。旅のちりめん問屋のものとその用心棒です。煙都の得意先と会っていたのですが、その道中で火和さんと知り合いまして」
偽情報をつらつらと口から放出した。誰が問屋で誰が用心棒なのか、と心の中でつっこみながら格さんが吹き出していたが、村人たちにとってはその真偽はどうでも良いようだった。
雪次と呼ばれた壮年の男は、がば、と光圀たちの前に平伏した。
「あんたたち、随分と腕の立つお方だとお見受けした。頼む。この村から疑神衆の奴らを追い出してくれ!」
※※※
雪次は涙ながらに、牛火村の状況について語った。
およそ半年前にこの山神〈ウシビ様〉への生贄として、火和の姉である〈日子〉を差し出した。
数年に一度、ある時期に〈ウシビ様〉が姿を表す。〈ウシビ様〉が現れたら、村人は大急ぎで準備をする。村で一番美しい娘に、村で一番美しい着物を着せて、うんと飾り付けをした神輿に乗せて、山の頂上へ置いておく。〈ウシビ様〉は生贄を食べたり、嫁として攫っていく。そうすれば、二年か三年は安泰。〈ウシビ様〉はその力で、牛火村を守ってくれるし、その間は姿を表さない。
そのはずだった。しかし、日子を差し出したその数ヶ月後に、異例の速さで〈ウシビ様〉が再び姿を現したのだ。
村は騒然となり、急遽、もう一人生贄を差し出すべく準備を始めた。日子を差し出したばかりの状況で、生贄に相応しいのは、火和しかいなかった。
しかし、日子を失ったばかりで傷心の火和にそのことをどう伝えるべきか、と誰もが思い悩んでいた時、突如現れたのが〈疑神衆〉だった。
〈疑神衆〉は現れるなり山へ分け入っていき、巨大な岩石を持ち帰って来ると、村の広場の真ん中にそれを投げ捨てた。ひどい悪臭を放つその岩石をよく見ると、それは岩などではなく、〈ウシビ様〉の切り離された頭部だった。〈疑神衆〉は、村が崇める神を殺してしまったのだ。
それ以降、〈疑神衆〉の統治が始まった。
圧政を敷くわけではない。村人から何かを搾取するわけでもない。ただ、執拗に、村から〈神の気配〉とでも呼ぶべきものを消し去ろうとしていた。
神棚や仏壇を撤去、既存の呪いや縁起物に至るまで接収、破壊。果ては、村じゅうの祠や神社、寺を徹底的に破壊して更地にしていった。
村人の一部は〈疑神衆〉に恭順して白い腕章を着けていった。しかし、大多数の村人は、崇拝と畏敬の対象であり、先祖代々共にあった〈ウシビ様〉を殺害した〈疑神衆〉をよく思わず、隠れて団結し、村から追い出す機会を虎視眈々と狙っているのであった。
※※※
「この通りだ! あいつらが来てから、この村はめちゃくちゃだ。俺たちは、ただ毎年同じように作物を作って、〈ウシビ様〉を恐れながら、静かに暮らしていたいだけなんだ。どうか、俺たちを助けてくれえ……!」
雪次に倣うように、他の村人たちも地に伏せ、懇願した。
光圀はその様を見て、ただ困惑していた。
確かに、今の話を聞けば、〈疑神衆〉がひどいことをしているようにも聞こえる。でも。
「申し訳ありませんが……我々はただのちりめん問屋です。神様をも殺してしまうような人たちと戦えるとは、到底思えません」
光圀が逡巡している間に、助さんはにべもなく言い放ち、踵を返した。
「そんな……!」
「お力になれず、申し訳ありません」
行きますよ、と目で一行に促すと、格さんも八兵衛も、躊躇いがちに去っていく。光圀だけが、オロオロとふためいていた。
見捨てて、いいの? こんなに困っているのに。
でも、この人たちも、火和ちゃんと、火和ちゃんのお姉ちゃんを見捨てたんだ。なら、どっちが正しいの?
頭の中を暴れ回る疑問符に、激しい頭痛がした。
「お嬢!」
助さんに促されるまま、頭を抑えながら光圀もその場を後にした。
村人たちの表情が絶望に澱む。彼らは、天に向かって祈るような姿勢で、口々に同じ名前を呟いていた。
「光圀様……! 光圀様に来ていただくしかねえ……!」
「光圀様、お助けください……早く、この村に来てくだされえ……」
「光圀様……」
「光圀様……!」
光圀の足は、自然と早くなっていった。
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