第四話「あなたは、裏切らないでくださいね」



※※※


 結局その夜は、疑神衆の館のほど近くに残されていた建物の部屋に通された。元々は村長の屋敷の離れだったそうだが、村長は他の村人と同じく疑神衆に恭順しなかったため、今は村のどこかに同志達と隠れているので空いていたらしい。

 大人数での宴会が開けそうなほどの大部屋と、六畳程度の物置のような部屋を備えており、当然の如く八兵衛には小部屋があてがわれ、女性陣は大部屋に布団を敷くことに決めたが、今は大部屋に全員が集まっていた。


「やはり、警戒はされていると見るべきでしょう。夜が明ける前にここを発ちましょう」

「え、でも……」

「お嬢、彼らは〈光圀〉という存在を追っていると言っていました。今の時点で我々がその光圀一行であると確信はしていないでしょうが、疑っている可能性は捨てられません。特にあの、白髪の少女……」

「あの、怖いこ……?」

「ええ。何を指して〈バケモノ〉と表現したのかは分かりませんが、あの出立や様子は尋常ではない。お嬢の持っている印籠や、各地の要石を巡ってきて、蓄積した霊気や霊痕を感じとっているということもありえるでしょう。そして、そこから我々の正体を探ろうとしてきても、何ら不思議ではありません」

「……」

「最悪、今夜のうちに彼らの襲撃がある、ということも念頭におくべきです」


 格さんがその場に大の字に寝転がりながら、大儀そうにあくびをした。


「めんどいけどな。今夜はあたしとそこの仏頂面で、代わりばんこに仮眠とりながら見張ってるよ。んで、お日様が登る前にとっとと撤収だ。あ、みっちゃんはあたしが起こすまで寝てていいよ」

「俺は?」

「おチビ。あんたは最初からアテにしてねえから好きに寝てな。起きなかったら置き去りにするけど」

「ひでえ……!」


 と、光圀一行は出立の打ち合わせをしていた。

 声をひそめていたから離れの外にこの声が漏れることはなかったが。

 近くの茂みがわずかに揺れたことに、誰も気づかなかった。 



※※※


 格さんは仮眠を試みたが寝付けず、布団からむくりと身を起こした。光圀は横になって布団をかぶっている。背を向けているから、本当に眠っているかはわからなかったが、起こさないように音を殺しつつ襖を開け、月でも眺めようかと縁側に踏み出した時、

 縁側に腰掛け、お猪口で酒を飲む助さんに出会した。


「いや、見張りが飲んでんじゃねえよ……」

「気付ですよ。私はほとんど酔いませんから」


 徳利が三本空いているようだったが、いつもの如く助さんの顔色は少しも変わらない。


「八兵衛が貰ってきてくれたようです。あなたもどうですか、一杯」

「あんたの酌ってのも、おチビが持ってきたってのも気に入らねえが、まあ、酒は酒だ」


 どかっと隣に腰掛けると、空いた徳利を無作法に掴みあげる。徳利から徳利へ酒を注がせると、乾杯もせずにあおり始めた。


「薄い酒だね。香りも淡白だ」

「考え事をするにはちょうど良いのです」

「酒の趣味も合わねえな。で、なんだよ、考え事って。あんたいつもしてんだろ。よく飽きないねえ」

「言わなくても分かるでしょう。昼間のことです」

「……ああ、おチビがまた役立たずだったことか。ほんと、気づいたらいなくなってやがる。あの逃げ足は異常だね。もはや才能だ」

「いや、それではなく」

「わかってんよ。冗談だろ。あの、白装束ども。……無政府状態のこの国を、自分たちが治めようって腹だな」

「かもしれません。もしそうであれば、私たちの旅と目的にとっては、正面からぶつかることになる」

「みっちゃんが、あいつらの世直しを認めないってんならな」

「そうです」

「それと……噂になってる〈光圀様〉ってやつ、あれ、どう思うよ。あたし達のことに尾鰭がついてんのか、それとも、ニセモノがいんのか。……つっても、あたし達のニセモノをやる利点なんざ、何も思いつかないけどさ」

「さあ、現時点では何とも……」


 その答えに、格さんは眉を顰めた。


「にしては、最初から随分と警戒してたじゃねえか。急にみっちゃんに偽名使わせたりよ。あたしも嘘つきだから、人の嘘には鼻が効くんだぜ?」

「……考えすぎです。結果、彼らが〈光圀〉を追っていたのですから、正解でした」


 満月に薄く雲がかかる。


「……まあ、そういうことにしといてやるよ」

「それはどうも」


 格さんのため息が夜空に溶ける。


「……みっちゃんさ、今日、何度か様子がおかしかった。腕章なしの村人に囲まれた時と、あのヨギリってのが、疑神衆についてご高説垂れてた時。ただの頭痛には見えねえ。ましてやあの健康優良児を拡大解釈したみてえなみっちゃんだ。体調不良なんてことはねえだろ」

「……」

「いい加減話せよ。みっちゃんは何者なんだ。そんで、あんた、みっちゃんの何なんだよ」


 助さんはゆっくりと盃を飲み干すと、しばしの沈黙の後、格さんの瞳をじっと見つめた。長くたれた前髪から覗く右目で。その視線は、妙に柔らかく、優しげに見えた。


「……あなたには感謝しています。私一人だけでは、お嬢を守りきれない局面は何度もありました」

「な、なんだよ、急に。酔ってんのか?」

「そうかも。……ですが、まだ。あなたをこれ以上巻き込みたくないと思っている私がいます」

「……まだ信用されてねえってことか」

「さて。正直なところ、あなたの目的も分かりませんしね」

「言っただろ。山ん中に引きこもる生活に嫌気がさしたってよ。んで、腹すかしてぶっ倒れてたところを、みっちゃんに拾われたって、あんただって知ってんだろ」


 助さんが船を漕ぎ出した。顔は緩み、らしくもなく微笑みを湛えている。


「……それが、全て……段取られたことだとしたら?」

「ふざけんなよ」

「……失礼、飲みすぎたようです。でも、感謝しているのは、本当、れすよ……」

「お、おい。酔わねえっつってただろうが! お前が警戒しろって言ったんじゃねえか!」


 格さんの方へ倒れ込む。格さんの膝を枕にして、寝息を立て始めてしまった。


「……あなたは……裏切らないで……くださいね……」


 前髪が崩れ、前髪に隠された顔の左半分が顕になった。

 火傷なのか、何かの薬品が原因なのか、酷い傷跡で覆われていた。

 風などで煽られて不意に見える瞬間があったから、その前髪は傷を隠すものなのだろうと予想はついていたが。

 傷だけではない。いろんな物が隠されている。それが何かはわからないが。


「だったら、もうちょっとあたしを信用しろってんだよ」



※※※

 格さんが部屋を出ていった後、寝返りを打つ。

 月明かりが青白く照らす天井を眺めながら、光圀は眠れなかった。

 頭の中を、よくわからないものがぐるぐると回っている。

 旅に出てから、正確には、自らの記憶が始まってから、光圀は自らの正義を疑ったことがなかった。世の中には悪い人たちがいて、それを排除することで世直しは成される。そう思っていたし、今もその考えは変わらない。変わらないと言うよりも、光圀を突き動かすその正義感は、決して止まらない。

 しかし、きょう、自分の目の前に、〈悪い人たち〉が誰なのか断ずることのできない問題が連続して現れた。

 火和からすれば、自分の家族を理不尽に奪った村そのものが〈悪い人たち〉であるし、火和以外の村人達にしてみれば、自分たちの生活基盤を理不尽に変えた疑神衆こそが〈悪い人たち〉になる。目の前に困っている人たちが明らかにいるのに、それをどちらも同時に助けることはできない。

 光圀が思っている正義も、立つ位置が異なる相手にとっては、排除されるべきものにもなり得るのではないか。

 そんな当たり前のことに思い至ってしまい、頭の中が整理できない。

 記憶のない光圀にとって、目覚めてからこちら、自分の正義感が全てだったから。それが否定された時、寄るべがない。急に足元が薄い氷になったような不安と恐怖が、布団を何枚重ねてもたまらない寒さになっていた。

 そして、それに加えて、マガナという異様な少女から突きつけられた〈バケモノ〉という言葉。

 光圀は記憶がないから、自分の出自がわからない。だからもし、自分が人間ではなく、彼女がいう通り〈バケモノ〉だったとしたら。


「……ちょっとやなことがあっても、ごはん食べて寝たら、元気になってたのにな」


 布団を頭まで被る。その辺の成人男性よりもはるかに背が高いから、布団の長さが足りず膝から下が丸出しになる。だが、それでよかった。不安なことから目を反らせるような気がした。


「……」


 数秒の沈黙。外からは虫の声すら聞こえない。だから、自分の腹の音が過剰に大きく聞こえる。


「お腹すいたな……」


 こんな時間によくはないと思いつつも、口寂しくなった光圀は布団から顔を出した。

 そこには。


「!!??」


 光圀を見下ろす人影が立っていた。


 寝る前の助さんの言葉を思い出す。

 疑神衆が今夜襲撃してきても不思議ではない。

 が、呆気に取られ、身構えることもできない。

 月明かりが逆光となり、顔は見えない。顔は見えないが、光圀を見据える、どろりとした眼光だけが鈍く闇に浮いているように見えた。月に薄雲がかかり、わずかに暗くなる。闇の中、


「だれ……?」


 と問うよりも早く、その影の手が光圀の喉に掛かった。

 小さな手。渾身の力を込めて締め付けようとしているのだろうが、光圀の強靭な首にはわずかほどの苦しみも与えられていない。そして。

 この手の大きさには覚えがあった。

 ちょうど、出会った時も、こんな形だったから。


「はち……べえ……?」


 月にかかる雲が流れ、再び月光が部屋に差す。

 光圀の首を絞める、八兵衛の表情が顕になった。

 目にはかつてないほどの憎悪を湛えているが、臆病な少年のままの、怯えたような顔。


「はちべえ、どうして……?」


 八兵衛は枕を掴むと、光圀の口に強く押し当てた。


「……お前は、俺の、仇だ。俺の仲間を、た、大切な人を、みんな、殺した」

「わからないよ……! わたし、違うよ……!」


 口を覆われながらも、必死に訴える。


「じゃあお前、三年前のあの時、穢土のお城も幕府もみんな消え失せたあの時、どこで何してたんだよ!」

「し、しらないよ……わたし、三年前の記憶なんて、全部無い……はちべえだって、知ってるでしょ」

「お、俺は見たんだ。あの時、一番近くで。すごい力の、真っ白い化け物が、みんな殺して、壊した。あれは……お前なんだろ。疑神衆の女の子も、お前を見て〈バケモノ〉だって言ってた……!」

「違うよ、わたし、ばけものじゃない……ばけものじゃないよ……!」


 混乱する光圀の目に浮かぶ涙が、月光を反射して光る。その様に八兵衛はわずかにたじろぐが、懐から小刀を取り出して振りかぶった。しかしその手はがたがたと震えている。


「お、俺は、待宵草忍軍の〈八〉だ! あの時作戦に参加してた忍び里の仲間も、ナナ姉も、あの日、みんな死んだ! 化け物を戒めていた札にも書いてあったんだよ!」


 あまりの剣幕に、光圀は言葉を失う。


「〈光〉と〈國〉。なんて読むかもわからなかった! こ、この国を良くしようって願いを込めた、何かの呪いかとも思った! でも、同じ文字の名前をもつお前が現れた! だから、俺は……!」

「ねえ、わかんないよ……忍び里って、なに……?」

「いつかお前を、こ、殺してやるつもりで、旅についていった! ひょっとしたら、お前の名前が〈光圀〉なのは、た、ただの偶然なのかもしれないって、何度も思った! 〈光圀〉を名乗る他の奴らがいるかも知れないって噂だってあった。でも、今日……確信した」

「やめてよ……嫌だよお……」


 光圀はぼろぼろと涙をこぼし泣きじゃくる。

 八兵衛はとどめを指すように、言い放った。


「お前は、化け物だ。化け物の名前だったんだよ、〈光圀〉っていうのは」


 その言葉の最後はかき消された。

 ごう。

 青白く月に照らされていた部屋が、突如、朱色に染まった。

 炎。爆発。

 障子越しにも伝わるほどの熱気が、村を包んでいるようだった。

 ぱちぱちと可燃性のものが焼け落ちていく音がする。熱によって掻き乱された大気が唸りを上げている。しかし、その音をもねじ伏せるような大音声が、牛火村中に響き渡った。


「疑神衆よ! 〈光圀〉が参上した!! さあ、私の世直しの礎となってもらおう!!!」

 

 強い風が吹き始めた。

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