第二十八話「人を外れ、鬼を外れ、外れ外れた道の果て」

※※※



「……?」


 白い光の中、光圀は目を開いた。どこまでも白が続く、不思議な場所だった。なぜか眩しさを感じない。

 この空間を包んでいるのは、柔らかな光に感じた。柔らかく、しかし、冷たい。

 氷のような、砂のような。

 ここは、と辺りを見回すと、少し離れたところに、誰かの後ろ姿が見えた。女のようだ。長い髪も装束も、僅かに見える首筋の肌も、真っ白い空間に溶けてしまいそうに、白い。

 だれ、と声をかけようとしたが、ことばは音にならなかった。

 そして、ここにおいて、ことばは必要ではなかった。

 その女の心が、直接伝わって来たからだ。


 会いたい。

 会いたい。

 会いたい。

 

(だれに……?)


 問いに答えるように、光圀の意識にイメージが流れ込んでくる。炎のイメージ。荒々しく、大きく。だが、不思議と怖いものではない。闇夜の灯りとなるような。

 光圀も、それに似たものを知っていた。八兵衛と山の中で彷徨い歩いた日々の記憶。


(わかるよ。この炎は、優しくて、温かいよ)


 だが、光圀はあることに気づいた。今見せられたイメージの炎に、もっと似たものがある。大きくて荒々しいが、ちょっとしたことで吹き飛ばされてしまうような弱さも感じる。だが、それでもまた燃え上がるもの。

 この人は、その炎に会いたいの?


(ああ、そうか。あなたは)


 光圀はわかってしまった。目の前の女が何者なのか。

 涙が溢れる。


(ごめん……ごめんなさい。わたしは、わたしが生まれてしまったから、あなたは)


 女が振り向いた。白い光に溶けて顔はよく見えない。だが、透き通った氷のように、美しく思えた。女は笑っていた。


〈気に病むな。どのみちわらわは長く生きられんかった〉


 急に声がしたから、光圀は驚いた。


〈何じゃその顔は。ここはわらわの精神世界じゃぞ? わらわが喋れるのは当然じゃろうが〉

(え、いやその、なんか、言葉はいらない的な感じだったのかなって思ってたから)

〈いや……逆に面倒臭いじゃろ。言葉は順序立てて整理された思考じゃ。逆に言えば、思考だけで会話するのは、順序も何もかもごちゃ混ぜの情報でやり取りするようなものじゃぞ? お前、味噌汁も魚も米も、全部ぐちゃぐちゃにして食べるのか?〉

(うっ、た、確かに。でも、食べ終わりそうな最後の方には、ちょーっとご飯にお味噌汁かけたりしちゃうかも)

〈……お前、行儀悪いのう〉

(ごめんなさい……)


 精神世界の中でしょんぼりする光圀に、女は背を反らして高笑いした。


〈ああ、可笑しい。さて、娘。本題じゃ〉

(! そ、そうでした……!)

〈わらわの力を、全てお前に預ける〉

(……え)

〈これでもな、お前には感謝しとるんじゃ〉

(な、なんで……? わたしは、あなたを)

〈わらわ、霊力と腕力だけはぶっちぎりに強かったんじゃが、生まれつき病に弱くてのう。不死身の鬼も生き物。ごく稀にあるんじゃよ、鬼がかかる病が。だから、わらわはそのうち寿命でくたばっとったんじゃ。山からも出られない、外の世界も知らない。そんな状態で死ぬのがほんとマジで嫌だったんじゃが……お前が、いろんな場所を見せてくれた。いろんな人間もな〉

(あなた、ずっと意識が……)

〈ああ、いやいや、そんな何もかも事細かには見えておらん。わらわはお前の心の中に溶けて漂っているようなもんじゃ。波が立った時に飛沫が空中に投げ出されるように、ほんの僅かな時に、お前の心が見えた〉


 光圀は目をふせた。きっと、見えたものは、楽しいことばかりじゃない。むしろ。


〈……しんどいのに、よく頑張ったの〉

(……!)


 また涙が溢れる。


(何で……何でそんなに優しいの。だって、あなたは、わたしが)

〈だーかーらー、お前は何もしとらんじゃろうが。お前はただ、懸命に生きてきただけじゃ。さっきも言ったが、お前は、とっくに終わっていたはずのわらわの時間に、ちょっとだけおまけをくれたんじゃ。だから、これはわらわからの、ほんの礼だと思え〉


 涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。その有り様に、女は苦笑した。


〈ははは、何ちゅう顔じゃ。もっとシャンとせいよ。何せお主は、偉大なるわらわの力を継ぐものなのじゃからな〉


 光圀は目を真っ赤にして頷く。女は呆れたように笑う。すると、女の体が煙のように解けていき、光圀の方に流れてきた。


〈これでわらわの力は、お主の思いのままじゃ。悪いことに使うんじゃないぞ〉


 光圀は鼻をすすり、頷く。女の体は、もう胸から上しか残っていない。


〈あ、そうじゃ〉


 体が溶けていくのがぴたりと止まった。

 そういう感じなのか。

 不思議そうな顔をする光圀と、女の目が合う。


〈一つ忘れておった。……あやつは元気にしておるか?〉


 名前は出さなかったが、光圀にはわかった。だから、光圀は笑った。


(はい、すごく元気です。今はちょっと縮んじゃってるけど……とっても優しくて、強くて、大好きです)


 女は可笑しそうに笑った。


〈強い? あやつが? はは、まあ、元気ならよかった。それじゃあ、あやつに会ったら伝えておいてくれ〉

(はい。 えと、何て?)


 歯を剥いて笑う。邪悪そうに、だが、その目は優しげに見えた。

〈お前は絶望的に鬼に向いてないから、人の世界でうまくやれよ、とな〉


 光圀は吹き出した。その様を見て、女は満足そうに頷くと、その姿は光の粒になって消えていく。氷のように、砂のように。光の粒は光圀の胸の中に吸い込まれていく。

 光圀は目を閉じ胸に手を当てた。


「……ありがとう。伝えるよ。あなたの言葉と……あなたが、あの人に会いたいって思ってたってこと。……氷砂さん」


 目を開くと、そこは元の世界であった。

 光圀の体から放たれた白い雷光は収まっていた。


「光圀! お前……光圀か!?」


 後方から八兵衛の声が聞こえる。振り向いて頷きたいが、隙を見せることはできない。漆黒の蝶と化した月世光圀が上空からこちらを見下ろしているからだ。だが、その表情は驚きに染まっていた。


「なんだ、その姿は」


 光圀は視線を返す。全身に力が満ちている。しかし。


「えと……ど、どうなったの、わたし」


 八兵衛がずるっと姿勢を崩したのが音で分かった。

 視線を外さず、そっと両手で自らの体を触って確かめる。服もちゃんと着ているし、あまり変わった感じはしない。ただ。

 元々豊かではあったが、さらに倍ほどに伸びた銀髪。身体中を流れる鬼の霊力の輝きが模る、肌に浮かぶ模様。少し伸びた犬歯と、そして何よりも、額から突き出た二本の角。


「お前、鬼か、人か。本当に〈光圀〉か?」


 鬼を喰らい、鬼とも人ともつかぬ存在となった月世は問う。

 人と鬼との間にある〈光圀〉でありながら、鬼と絆を結び、鬼に近づいた光圀は、さながら、〈鬼光圀〉とでも呼ばれるものかもしれなかった。

 自らの姿を意識し、不思議と光圀はさらに力が湧いてくるのを感じた。

 一人じゃない。周りには仲間がいて、自分の中にさえ、別の誰かの温かい心を感じる。

 そして、しかし、その自分以外のものによって作られたものこそが、まごうことなき自分である。だから光圀は答えた。


「人を外れ、鬼を外れ、外れ外れた道の果て。全て無くしたこの胸に、残った心こそ〈わたし〉。たった一つの心の光、誰かのために輝かす。わたしは……〈光圀〉!! 世直し、始めます!!!!」

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