第二十九話「印籠ダブルドリルぱんち」
※※※
「やあああああああああああッッ!!!!」
「うざいんだよォッ!!!」
〈半鬼化〉し、紫電を纏う光圀は、一飛びで上空の月世に迫る。目に見えて苛立つ月世は、羽を形成する影を無数の針のように伸ばし、光圀を串刺しにしようとする。だが、素手でひと凪ぎするだけで、その影の針たちは脆く砕かれていく。
光圀が少し大きく変形した両掌を開くと、めきめきと音を立てて爪がわずかに伸長した。五指に力を込め、ジャンプの勢いそのまま、月世の翅を切り裂く。翅の表面を大きく抉りとった。月世は不快そうな声を漏らすが、傷はすぐに再生する。再生と同時に、月世は両腕に纏った黒衣を鎌のような形に変形させ、歯噛みする光圀の胴体に向けて薙ぎ払った。速い。回避は不能と瞬時に判断すると、光圀は両の手で刃を受け止めた。光圀の両掌から迸る霊気の稲妻が防御層となり、斬撃を食い止めた。
だが、防御に両手を使ったため、光圀の動きが止まる。月世は目を細めると、再び翅から夥しい量の影の針を伸ばす。頭や心臓を狙うでもなく、光圀が存在する空間全てを穴だらけにしようとでもいうような、力任せの刺突の豪雨。今度こそ、回避も防御も不可能。
に、思えた。
「うわああああああっっ!!!!」
光圀が吠える。呼応して、光圀の胸に収まっていた印籠が輝き、変形を始めた。鬼の力を引き出し、霊力が爆発的に高まった光圀は、手で握らずとも印籠の力を扱うことが可能になっていた。一瞬で甲冑の形に展開した印籠は盾となり、月世の影の針を弾いた。月世が怯む。その一瞬で、光圀は月世の拘束を振り解き、甲冑に向かって右拳を突き出した。
身体中の霊力を後方に放出し、推進力を得る。その速度で、光圀の右腕は甲冑を纏った。半鬼化しわずかに大きくなった手にも、その鎧は馴染んだ。と、思ったその瞬間、光圀の膨れ上がった霊力に応えるように、甲冑が脈動した。ナックルガードから手甲へ、手甲から腕を覆う甲冑へ。そしてさらにその先。
黒鉄色の装甲は瞬時に白銀に変じ、肘のあたりの装甲板は増殖、龍の尾のように長く伸びた。拳を握ると、装甲板の狭間から、そして龍の尾の全体から、紫の炎が溢れ出す。爆発する紫炎が光圀の体を、拳を、さらに速く奔らせる。
「印籠……ぱあああんち!!!!!」
速度。圧力。迫力。破壊力。その全てが月世の悪意を上回る。恐怖から月世は身を捩る。その一瞬の反応が月世を救った。顔面や胴体への直撃を寸前で避ける。だが、弾丸のような速さで打ち込まれた印籠ぱんちは、月世の右翅に大穴を空けた。
ぐらり、と月世が姿勢を崩した。翅が再生しない。月世の顔に戸惑いが浮かぶ。怯んだその瞬間、光圀は二発目の〈印籠ぱんち〉を叩き込む。
寸前。
月世の口が三日月型に歪む。
その異変に光圀は気づいたが、放たれた拳は止められない。
穴を空けたはずの翅はすでに再生し、その裡から影の針を無数に現出させていた。
しまった。
翅を再生できないふりをして、隙を見せて誘い込んだのだ。
光圀は声を漏らし、霊力の噴射方向を変えて急な軌道修正を試みたが、半身が間に合わない。束ねられた影の針は刃となって、光圀の左腕を根本から切断した。
「お返しだ。あの時の」
激痛に光圀は声にならない叫びを上げる。が、その叫びに応えるように、切断面から見る間に骨が、筋肉が、皮膚が形成されていく。数秒のうち、光圀の白い腕が再生していた。
「痛く……ないっっ!!!!」
驚愕に染まる月世の顔面を光圀の拳が捉えた。光圀と鬼の膨大な霊力が、月世の頭蓋を通し、鬼の脊髄に打ち込まれる。大気をも震わす衝撃。巨大な翅で浮遊している月世の身体が地に叩き落とされる。
膨大な運動エネルギーを叩き込まれた月世は、地面を抉りながら吹き飛んでいく。霊力の源である脊髄にダメージを負い、本当に再生能力が失われた。巨大な翅は空気の抵抗を受け、強い風を起こしながらゆっくりと地面に倒れ、端から空気に溶けるかのように消滅していった。
少し遅れて光圀が着地すると、八兵衛たちが駆け寄ってきた。周辺で蠢く屍兵たちを掃討した助さんと格さんも合流する。助さんは血相を変えて光圀の肩に触れた。
「お嬢、なんて無茶を……! 身体は平気なのですか」
「おい、みっちゃんが腹括ってやってんだ。姐さんといえど、無闇に口出すのは違うんじゃねえか」
「しかし……!」
助さんの手を両手で優しく包むと、光圀は微笑んだ。
「ありがとう。大丈夫だよ、助さん。格さんも。ほら見て、わたし、ピンピンしてるし」
「そ、そもそも何があったのですか。なぜそのような姿に」
「う、ううん……なんと説明したものか」
頭をぽりぽりと掻く光圀の前に、八兵衛の手から赤く光る球が飛び出してきた。童子だ。
「光圀……お主、その姿……」
人魂のような姿だから表情はあまり細かくわからないが、童子の声は震えているように聞こえた。
そうだ。伝えなきゃ。
「あのね、童子さん。わたし、会ったんだ。この……わたしの中にいる、鬼の、女の人に。あ、その、女の人っていうか、鬼だから、女の鬼? ええと……」
光圀は言葉がぐちゃぐちゃになって言い淀んでしまったが、それでも、童子には伝わっていたようだった。童子は光圀の胸の辺りに身を埋め、しばらくの間動かなかった。
「……あやつは、何と。何か、言っておったか」
「うん。その……〈あなたは鬼に向いてないから、人の世界で上手くやれ〉って」
「……ははは、あやつらしい。最後まで、憎たらしい……」
「それと、すごく、童子さんに会いたいって思ってた。ずっと、ずっと会いたかったんだと思うよ」
「……!」
ずるりと、人魂が地面に落ちた。わずかに震えながら何も言わない童子のことを、誰もが無言で見守っていた。
やがて八兵衛がゆっくりとかがみ込み、その背に手を置いた。
童子の震えが止まるのを待っていた時、遠くから音がした。大きなぼろ切れを引きずるような。一同は音のした方に構えた。
月世の黒衣は穴だらけ、ところどころから覗く白い肌は傷だらけであった。だが、傷ついているはずの肌からは血の跡は一つもなく、大理石の表面を抉ったかのようであった。満身創痍。だが、その黒い瞳だけは爛々と、憎悪だけで燃える炎のように光を失っていなかった。
もうやめよう、光圀はそう声をかけようとしたが、
「なんで!!!! お前ばっかり!!!!!!」
月世の罵声が響いた。
「何でお前ばっかり助けてもらえるんだ!!!! 何で!!!! ぼくは!!!!! ああああああああああ!!!!!」
ぼろぼろの体を引きずり、月世が光圀に躍りかかる。細い腕で光圀を殴る。だが、それはあまりに非力だった。くたり、と拳は滑り、月世はその場に跪いた。
「……ひとり……なんだ」
哀れみ、蔑み、怒り。ないまぜになった黒い感情が光圀の胸に煙る。しかし、口をついて出た言葉は、
「……ひとりじゃなかったよ」
月世はその意味がわからず、戸惑いの視線を向けた。
ああ、この子は本当にわからないんだ。光圀はどこかで力が抜けるのを感じる。
「わからないんなら、わからないからだよ。あなたにも仲間がいたのに、無碍にして、傷つけて。あなたがひとりなのは……あなたのせいだよ」
声が震えた。語気に心からの怒りがこもるのが自分でもわかる。しかし。
「は……はあああああ……? 何だよそれ。そんなの、仲間がたくさんいるから言えるんだろ。ずるい……お前ばっかりずるい! こんなのおかしいだろ!」
月世には届かない。何をしても分かりあうことができない。一種の絶望。
そこで光圀は思い至った。
分かり合えないなら、どうする。
自分を傷つけ、多くの人たちを殺してきた、憎むべき敵。
だが、もう力尽き、仲間も失い、人としての身体すら無くした。しかし、時が経てばまた力を取り戻して人々を害するかもしれない。
あるべきではない。
でも、わたしがそう思ったからと言って、排除していいの?
許したくない。許せない。でも。
「……もう二度と、人を傷つけないって、約束して。それなら、わたしは……!」
震える声で、一言一言を自分自身で疑うように。
人を傷つけないと約束するなら、わたしは。
しかし、その先の言葉が発せられることはなかった。
「あっ」
月世が間の抜けた声をもらした。あまりにその場の流れから逸脱した声色。何が起きたのか、その場の誰もが分からなかった。
次の瞬間、月世の身体が溶けた。
美しい顔貌が、熱せられた蝋細工のように溶解する。髪も肌も骨も、溶けて混ざったそれらは、どくん、と脈打つと、膨張を始めた。
月世の心が折れたのだ。
激しい憎悪の感情によって支配されていた鬼の細胞たちが、そのくびきを解かれ、再び増殖し始めたのだった。服従を強いてきたことへの復讐のように、その勢いは止まらない。
だが、鬼の脊髄の反射のみによって無闇に再生をし続けるが故に、その形はもはや生物にすら見えない。蠢く肉塊であった。
「光圀……!」
八兵衛の声に、呆気に取られていた光圀は我に返る。見る間に山のような大きさとなった肉塊を見据えた。
「光圀、いけるのか」
「お嬢、道は私が拓きます」
「ぶちかませよ、みっちゃん」
頷く。
肉塊が軋みを上げると、四方八方に肉色の触手を伸ばす。何を狙うでもない、めちゃくちゃな挙動。瞬間、八兵衛が、助さんが、格さんが走り出し、触手を次々と切り伏せ、叩きのめしていく。肉塊までの道が、真っ直ぐにひらけた。
足元から童子がひょいと飛び上がり、光圀の肩に乗った。
「……心配をかけた。もう大丈夫じゃ。光圀、わしの力も、お前に預ける!」
「!?」
光圀の右腕を覆う甲冑に童子が体当たりした。童子の人魂の身体が変形し、白銀の甲冑に真紅の模様を刻んだ。炎を模したようなその模様は、炎を発し始めた。
〈行け、光圀。みんないる。わしもいる。今のお前は……無敵じゃ!!!〉
童子の声が甲冑から響く。再び頷くと、光圀は一歩踏み込んだ。
瞬間、右腕の甲冑から、今までにないほどの大きさで霊力が爆発した。白と、紫と、真紅。三つの色が美しい光の尾を引き、光圀の身体を弾丸のような速さで肉塊へと運ぶ。
「みんなにもらった心のままに……!」
風を裂き、真っ直ぐ飛ぶ。
「叩いて造るは、自由な世界!!」
再び、爆発。炎の赤と、氷の白を思わせる光が溢れる。
「氷炎……!!!! 印籠ぱあああああああああああああああんち!!!!!!!」
衝撃。炎と冷気が逆巻き、竜巻のようなエネルギーを発する。
肉塊に、巨大な穴が空く。
しかし、その端から再生が始まっていく。
この力を持ってしても、届かないのか。
いや、そんなわけがない。
その時、光圀の手に何かが触れた。肉塊の中に埋まっていた、何か。
それは、月世の持っていた印籠だった。
「……!!!!」
閃く。できるかは、分からない。だが、今やらないわけにはいかない。
月世の印籠を左手に持ち替えると、渾身の力を込める。
「うおおおおおおおおおおおっ!!!!」
漆黒の印籠が展開し、形を変えていく。月世の大鎌のように黒く、禍々しい形を思わせる、左腕を覆う甲冑と変じた。
そして、そのまま。
両腕を前に突き出し、両肘から噴出する霊力を全て推力に変え、肉塊の内部へ突撃する。
「印籠……ダブル!!!! 」
さらに、肘の位置を調整すると、光圀の身体は超高速の錐揉み回転を始めた。両の拳と、甲冑の表面のエッジを全て使った、極大の破壊力。
「ドリル!!!!!!」
肉塊の中をめちゃくちゃに抉り切り刻んでいく。膨大な霊力が流れ込み、肉塊は再生力を失い、細切れになっていった。
「ぱあああああああああああああああんち!!!!!」
貫通。光圀の身体が外に躍り出る。
光圀が着地すると、そこらじゅう穴だらけになった肉塊は、砂のような色にみるみる変わっていき、崩れ去っていった。
砂の一塊が光圀の肩に掛かる。それは顔のような形を作り、何かを訴えるような表情で口を動かしていた。
〈世直しを……ぼくのための、世直し……〉
光圀は目を閉じ、荒れる呼吸を落ち着かせる。
「……誰かのための世界って、たぶん、その時点で間違ってるんだよ。だから、あなたのしたかった世直しは……最初から、世直しなんかじゃなかった」
砂の顔はまだ何か言いたげであったが、風に吹かれ、さらさらと消えていった。
数多の人を殺め、自らの楽園を作らんとすることを〈世直し〉と夢見た月世光圀の、それが最期だった。
光圀はその場に座り込んだ。両腕の甲冑は僅かに輝くと印籠の形に戻り、甲冑に取り憑いていた童子は弾き出されたように地面に転がり、いてっ、と短く悲鳴をあげた。
童子に手を差し伸ばしたかったが、身体に力が入らない。強敵を倒した、という達成感よりも、倒す以外の選択肢が取れなかったという無力感が勝つ。しかし、それでも。
「……受け入れなきゃ」
つぶやいた時、足音が聞こえた。顔を上げる。八兵衛が髪飾りを差し出していた。
「よお、お帰り。……大丈夫か」
「うん。言ったでしょ。絶対帰ってくるって」
光圀は疲れた笑顔を返す。髪飾りを受け取ると、側頭部に取り付けた。
半鬼化した肉体に満ち溢れていた霊気が髪飾りに流れ込み、光圀を人としての姿に返す。見る見るうちに、頭部の角は縮み、四肢も少しずつ元の大きさに戻っていった。
「ありがとう。これ、持っててくれて」
「いや……っつうか、結局最後は、全部お前に頼りきりになっちまった。少しは強くなったと思ったのにな」
「そんなことないよ。みんながいてくれるってわかってたから、全力出せたんだ。それに」
光の中で出会った氷砂姫のことを思い出す。脊髄だけになっても、自我を保ち続けていた。彼女のことを知れたから、より信じることができたのだ。誰かに会いたいという気持ちが強くあれば、心を手放すことは、決してないと。
会いたい気持ち。
「あれ」
そういえば、どうしてわたしは八兵衛に髪飾りを託したんだろう。いや、そりゃあ近くに他に誰もいなかったんだけど、自分で持っていてもよかったのに。
会いたいと、思ったんだ。わたしは。
それは、ひょっとして、氷砂姫が童子に会いたいと思い続けたみたいに?
「光圀……?」
八兵衛が怪訝そうな顔で覗き込む。
「わあっ!」
「おわあ! 何だ!」
光圀の大声に、八兵衛も後ずさった。
「な……な、何でもないよ……」
「お? おお、そうか? しっかりしろよ、これから行くんだろ」
「え?」
「ほら、要石の浄化だよ。ここで……最後なんだろ」
「あ……」
あまりに熾烈な戦いに身を置いていたから、忘れていた。
全国100ヵ所にある〈要石〉の浄化。
大霊石である要石に溜まった悪い願いや力を、印籠の力で吸い取り清める。
牛火村の要石は月世に砕かれてしまったが、忍び里にある〈大隠石〉が、最後の一つである。冒険を経た今、浄化を行えばすぐさま〈世直し〉が叶うとは考えづらいが。
「うん、行こう」
何が起こるか確かめるために、光圀は立ち上がった。
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