第十話「どんな拷問でも、もう少し品があると思うよ」
※※※
「今、なんて……」
「〈天帝計画〉を成就させる。我々の手で」
八兵衛は総毛立つ。
天帝計画。
〈光圀〉のもつ〈鬼の脊髄〉を龍脈に接続し、世の民全ての意思統一を図るための計画。
「ほう、よく調べているな」
だが、幕府なき今、その意思統一は誰の意図のもと行われるというのか。
いや、それ以前に。
「どうやって……やるつもりなんですか。誰を犠牲にして……?」
〈天帝計画〉において、〈光圀〉は龍脈を制御するための装置にすぎない。〈光圀〉個人の意思や人格は、不要なものとなるはずだ。
そんな考えも、無龍には全て発話する前に察されているようであった。
「旧幕府の残した研究資料は、全て我々の手にある。元々は……生存した鬼を捕らえ、再び計画の中枢に据えるにふさわしい〈光圀〉を製造する予定だった。だからそこの〈倶炎童子〉を追跡していたのだ。だが……」
眼球の機能していない筈の眼窩から、光圀は視線を感じる。
「〈光圀〉の生存個体がまだ活動しているという情報を得た。ならば、それを捕獲、改良し、計画の中枢として使用するのが最も効率が良い」
「み、光圀を……捕獲……?」
無龍は、顔をわずかに八兵衛の方へ向けた。それに応じるように、凍早の右足がほんの少しだけ強く地面を踏み締める。
その音を聞いた瞬間、八兵衛はこの後に起こる全てを理解した。
「〈八〉よ。よく〈光圀〉の残存個体を連れてきたな。感謝する」
「光圀、逃げろ!」
「裏切るか、愚か!!」
八兵衛は全速力で光圀に駆け寄ろうとした。
無龍も凍早も、八兵衛がそうすることを知っていた。
無龍の巨大な手のひらが八兵衛の頭を叩き潰そうと迫る。
八兵衛は直感の赴くまま、とにかく最高速で回避行動を取る。
凍早は八兵衛の回避パターンを正確に予測し、反対方向へ回り込み、光圀に向かって刃を投擲する。
ここまでが、常人の目には全くの同時に起きた。
光圀の反応速度も人並外れているが、この場の忍びたちとは比べられるレベルではなかった。印籠を握りしめ、甲冑を展開させようとするが、全てが遅きに失した。慌てて上体を捻って躱そうとするが、左肩に水晶の刃が何本も突き刺さる。
「あああ……っ!!」
「光圀!!!!」
受け身のことも考えずに速度を出し、何とか無龍の攻撃を回避した八兵衛は、木の幹に体を打ちつけ減速した。呼吸を無理やり整え、無龍たちに向き直る。
その様子を、無龍は興味深げに観察していた。
「凄まじい速さだ。それが〈八〉、お前の才か」
「……ナナ姉の命と引き換えに手に入れた力です……」
「そうか。だが、才を力だと表現している時点で、お前はまだ〈八〉でしかない」
「……!!」
何かを察し、再び最高速で距離を取る。
はずが。
「が……あ……!!」
飛び退った先には、すでに凍早が刃を構えていた。水晶の透き通った刃が、八兵衛の背中から脇腹へ切先を覗かせている。
「はち……べえ……!!」
叫ぶ光圀の顔面を無龍が蹴り付ける。動かなくなった光圀の巨体を無龍は軽々担ぎあげようとしたが、倶炎童子がそこに割って入った。しかし、次の瞬間、童子はぐったりとそのばに崩れ落ちた。目にも止まらぬ速さの拳が、鳩尾に叩き込まれていた。
「や、やめろ……!」
八兵衛は声を振り絞る。横隔膜を震わせるたびに傷口からごぼりと血が溢れる。
「〈八〉、諦めろ。速さの才に目覚めただけのお前では、我々には遠く及ばない」
「うるせえ……」
「共に来い。才を扱う技術を身につければ、少しは忍軍の力になるだろう」
「嫌だ、俺は、光圀を……!」
凍早は短く嘆息した。何かの判断を求めるように視線を飛ばすと、無龍は頷く。凍早は懐から小指大の筒状のものを取り出し、短く息を吹き込んだ。奇妙な甲高い音がわずかに響く。
「〈八〉、今から起きることは、私にとっても不本意だ。ガゴゼ爺……頭領がどうしても試運転をせよと仰せでな」
「……?」
「どんな拷問でも、もう少し品があると思うよ。済まないな、〈八〉」
言うと、凍早は八兵衛の胴体から小刀を抜き、背中を蹴り付けて放り出した。腹を押さえ、粗い息を整えながら八兵衛は辺りを警戒した。
音が聞こえる。
深い森の中にあって、自然状態では聞こえる筈のない機械音。
「……!」
聞き覚えがあった。いや、何度も聴いた。聴いてきた。
あの日も。
「嘘だろ……」
ぶううん、と鳴る、金属の刃が高速回転する音。
それは紛れもなく、〈華斬車〉の駆動音だ。
「なんで……」
そして、それを扱うことのできる忍びは一人しかいない。
回転音と共に、〈彼女〉はやってきた。
赤い装束に身を包み、赤橙色の長い髪を靡かせた、どこにも忍べないような派手な出たち。口元に獣じみた不敵な笑みを浮かべる、忍軍において〈最悪〉の忍者。
「ナナ……姉……」
八兵衛の恩人にして、唯一の理解者。〈歪みの日〉に八兵衛を逃すために命を散らした筈の〈七〉が、そこにいた。
しかし。
ちくしょう、と八兵衛はつぶやいた。その姿を認めた瞬間にわかってしまった。
外見は紛れもなく〈七〉のそれ。どうやったのかは想像もしたくないが、おそらく、肉体も〈七〉自身のものだろう。だが、身体中を覆う痛々しい縫合跡に、張り付いたまま微動だにしない表情。光を反射しない瞳。それはどう見ても。
「完成してたのか……!」
聞いたことがある。忍び里で研究されていた、死体を再び動かすための秘術について。落ちこぼれであった八兵衛は、同期や後輩たちにすら、死んでその秘術で動かしてもらった方が役にたつ、と散々嘲笑されてきたのだ。
よもや、その秘術が。
「悪く思うな。直近で死んで、最も戦力になる忍びが〈七〉だったんだ」
「ナナ姉の亡骸を……弄びやがったな……」
「有効活用と言え」
八兵衛は吠えた。絶叫と共に、腹の傷から血が吹き出す。踏み込み一歩で凍早の背後を取る。重傷を負っているとはいえ、八兵衛の最高速は常人の目には映りもしないほどのものである。しかし。
「だから言っているだろう。今のお前には、その速さを生かす技術がまるでない。どんなに速かろうが、行動が読みやすければ……」
八兵衛が駆けたその先に、無数の鉄線が貼られていた。〈華斬車〉の制御線で編まれた、さながら結界である。
「すばしこいだけのネズミに過ぎん」
全身に鉄糸が食い込む痛みに声を上げる。そのために生まれた隙を、〈七〉が容赦なく突く。おそらく、それは理性からくる判断ではない。生前の〈七〉の身体に刻まれた、反射的な行動。回転しながらの蹴り左右二発を側頭部に連続してくらい、八兵衛は倒れ込んだ。すぐに起き上がらなければ。しかし、脳が揺れて視線が定まらない。血も足りない。
動かない光圀と童子を視界に捉えながら、八兵衛の精神は飲み込まれていった。
昏いまどろみと、絶望に。
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