第十一話「化け物よりも狂ってしまった私だから」

※※※


 青々とした葉を透かす陽光は、あたりを涼やかな緑色に彩っている。鮮やかな緑色に苔むした岩、底まではっきり見える透き通ったせせらぎ。山間の光景は美しかったが、そこを歩くふたりの女の表情は険しかった。突き出た枝に格さんは気づかず、ふくらはぎを引っ掛けた。


「痛った……」

「……大丈夫ですか」

「……引っ掛けただけだ」


 三日ぶりの会話だった。これを会話にカウントするのであれば。

 牛火村を出て以来二週間弱、光圀を探すために、助さんと格さんはあてもなく、どちらからともなく歩き始めた。なんとなく村から遠く、なんとなく今まで旅をしてきた能登は逆方向へ、とヤマを張った結果、進路は西に向いていた。全くの偶然ではあるが、これは光圀と八兵衛が向かっていた方向と一致している。

 しかし。光圀の行きそうなところと言っても心当たりはなく、ただあてどなく歩き回り、何かの痕跡を探すという極めて確度の低い探索に、無表情な助さんはともかく、格さんの顔には、不満と苛立ちが目に見えて浮かんでいた。そして、それはそろそろ我慢の限界を迎えようとしていたようだった。


「……なあ、みっちゃんに会えたらさ、なんて声かけるつもりなんだよ」

「……何ですか、急に」


 先をいく助さんは振り返らない。


「別に。ただ、どう思ってんのかなって」

「……まずは無事を祈るばかりです。何者かに攫われたのかもしれない」

「……本気で言ってんの? 攫われたんだったら、その時声なりなんなり出してるから、あたしたちだって気づいた筈だろ」

「何が言いたいんですか」

「あたしらの話をホントは聞いてて、だから出てっちまったんじゃないかってんだよ。〈天帝計画〉のこととか、〈鬼の脊髄〉のこととか聞いて、傷ついちゃったんじゃないのか」


 助さんは無言で歩き続ける。

 その様子に、格さんが痺れを切らした。


「あんたの秘密主義が、みっちゃんを追い詰めたんじゃねえかって言ってんだよ!」


 静かな山間に、怒声が響いた。


「あたしの考えが合ってれば、って但し書き付きだけどよ、一番傷ついたのは、あんたがそれを知ってて、ずっと黙ってたってことだよ」


 助さんが足を止めた。


「言える……わけが、ないでしょう。お嬢はあの通り、精神が未成熟です。受け止められるはずがありません」

「で、取り乱したらあんな感じでバケモノになって暴れ回っちまうからって、秘密にしてたわけだ」

「違います」

「違わねえだろ。あの子だって、色々考えてる。自分がバケモノに変わっちまうかもしれないってわかってたら、もっといくらでもやりようがあったはずだ。村だってあんなひどいことにはならなかったかもしれねえだろ。人を守るためなら、頑張りかたを見つけられる子じゃねえのか。そういうのも、わかんねえのかよ」

「違う! 天帝計画で作られたものは、〈光圀〉の精神は、そんな柔軟なものには……」


 助さんの襟首が掴まれた。


「あんたがあの子を人間扱いしねえで、どうすんだよ!! 〈天帝計画〉のこと、詳しくは知らねえけど、旧幕府の言いなりになるように初めは作られたかもしれねえけどよ、この旅で、たくさん感じて、考えて、いろんな顔を見せてくれてたじゃねえか! あたしには、みっちゃんはただの女の子にしか見えなかった! 何であんたがあの子の心を信じてやれねえんだよ!!」

「そうじゃない! そうじゃないんです! お嬢は、あの子は、それ以前に……!」


 言いかけて、助さんは口を注ぐんだ。明らかに動揺した様子が見て取れる。


「〈それ以前に〉、何だよ」

「……」

「あたしにもその続きは話せねえってわけか。あんた、みっちゃんをどうしたいんだよ? ただ歩かせて、バケモノになんねえように後ろから見張ってるだけか?」

「違う……」

「意味わかんねえよ!」

「愛してるんだ!!!」


 その大音声に、格さんは思わず襟首から手を離した。

 初めて聞く、助さんのここまでの大声。そして、その言葉。

 助さんの右目から、細く涙が流れるのが見えた。


「愛してるんです。心から。あの子が幸せに生きていけるなら、私はどんなことだってします。誰からだって守るし、誰だって殺す。でも、私は……あの子には心を開いてはいけないんです」

「……何でだよ」

「私には、愛される資格などないからです。私は、私だけは幸せになってはいけない。あの子の旅の終わりを見届けたら、姿を消して一人で死にます。そう決めています」


 最後は、涙声でよく聞き取れなかった。だから格さんは助さんの真正面に再び近寄り、抱きしめた。


「あんた、狂ってんな」

「……狂っています。もう元には戻れない。だから、化け物よりも狂ってしまった私だから、傷つけないように、距離をとって見守っていくしかないんです」

「……辛くねえのか」


 助さんの右手が、格さんの背中を掴んだ。

 その手は震えていた。

 指に強い力が込められるのと同時に、助さんの口から嗚咽が漏れた。

 声を殺し、溢れそうな慟哭を堰き止める。

 しかしやがてそれは決壊し、助さんの泣く声は山の木々に吸い込まれていった。

 少し落ち着いた頃、格さんはささやいた。


「……あんた、みっちゃんと会えたらさ、自分の気持ち、少しは伝えてやれよ」

「……考えておきます」


 その時、背後の茂みががさり、と音を立てた。

 瞬間、二人は構える。獣か、と思ったが、現れたのは想像だにしない人物だった。


「何しに来やがった」


 格さんは低い声で問う。

 奇妙な仮面で目隠しをした、烏帽子の女。

 月世光圀が〈助さん〉と呼ぶ人物だった。


「妙です、一人しかいない」


 助さんが格さんにだけ聞こえるような小声で告げる。あたりに月世や、斧の童女が潜んでいるのかもしれない。助さんと格さんはあたりに視線を素早く飛ばしたが、付近に他のものの気配はない。再び烏帽子の女を注視する。衣服のあちこちは破れ、血のような跡が方々についている。おまけに、息も上がっており、尋常な様子ではなかった。

 何かから逃げてきたかのように。

 女は荒い息も整えずに、声を発した。


「お願いです。あの子を……〈月世光圀〉を、殺してください」

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