最終話「わたしが、誰も傷つけない方へ」

※※※


 最初の記憶は、血だらけの女の人が泣いている姿だった。

 空は真っ暗で、その人の後ろで燃える大きな火があたりを橙色に照らしている。


 なんで泣いているのかはわからない。その人はわたしの背中を抱き上げて、血と涙を流しながら何かを叫んでいた。

 あたりは何もない。ただ、何かの建物があったらしい跡だけが燃え続けていた。

 女の人の顔から流れ続ける血が、わたしの顔にも掛かる。温かい。

 急に強く抱きしめられた。血に濡れた肌が触れて、ねち、と音を立てた。

 その人は、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も叫び、泣き続けていた。

 わたしは、それを少し嫌だと思った。

 泣いている人がいるのは、悲しいから、嫌だ。

 

 泣かないで、そう言おうと思ったけれど、まだこの身体は小さくて、喉や舌も発達していないからちゃんと発音できなかった。


 誰かが泣いているのは、嫌だな。


 その人の背中をそっと撫でようとした。まだ腕が短くて届かなくて、わたしの小さな手は、その人の頬に触れた。

 後ろで燃えている火が一層大きくなった。熱い風が女の人の髪の毛を舞いあげた。その時わたしは、初めてその人の顔を見た。この火に焼かれてしまったのだろうか、顔の左半分が焼け爛れていた。

 すごく痛そうで、かわいそうだと思った。

 なんとかしてあげたくて、もう一度、火傷していない方の頬に触れた。

 その人は一瞬何か驚いたような顔をして、わたしをまた強く抱きしめた。

 その人は、また大声で泣いた。


 誰かが泣いているのは、嫌だな。

 誰も泣かない世の中になればいいのに。


 わたしが、そんなふうに、世の中を直したいな。



※※※


 気を失った光圀を格さんに担がせ、助さんは山を降りた。村から少し離れた、川のほとりに着くと、光圀を寝かせた。

 村を出てから二人に会話はなかったが、格さんが沈黙を破った。


「……おチビ、探さねえの?」


 光圀の顔を手拭いで拭くと、わずかにため息をつく。格さんに向き直り立ち上がると、助さんは口を開いた。


「……あの速さで出ていかれたら、我々に追いつく術はありません。それに、お嬢が元に戻った時には、もう近くにはいませんでしたし、どの方角に行ったのかも……」

「まあ、そりゃそーだな」

「……」


 再び、沈黙。しかし、助さんが黙ったままいることを、格さんは許さなかった。助さんの襟首を乱暴に掴み上げる。


「お前、仏頂面続けんのもいい加減にしやがれ!」


 助さんの表情は変わらない。


「なあ、村一つめちゃくちゃにしておいて、何もしねえで逃げんのかよ。責任とか感じねえのか」

「……責任なら、ずっと感じてます」

「じゃあ、なんであたしら今逃げてんだよ! 生き残った人の手当てするとか、建物直すのを手伝うとか、やれることあんだろうが!」

「本当にそう思ってますか?」

「あ?」

「あれだけの騒ぎを起こしておいて、私たちを村が受け入れてくれるはずがない。それはあなたにもわかっているでしょう」

「そりゃあ……」

「それに、何よりも、あの後、村人たちから敵意や恐怖を向けられたら、お嬢の心がどれだけ傷つくか」

「……それはおかしいだろ。村じゃ何人も死んだんだぞ。どれだけ恨まれようが、そりゃあ引き受けるしかねえだろうが」

「そんなことをするくらいなら、逃げた方がマシです」

「ふざけんな! 村丸ごと一個より、みっちゃんの心の方が大事だってのか!」

「その通りです。何に、替えても……私は、お嬢を守らなければならない……!」


 助さんの右眉が歪む。黒目がちな目には、涙が浮かんでいた。


「狂ってんな」


 格さんは襟首から手を離した。


「……いい加減話してもらうぜ。あたしだって、ここまで巻き込まれてんだ。みっちゃんは……〈光圀〉って、なんなんだよ?」


 助さんは少しの間右目を閉じ、開いた。



※※※


 貴方も、あの〈月世光圀〉が口にしていたことを、少しは聞いていたでしょう。まず、〈光圀〉というのは〈天帝計画〉のために造られた、人を超えた存在です。正確には……〈人ならざるものの一部を身体に移植され、それと適合し、超常の力を手に入れた人間〉です。


「人ならざるものの一部、ってのは、何なんだよ」


 ……研究の果てにたどり着いた、最も力を持ち、且つ、人と適合する確率が最も高かったもの。〈鬼の脊髄〉です。


「鬼……って、あの、おとぎ話に出てくるあれかよ。正気か?」


 鬼は実在します。

 元々は山奥に暮らし、我々とそんなに変わらない文化をもち、生活していました。我々が生まれるよりずっと前から個体数が激減し、氷見津幕府が成立した折には、その実在自体が秘匿されていましたが。

 幕府はわずかに残った鬼たちの高い霊力に目をつけ、捕獲、実験を繰り返し、その果てに見つけたのです。〈人間の身体に、尋常ならざる霊力を宿す方法〉を。

 それが、鬼の脊髄を移植することでした。


「何のために、そんなものを造ろうとしたんだよ」


 それこそが、〈天帝計画〉の目的です。

 龍脈、龍穴などについては、貴方も知っているでしょう。この国中を走る霊気の流れが龍脈。龍脈はさまざまな影響をこの世に与えます。幕府末期の研究でわかったのですが、龍脈には、魂と魂を緩やかに繋げる性質があります。

 龍脈付近で生活している人や動物たちは、その魂……意識の深い部分が、蔦が絡まるように龍脈と接続されるのです。繋がった魂は龍脈の影響を受け、気分の浮き沈み、考え方や健康状態、身体能力などが変動することがわかりました。


「考え方……」


 龍脈の流れが活発であれば、そこから多くの霊力を取り出し、動力や破壊力、そして生き物の生命力に転用できます。そして、そういった形で龍脈と交わった生命体は龍脈と接続され、影響を受けるようになるのです。

 それに気づいた幕府は、龍脈を、ある用途に利用する計画を立てました。


 人々と龍脈とをあまねく交わらせ、龍脈に接続された人々の心を監視し、統率するという用途です。


「……そんなこと、本当にできんのか……?」


 理論上は。というか、可能であるという理論ができてしまったからこそ、〈天帝計画〉は動き出したのです。

 必要なものは、龍脈に対して大きな影響を与えられる、強い霊力を持った人間です。そして、その人間は、幕府の意思を代行できるほどに教化されている必要がある。幕府の意のままに動き、人理を超えた霊力を持つ存在、それが、国に光をもたらすもの。〈光圀〉と称されるものです。


 本来、完成された〈光圀〉は龍脈に接続され、龍脈に触れた人々の心の状態を監視します。犯罪行為や、反幕府活動の兆候を察知すれば、実際にそれが起こる前に把握し、担当する幕府の機関が事前に排除する。あるいは、龍脈との接続がより深くなれば、龍脈を通じて、幕府にとって望ましい考え方を人々に流し込むことも可能になります。全ての人心を掌握し、平穏のもとに国土を統治する。それが〈天帝計画〉でした。


 無論、〈鬼の脊髄〉を人体に移植するなど、並大抵のことではありません。〈光圀〉完成のために、様々なところから年端もいかない子供が集められ、洗脳と言ってもいいほどの〈教育〉が施されました。そして、〈教育〉の成果が一定以上だった子供が、〈鬼の脊髄〉の移植実験の検体とされたのです。……ですが、常人に耐えられる手術ではなく、多くの子供が命を落としていきました。運よく移植が成功しても、拒否反応や、原因不明の現象のせいで、ほとんどが……成長途中で亡くなってしまいました。

 

 成功個体の〈光圀〉は、幼少の頃から洗脳された脳と、幕府が定める正義に準ずるように〈脊髄〉から耐えず送られる指令によって、幕府の正義である〈世直し〉を完璧に執行する代理人となるはずでした。しかし、〈脊髄〉と元々の資質との相性とでも言いましょうか、強い正義感を持ちつつも、その〈正義〉をどのように執行するのかは、成功個体それぞれによって大きく変わってしまうようでした。先ほど現れた〈月世〉と名乗った彼女も、ひどく利己的な〈世直し〉を実行しようとしていました。

 お嬢も、奇跡的に生き延びた個体の一人でした。が、移植された〈鬼の脊髄〉の力が極めて強く、常に呪術的に抑制していないと、お嬢自身の身体が〈鬼化〉してしまう、極めて不安定な存在です。いつもつけている髪飾りは、脊髄の反応を抑制する呪術を、脳を通じて直接神経系に流し込むための制御装置です。だから、戦闘の際に外れてしまうと、あのような姿になってしまうのです。


 私は……〈天帝計画〉に関わっていました。幕府の人間として。

 事故とはいえ、幕府のくびきから解放されたお嬢が、自由に生きていけるように、人生に納得できるように、その手助けをするために、どこまででもついていく。

 それが、私の罪滅しなのです。



※※※


 助さんの告白を聞いた格さんは、その後一言も発することなく、助さんと光圀から少し離れた場所に寝床をひくと横になった。

 助さんは何か声をかけたそうにしたが、ため息を一つつくと、光圀の傍に腰を下ろすと、そのままの姿勢で眠りについた。

 雲は晴れ、月明かりが夜空を照らしていたが、獣や虫の声は一切なく、耳が潰れそうなほどの静寂が夜の空間を支配していた。


 助さんと格さんの寝息を聞きながら、光圀は声を殺し、涙と鼻水を流し続けていた。

 ずっと聞こえていたのだ。

 わたしは、人間じゃなかった。あの子がいう通り、ばけものだった。

 天帝計画とかいうもののために生み出された、切り刻まれて怪物の背骨を移植された、つぎはぎの存在。髪飾りを外すだけで怪物に変わり、埋め込まれた〈鬼の脊髄〉が命じるままに正義を執行する、今はもうありもしない幕府の傀儡。

 正義にわずかでも反する者がいれば、子供であろうとも反射的に殴り飛ばす。

 きっと、はちべえが言っていたことも本当だ。はちべえのいた所と、大切な人を、みんな殺してしまった。


 そんなの、居ていいわけがないじゃないか。


 光圀は音を立てないように立ち上がる。 あんなにボロボロになったというのに、もう傷は癒え、痛みもない。身体が丈夫なのは良いことだと思っていたが、これは、人並外れた回復力なんかじゃない。わたしが死ににくいばけものだからだ。 とぼとぼと森に向かって歩き始める。

 行くあてはない。ないほうがいい。

 どこか、人のいない方へ。

 わたしが、誰も傷つけない方へ。


 真っ暗な森の中に、光圀は消えていった。 

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