第二十二話「印籠マッハぱんち」

※※※


(みつくによ、よくきくがよい。おぬしのからだにやどったおにのちからはなみのものではない。にんげんがつかうには、おおきすぎるのじゃ。だからせいぎょするほうほうをおぼえよ。まずは……)

「ちょ、ちょっと待って童子さん! なんかね、小さくなっちゃったから聞き取りづらいのかな! 声が高くて、内容が全然入ってこないよ!」

(む? そうか……ならば、おほん、これ位の声ならどうじゃ? お主の鬼の力、扱い方を教えてやろう」

「う、うん! さっきより全然聞き取りやすい!」

「それは重畳。ではまず、お主の力の扱い方はな、その全てを腕力や回復力……肉体の働きを強くすることに振り切っていて、なんというか、便利な機械を持っているのに、相手をぶん殴ることだけに使っているような状態なのじゃ」

「お、思ったよりすごく的を得た内容でびっくりしてるよ……! でもね、童子さん!」

「何じゃ」


 人魂のような形状に縮んでしまった童子はずっと光圀の方を見ていたから、気づかなかった。


「そのお話、後にしてええええええ!!」


 光圀が今、史上最強の忍者・〈無龍〉と相対し、極限状態の格闘戦を繰り広げていることに。

 無龍の猛攻を光圀は必死で捌く。だが、無龍がまだ全く本気を出していないことは光圀にもわかる。殺気を全く感じないからだ。それは、おそらく光圀の身体をできる限り五体満足で手に入れたいから。殺気を感じないとは言え、その手刀、足刀の鋭さは、少しでも気を抜けば一撃で意識を持って行かれてしまうことは想像に難くない。百戦錬磨の無龍に対し、恵まれた身体能力を持つとはいえ未熟で荒削りな光圀、本来であれば一対一では勝負にもならないのだ。だが。

 

「光圀、右だ!」

「!」


 光圀は瞬間、右側に大きく飛び退く。今まさに光圀がいた空間を、無龍の拳が削り取って行った。電光石火の速度で八兵衛が無龍の周りを動き回り、光圀に拳を打ち出した瞬間、腕を逆方向に蹴り付けて攻撃の軌道をずらしたのだった。

 無龍の空振り。そのわずかな隙を。光圀は踏み込む。踏み込んだ勢い、上体を捻って勢いの乗った拳を無龍の顔面に向かって打ち込む。

 しかし。拳が頬に触れるや、無龍は顔の向きを変え、その打撃をいなす。狼狽した光圀の顎目掛けてアッパーが飛ぶ。だが、八兵衛の神速の蹴りがその拳を空振らせた。


「やるな、〈八〉」


 八兵衛は反撃を警戒し、再び高速で走り出す。

 無龍は口元をわずかに緩めると、今度は八兵衛を狙って拳を繰り出す。一見、あらぬ方向。だが、高速で動き回る八兵衛の軌道上に、正確にそれは打ち込まれていた。急制動をかけるが減速は効かず、八兵衛は顔面から拳に突っ込む形になった。

 八兵衛の神速は、その動きを目で追おうとしたものにとってこそ最大の難敵となる。だが、盲目でありながら、そのほかの感覚が極限まで研ぎ澄まされ、常識外の反射速度と膂力を持つ無龍にとっては攻略不可能なものではない。八兵衛が時として音を超える速度を発揮しても、鋭敏な皮膚感覚で空気の揺らぎを察知し、高速移動の軌道を読み切り、迎撃することが可能である。逆に、八兵衛にとって、無龍に攻撃を繰り出すのは、カウンターの絶好の機会を与えることになる。そのため、無龍に対して、回避に徹すれば八兵衛が敗北することはないまでも、有効な攻め手を持たなかった。

 だからこそ、


「お前は撹乱に徹し、光圀が俺に必殺の一撃を叩き込む機会を待つ。まあ、それしかあるまい」


 戦術は全て読まれている。だが、やるしかない。

 だが、どんなに隙を作り、絶好のタイミングで光圀が攻撃しようとも、無龍の対応はそれを上回る。膠着状態とも思えたが、無龍が八兵衛の神速に対応できることと、光圀の燃費が悪いことを考えると、明らかに分が悪い。

 歯噛みする八兵衛の表情を見て、光圀も焦った。

 わたしが決めなきゃいけないのに。

 しかし、相手は、無龍は、あまりに強い。どうする、と唾を飲み込んだ時、肩口にしがみついた童子がひそひそと話しかけてきた。


「光圀よ。あやつはめっちゃくちゃ強い。だから、今、鬼の力の使い方を一つだけ教える。それで活路を開くのじゃ」

「一つ……?」

「うむ、それは、霊力による防御じゃ。鬼の戦い方は、基本殴り合い、術のぶっ放し合いじゃ。わざわざ攻撃を避けたりするのは打たれ弱いやつだと舐められるからの」


 そう言えば、初めて童子と会ったときも、身体中を怪物に噛みつかれて平然としていたっけ。


「お主、傷は治せるが、傷ついたときは痛いじゃろう。うまく鬼の力を使えば、そもそも傷つけられることも防げる」

「うん、どうすればいいの?」

「あれじゃ、こう、体に満ちる霊気をな、表面に纏うような感覚で広げるっていうか、ぶあーって」

「わかんないよ……?」


 などと言っている間に、無龍が光圀を狙って突進してくる。


「わああ! 来るよ、童子さん! 避けていい!?」

「ダメじゃ! ここで防御を覚えよ!」

「えええええ! そんなこと言ったって!!」

「頑張れえええ! 我慢するんじゃあああ!!」

「おわあああああ!!」


 無龍の鉄拳が、光圀の額に正面から衝突する。大鐘を打ち鳴らすかの如き、大質量の衝撃。だが。


「何……?」

「うぐううう……がまん……痛くないもん……!!」


 光圀は涙目だったが、その体表には、薄紫色の小さな稲妻がばちばちと弾けている。


「おおお! できたではないか! これよ! これが鬼の力よ!」

「うりゃああっ!!」


 稲妻が弾ける。その衝撃で無龍は距離をとった。無論、その稲妻の光が見えているわけではなかったが、殴った感触が違う。ダメージが通っていないという確信。しかし、警戒して攻め手を消極的にする無竜ではない。攻撃が通らないなら、通る攻撃がわかるまでやる。それこそが最強の忍びの戦闘教義であった。


「来るぞ、光圀!」

「うん!」


 すうう、と息を吸い込み、霊力を纏う。とは言っても、まだコツを掴めたわけではないが。しかし、


「わかんないけど、わかるまでやってやる!」

「その意気じゃ!」


 光圀もまた無龍に向かって突撃した。無龍の迎撃の拳が乱舞する。その全てが光圀の急所を正確に捉えていた。だが、


「痛くない……痛くない!!」


 痛みを軽減するだけではない。不思議なことに、打撃を喰らった際の衝撃も大幅に殺すことができており、猛攻を喰らいながらも、光圀は無龍の懐深くへと侵入することに成功した。


「印籠……ぱんち!!!!」


 印籠を瞬時にナックルガードへと変形させ、紫電を纏った電速の拳を叩き込む。だが、無龍の反応はその拳よりも速い。攻撃のための手を防御に切り替え、その大きな手のひらで印籠ぱんちを受け止めた。だが。


「ぐ……ッ!」


 受け止めた手のひらが、みしり、と軋む音がした。いける。追撃を試みたが、強烈な前蹴りを胸にくらい、強制的に距離を空けられた。印籠ぱんちに霊力を集中させたから、防御も溶けてしまっていたようだ。

 強い。絶好の好機だったが、それでも届かない。

 背後で、八兵衛が起き上がる気配がした。顔面に拳を叩き込まれたダメージから回復したようだった。


「はちべえ、大丈夫!?」

「ああ……悪い……!」


 八兵衛は倒れ伏していたが、気絶していたわけではない。光圀が霊力の防御を駆使して無龍の猛攻を凌いでいた様を、しかと観察していた。光圀の新たな力は、あと一歩届かないその距離を縮めうる絶好の好機である。八兵衛の神速による撹乱を再び用いれば、届く。

 いける、と全身に力を入れた時、八兵衛の全身を違和感が襲った。

 何か。言語化できない未知の感覚。しかし、ある事実が確信としてあった。

 〈神速〉が。童子から譲り受けた鬼の力が尽きかけている。

 凍早を下した時のような、力が無限に湧き上がってくるような感覚はなく、燃え盛る炎のように感じていた体内のエネルギーは、今や篝火程度にしか感じられない。

 思えば、童子が八兵衛にしてくれたのはあくまで応急処置。眼球と、傷を治すために注がれた血液だけでは、脊髄を丸ごと移植された光圀のような力が出ないのは必定であった。

 感覚としてわかる。いま〈神速〉で走れるのは、あと一度きりだ。

 しかし、それを光圀に伝えることはできない。どんな挙動で伝えたとしても、無龍には筒抜けになる。いや、体内の心拍や筋肉の駆動音から、すでに確信を持つまではいかなくとも、察されている可能性もある。

 ならば。

 それが確信に変わる前に倒す。

 それしかない。


「光圀、もう一度だ。これで決める」

「……うん!」


 光圀は八兵衛の様子を確かめると、胸の前で両の拳を打合せ、紫電を纏う。と同時に、八兵衛は再び全速力で走り始めた。無龍の周囲を駆け回り、牽制を繰り返す。


「一つ覚えが俺に通用すると、本当に思っているのか」


 無龍は八兵衛の牽制は気にも留めない。防御も回避もしないから、あちこちに小さな傷ができるが、それにはみじろぎ一つしない。光圀の一撃のみを警戒し、八兵衛の動きは意識から締め出しているかのようであった。


「凍早を倒した時のような圧力を全く感じない。所詮お前の力は付け焼き刃だったようだな」


 否定はできない。


「自分の体一つで活路を開くこともできない。女の腕力を頼みに、お前はちょこまかと跳ね回るだけか」


 それも、事実である。


「失望させるな、〈八〉! 最下級以下のお前でも、俺に並び立てると、証明して見せろ!」


 八兵衛の走路上に、巨大な手。牽制を無視しつつも、無龍は八兵衛の迎撃を狙っていたのだ。だが、無龍の意識が一瞬でも八兵衛に向かった、これは好機。光圀も、それを見逃さない。深く踏み込み、無龍の懐まで一気に潜り込む。霊力を拳に集中させーー


 違う。これは罠だ。


 拳に霊力を集めたが故に、防御のために纏っていた霊力が解かれている。その瞬間を、無龍は待っていた。


「終いだ、光圀」


 八兵衛の最後の走行。今この瞬間まで、〈神速〉を出してはいなかった。元々持っている速度の最高速で撹乱し、最後の鬼の力は、非常時に備えて温存していたのだ。

 そしてそれは、最後の鬼の力は、光圀の顔面を砕こうと飛ぶ無龍の拳を止めるために、今まさに使われようとしていた。

 いや、これでいいのか。

 ここで最後の力を使ってしまったら、無龍を倒す手札は尽きる。

 しかし、考えるよりも早く、八兵衛の体は光圀を助けるために動き出していた。瞬間、〈神速〉で駆け、無龍の腕を蹴り飛ばす。

 つもりだった。

 蹴り足を掴まれる。

 無龍は、ここまで読んでいた。


「全て無意味だ。お前たちの行動も、意思も」


 一度目のフェイントも、光圀にターゲットを切り替えて見せたのも、全て、八兵衛を確実に捉えるため。

 蹴り足を掴んで八兵衛の身体を光圀に振り下ろす。

 光圀の印籠ぱんちは止まらない。その拳はまっすぐに八兵衛の体幹を捉えている。

 拳は八兵衛の腹を貫くーー


 寸前…光圀の目には、八兵衛の袂に輝くものを見つけた。

 それが何なのか、理解する前にもぎ取る。

 体勢を崩した八兵衛の懐からそれが覗いたのは完全なる偶然だった。しかし、光圀にはどうしようもなく、誰かの意思を感じずにはいられなかった。

 八兵衛を守るという、優しく強い意思を。

 八兵衛の視界にも、瞬間、光圀が手に取ったそれが見えた。


 鋼色の花に似ていた。


「〈華斬車〉……!?」


 もぎ取った〈華斬車〉から伸びる鋼線の端を口元に運び、八兵衛は噛み締める。無龍の膂力で振り下ろされる八兵衛と、光圀渾身の印籠ぱんちが交差する。そこに生まれた音をも超える速度で引っ張られる鋼線によって、〈華斬車〉はその刃先が見えなくなるほどの勢いで回転を始めた。光圀は手に持った〈華斬車〉を無龍に押し付けた。

 最高加速の回転。内部の機構が、構造上の限界をはるかに超えた速度で回る。火花が散るほどの勢い。その速度のまま、回る刃が無龍の胸元を切り裂く。回転の勢いで鮮血が散る。

 流石に虚を突かれ、無龍はわずかに声を上げたが、だが、浅い。あまりに屈強な胸板は鋼の風車の斬撃にさえも耐える。

 しかし。


「もう一回……!!!!」


 瞬時、光圀の〈印籠〉が変形し肩までを覆う甲冑と化す。しかしそれは無龍も把握している形態。判断能力の限界の速さでやり取りをしている今この時、鈍重な甲冑を展開するのは愚策に見える。見えるが、無龍は瞬間、本能が警戒を告げるのを聞いた。


「印籠……ぱんち!!!!!」


 甲冑は白紫の炎を上げる。迸るエネルギーが、光圀の巨躯をまっすぐ推進させる。その手持った〈華斬車〉は八兵衛の咥えた鋼鉄線に引っ張られ、回転速度を更に上げた。

 その瞬間。

 内部機構が限界を迎え、悲鳴を上げた。悲鳴は、金属が擦れ合う不快な高音。あたりの空間をも切り裂くほどのボリュームで駆け巡る。光圀と八兵衛も顔を歪める。

 と同時に。

 その音は、無龍の聴覚に深く突き刺さっていた。

 無論、異常発達した聴覚が弱点にならないように、研鑽を積んできた無龍である。大きな音を近くで立てられたからと言って、常人よりもダメージを多く受けるなどということはない。怯んだのは、一瞬。

 しかし、その一瞬で良かった。

 わずかに一瞬、手が緩む。その一瞬で八兵衛は無龍の捕縛を脱する。

 無龍は瞬間、自分の失敗を悟る。八兵衛からの攻撃があったとして、そのダメージは覚悟し、即座に己にとっての致命傷となり得る光圀に対して防御の姿勢をとった。

 無龍が予期した通り、その隙をついて、光圀は三度目の〈印籠ぱんち〉を放つところであった。防御も間に合わないタイミング。先ほどまでの状態であれば。

 光圀は印籠を変形させ、甲冑を腕に纏って攻撃してくる。その増えた質量分、その大きくなった空気抵抗の分、拳の速度がわずかに遅れている。防御は、可能。

 そのはずだった。

 予期したスピードよりもほんの少し速く、拳が無龍の眼前に迫る。防御のために腕をかざすよりも早く。


「光圀!!!」

「うん!!!」


 視線を交わさずとも、名前を呼ぶだけで自然と成立する連携。

 〈最速〉の速さで光圀の背後に回り込んでいた八兵衛が、全速力で光圀の腕の甲冑を蹴り付けていた。〈印籠ぱんち〉を上回る速度の〈印籠ぱんち〉。それは。


「印籠……」

「あんたに並び立てるなんて思わない! でも……!」


 八兵衛の〈神速〉と、光圀の〈印籠ぱんち〉と、〈七〉の〈華斬車〉。その全てを使ったフェイントの末の、三度目の拳が。


「マッハぱあああああああああああんち!!!!!」

「俺を生かしてくれた全ては、無意味なんかじゃない!!」


 無龍に届いた。

 顔面に衝撃。脳が揺れる。火花が散る。

 誰かに殴られるのは、いつ以来の感覚だろうか。

 不思議と、そんなことを思いながら、


「見事だ」


 無龍は、意識を手放した。

 倒れようとするその巨体を支えるものがあった。

 視線だけで光圀と八兵衛を射殺さんとばかりにアイスブルーの瞳に殺気を込めている。


「凍早……」


 無龍の巨躯をそっと地面に横たえると、満身創痍の天才忍者は刃を構えた。


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