第七話「わしは、この国で最後の鬼かもしれん」
※※※
「え……と、ぐえん、童子……さん?」
「そうじゃそうじゃ。わしは〈倶炎童子〉。ここから遠〜く離れた〈桐熟山(ごうべやま)〉の主だった者じゃ……ほれ、喰わんか。せっかくの山犬の肉が冷めるぞ」
突如現れた赤鬼〈倶炎童子〉。
彼は光圀たちと鉢合わせるなり、急に近くの開けた場所に座り込んで火を起こし、食事の支度を始めたのだった。ちなみに、食材は、ついさっきまで童子の体のあちこちに食らいついていた、犬のような形をした謎の生物である。
「……俺の知ってる山犬とだいぶ形が違うやつだったんだけど。これ、人間が食って平気なのか……?」
童子が妙に手際よく血を抜き皮を剥ぎ解体し。器用に捌いて手近な棒に突き刺され、火にくべられたそれらは、見たところこんがりと良い色に焼けた串焼きのように見える。が、漂ってくる匂いが、知っている類のものとは全く異なる。肉が目の前で焼けているのに、漂ってくるのはいやに生臭い、川か沼のような匂いである。絶望的なまでに食欲がそそられないが、当の童子は何食わぬ顔でぱくぱくと順調に食を進めている。横目で光圀を見ると、彼女もまた、口を半開きにして何度かかじりつこうとしているようだったが、いまだ躊躇している最中であった。
が、
「お、おい……!」
がぶり。
意を決した光圀は、目をぎゅっと閉じて得体の知れない肉に歯をたてた。
肉を齧りとり、力強く噛む。筋張っていて硬いのか、いつもより咀嚼が長い。目を瞑ったまま、10秒ほど口をもごもごさせると、上を向いて、ごくん、と飲み込んだ。
「ど、どうだ……?」
「なんかねえ……砂みたい。匂いだけするけど、味が何にもないの」
「ううう……食うしかないのか」
八兵衛も腹を括り、小さく一口、口に含んだ。光圀の言う通り、沼のような匂いが口に広がるが、舌には何の刺激もない、奇妙な感覚。口腔中の全ての細胞が、これは異物だ、と警告を発しているかのようだった。が、それを気力でねじふせ、無理やり飲み下した。
その様子を。
「な、なんだよ」
童子がじいっと見つめている。
目を細め眉を顰め、怪訝そうな顔をしていたが、二人が犬(らしきもの)の肉を飲み込んだのを確認すると、にかっと弾けたような笑顔を見せた。
「うははは、結構結構。これでお主たちは、わしの友じゃ。言うじゃろう、〈火を囲み、犬を喰らわば、皆兄弟〉って」
「いや、知らん……」
「なんじゃ? 人間はモノを知らんのう」
「ええ……?」
当初は当然に警戒していた八兵衛であったが、この妙な人懐っこさを見せる鬼の雰囲気にいつしか飲まれてしまっていた。しかし、知っておかなければならないことがある。そもそも、鬼が実在していたなんて、忍者として育てられ、少なからずこの世の陰の部分に属していた八兵衛でさえも知らなかった。その鬼が、いま、目の前にいる。つまり、
「童子……俺、ぶっちゃけて言うと、鬼を見るのは初めてなんだ。っつうか、そもそも、鬼ってもんは実在しないものだって思ってた。お前……本当に鬼なのか?」
当然の疑問。鬼のような風貌をしているが、本物なのか。その問いは本質的に極めて無礼なものである。その鬼が、本物なのであれば。童子は問われ、明らかに怪訝そうな顔をする。ピリ、と空気が痺れるような沈黙。その中で、童子はいきなり立ち上がった。
「わあ、ご、ごめん!」
八兵衛は反射的に身構え謝罪の言葉を口にするが、童子は特に襲いかかってくるでもなく怒声を浴びせるでもなく、両腕を広げて目の前でくるくると回ってみせた。二回転。
「え、ええと……?」
「ほれ、初めてなんじゃろう。よく見るがいい。これが鬼の姿じゃ。正真正銘のな」
「え……」
八兵衛と光圀が絶句していると、その場で回転するのに飽きたのか、童子は再び腰を下ろした。
「人間はものを知らんからのう。わしのような鬼がいることを知らん、と言うのは百も承知じゃ。それに、そう思われるのも当然」
「……?」
「推測の域を出ぬが……わしは、この国で最後の鬼かもしれんでな」
「ど、どう言う意味だ……?」
童子は大義そうに伸びをすると、あくび混じりに言った。
「わしの山も、その隣の山も、住んでいる鬼はここ十年くらいでみーんな殺されちまったんじゃよ。人間にな。同じ集落の鬼どもと一緒に逃げてひっそりと暮らしとったんじゃが、それも五年くらい前かのう、みんな人間にとっ捕まってそれっきりじゃ。だから、わしが多分、最後」
過酷な身の上を、寝っ転がりながら伝えられ、八兵衛たちはどう答えていいかわからなかった。
「まあ、元々鬼は少子化社会でな、わしが最年少だったんじゃが……ジジババどもはやれ〈いつまでもごろごろしてないで人間の村を襲いに行け〉だの〈生贄を定期的に捧げてくれる集落を探せ〉だのうるさくてのう。しょ〜〜〜じき、やかましいのが居なくなってせいせいしとる。ずっと山を出たかったしな」
「そ、そんな……」
「それで、夢の一人暮らしを満喫しておったら、また別の人間どもに見つかってしまっての。しばらく追われておったんじゃ。だからこの辺の山に隠れてほとぼりが冷めるのを待っていたんじゃが、どうも嗅ぎ慣れた同族の匂いがした。それを追ってきてみたら、お主たちがおった、という訳じゃよ」
「……!」
光圀の表情がこわばる。それに八兵衛も気づいていた。おそらく、童子が察知しているのは、光圀の身体に埋め込まれた〈鬼の脊髄〉なのだ。いかに同族との折り合いが悪そうな童子相手とはいえ、本物の鬼を目の前にして、〈自分の身体には、あなたの同族の背骨が埋め込まれています〉などと、言える訳がない。
嫌な予感がした。もし、それが知られたらどうなる。今でこそ友好的な童子ではあるが、今見せているこの表情の裏に、どんな感情が潜んでいるかなど、わかるはずもない。そして、その予感は、程なく的中することとなる。
「……とはいえのう、わしも仲の良い同族が一人もいなかった訳ではないんじゃ」
「……?」
「〈氷砂姫(ひずなひめ)〉。珍しい白い鬼でのう、気は強く、腕っぷしもなかなかだったが、美しかった。誰よりも。氷砂と会えんくなってしまったことだけは、わしは悲しいんじゃ」
肉を食べた後の木の棒を、地面にごり、と強く押し当てる。
童子の声色が変わった。鷹揚でふわふわとした声は、その瞬間、重く、冷たいものになった。
「……そっちの娘。なんで、お前から氷砂の匂いがするんじゃ?」
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