第二十六話「これじゃ、まるで化け物じゃないか」
※※※
違和感。
八兵衛にはその正体がすぐにわかった。
月世が光圀を指す、その指。それは、牛火村で暴走した光圀が切断した腕のものだった。再生した? 光圀も人並外れた回復力があるが、それでも、切り落とした腕が生えてくるような、童子のような鬼そのものの力には及ばなかったはずだ。
「名無しちゃんにはお礼を言わなきゃね」
「何の……こと……!」
嗤いながら、月世は拘束具めいた黒衣の懐を開いた。華奢な少女の白い肌が顕になる。が、
「何……それ」
赤く爛れた炎症が広がっている。ところどころ真皮、それどころか筋肉組織や内臓、骨まで見えそうなほどの。その糜爛がうねうねと動き、開いたり閉じたりを繰り返している。
「ぼくと……ぼくの中の鬼の脊髄は相性があんまり良くないみたいでね。ぼく自身の細胞は、鬼の脊髄に食われて死んで、それでも脊髄による回復力で中途半端に元に戻って、っていうのを繰り返しているんだ。今まではぼくの助さんの補助で、龍脈から吸い上げた霊気でなんとか回復させていた。でもね」
手をかかげると、投擲された大鎌が月世の手の元に飛んで戻る。黒い刃を握ると、そのまま自らの首に引っ掛けて、引き裂いた。
「!?」
光圀は目を見開くが、その反応を見越していたように、月世は手でそれを制する。
「きみが教えてくれたんだよ。名無しちゃんの髪飾りがそうだったように、ぼくの脊髄には、安全装置になる呪式が直接刻まれていたんだ。だから、その場所を特定して、こうやってちょっと引っ掻いてやれば、瞬間的に脊髄から流れ込む鬼の霊力が爆発的に増える。そうすれば、一時的にだけど……」
月世の肌を侵す糜爛がみるみる塞がっていく。
「鬼とほぼ変わらない回復力を手に入れることができる。きみにぶったぎられた腕も、ご覧の通り、元通りさ、でも」
塞がった傷口が青く光る。その光は血管か神経網を伝うように走り、月世の肌に光の模様を描き出していた。
「たぶん、この脊髄はもう持たない。もう何回も無理やり傷を治すのに使ったからね。だから」
ざり、と月世が一歩前に出る。
光圀は退かず、構えを取った。
その様を見るや、月世の眉が歪む。
「……何なんだよ……その態度は……!」
「……?」
「お前みたいな名無しの出来損ないは! ぼくに尽くすために存在しているんだろうが! 寄越せよ! お前のクソ背骨を! とっととぼくに寄越せ!!! じゃないと、ぼくが死んじまうだろうが!!!!」
豹変。得体の知れない圧力を感じ、光圀は拳を固めた。
「はは、はははは……まあいいや。こうすれば早く済むんだから」
月世が胸に手を当てると、青白い光が溢れた。その光は無数の触手のような形状に変わると、四方八方に向かって伸びていく。
「そこのでかいのと、細っこい女。お前たちは強そうだ」
無龍と凍早に向けられる悪意に、光圀は思い出した。月世の能力。
月夜の霊力に触れたものは、月世の命に従う傀儡と化す。
いけない、と無龍たちを遠ざけようとしたが、間に合わない。
「だめ……!!」
しかし、光圀が叫んだ途端、光の触手はふっとかき消えた。
月世は訳が分からず、光圀に憎悪の視線を向ける。
「お前……何をした……! ぼくの力を奪ったっていうのか!!」
光圀にも何が起きたか分からなかった。今が好機と仕掛けるべきか、混乱する光圀の後ろから声が響いた。
「残念だけど、もう妙な術は使えないぜ、黒いお嬢ちゃん」
格さんが意気揚々と歩いてくる。
その横には助さんも、着物の誇りを払いながら続く。
「格さん! 助さんも……?」
光圀の表情に緊張が走った。二人の傍に、想像だにしない人物がいたからだ。
その姿に、
「おい、何の冗談だ、これは」
月世の不快そうな声が低く響く。
「ぼくの霊力の増幅器は、お前の目玉に埋め込まれているはずだろ。お前、ぼくの力を、押さえ込んだな?」
その視線の先は、烏帽子をかぶり、奇妙な革帯で目隠しをした、
「な、なんで、その人が……?」
月世に付き従っていたはずの〈助さん〉であった。
傍の八兵衛が構える。が、助さんが手で制する。
「この者は敵ではありません。今は」
「そーいうこと。っていうか、この姉ちゃんがここまで案内してくれたんだよ。なあ?」
烏帽子の女は伏目がちに(目は見えないが)、一歩前に出た。
「……はい、私の目は、光を見ることはできませんが、龍脈を……霊気の流れを視覚として捉えることができます。だから、この場所も。ここは、とても大きな龍穴があるから」
「いや、そうじゃなくて……あんた、月世のお供だろう。なんで、俺たちに……?」
八兵衛の問いかけが終わるよりも早く、烏帽子の女は月世に向かって駆けた。
「もう、もうやめましょう。こんなことを続けていても、あなたは絶対に幸せになれない。あなたの望む〈世直し〉は、もう無理なんです!」
熱のこもった声。しかし、月世は下瞼をひくつかせている。
「あなたはもう、長く生きられない。鬼の脊髄が、あなたの命を食い尽くしてしまっている。なら、せめてどこか穏やかな場所で、静かに……残された時間を、私と……!それができないなら、いっそ、あなたがあなたであるうちに……」
「ふざけるなよ」
烏帽子の女の目隠しの下には、眼球はない。眼窩を〈禍学的〉な手術でめちゃくちゃに抉り取られ、霊石を無理やりに埋め込まれている。だから涙が流れることはないが、彼女は今、間違いなく泣いていた。
「お願い! もう見ていられないの!!」
「黙れって言ってんだよ! 腰巾着の召使風情が!!」
「違う!私はあなたの、は」
そこから先は言葉にならなかった。月世の手から大鎌が伸び、烏帽子の女の胴体を輪切りにしていた。
「……!!!」
「てめえ、何やってんだ!!!」
助さんと格さんの叫びと共に、烏帽子の女の上半身は一緒に切断された両の下腕部と共に、ぼとり、と落ちた。
その様を、道端に転がる虫の死骸を見るかのような目で月世は眺めていた。
「……あーあ。重宝してやったのに。恩知らずの豚女が」
転がった上半身を鎌の柄で仰向けに転がし、目隠しを切り落とす。露わになった傷だらけの眼窩から、何かをむしり取った。血に濡れながらも、淡く青く光を放っている。埋め込まれていた霊石だった。
「これ、ぼく自身が鬼の霊力に食われないようにするための制御装置だったんだってさ。視神経と繋げて、ぼくの霊力の状態を視覚的に捉えて、出力を上げたり絞ったり、こいつが操作できるようにしてたんだ」
「なんで……」
誰にともなく語る月世の前で、光圀は俯いて震えていたが、感情が弾けた。
「なんで、こんなことができるの!!!!」
声と同時に、紫電と共に印籠が甲冑の形に展開する。
「ずっと、あなたを助けてきた人なんでしょ……どうして、それを!!!」
「……うざいなあ。〈助さん〉なんてのは、〈光圀〉の霊的状況を監督して制御するための運用単位に過ぎないだろうが」
「何、それ……」
「まあ、名無しちゃんは知らないよね。何にも覚えてないんだから」
「そんなの、関係ないよ!」
「〈光圀〉と〈助さん〉〈格さん〉は、天帝計画を動かす上のただの役割だ。きみみたいに、呑気に仲良しごっこしてる方がイカれてるんだよ!」
「そんなことない!!!」
激昂。光圀が殴りかかる。わかりやすい挑発に乗ってきたことに、月世は満足げに目で嗤った。直線的な光圀を迎え撃つように、刃を大きく伸ばした鎌を振った。それは正面から迎撃されるコース。光圀の腰あたりから胴体を両断せんと、斬撃が襲う。寸前、光圀の巨体が高く跳ねた。急角度で動線を変え刃を躱す。跳躍が最高点に達した時、甲冑の肘の辺りから紫の炎が噴き出した。炎に押され、稲妻のような速度で上空から打ち下ろす拳。
だが、月世はその攻撃も予測していた。空を掻いた鎌の刃は蛇のように形を変え、細い針となって光圀の背中を襲う。牛火村での立ち回りと同じ。学ばないね、と月世は覆面の下で嗤う。だが。
針は光圀に届かない。刺さらない。
光圀が習得した霊力による防御。
「……!!」
「そんなの、効かない!!!」
叫びと共に、空からの拳が月世に打ち込まれる。咄嗟に鎌を変形させて盾にしようとするが、間に合わない。光圀の拳が、初めて月世に届いた。顔面、真正面からの衝撃に、月世は悲鳴をあげて吹き飛んだ。
衝撃で口を覆う覆面が敗れ、爛れ切った鼻から下が露わとなる。
傷だらけの顔を見られた屈辱、格下だと侮っていた光圀に遅れをとった焦り。そして怒り。月世は叫んだ。言葉ではないが、呪詛と憎悪だけでできた声。しかし、光圀は眉一つ動かさずに、月世の前に立った。
「ねえ、もうやめよう」
「ふざけてんのか。今更止まれるかよ」
「わたしはあなたを絶対に許したくない。でも、あなただって傷ついてるように見えるよ。だからもう……」
「今だ! やれ!!!」
月世の号令と同時に、光圀の背後で気配がした。月世のもう一人のお供であった、斧の童女が得物を振り翳して飛び出してきた。月世は光圀が自分と対峙している時に、隙をついて背後から斬りつけるように潜ませていたのだ。
「!!」
光圀の反応は遅くはなかったが、それよりも早く、八兵衛が童女を蹴り飛ばした。倒れたところを格さんが斧を取り上げ、組み伏せる。暴れ回ることを想定して全力で動きを止めたが、童女は抵抗をほとんどしなかった。斧の童女は弱々しく唸り声を上げると、ぐったりと動かなくなった。
「……あんた、前から外道だとは思ってたけど、こんな小悪党みたいな卑怯な真似までするなんてな」
格さんが吐き捨てるように呟く。それを聞いてか聞かずか、月世は身体をわなわなと震わせる。
「どいつもこいつも……役立たずしかいないのか! この世界には!」
怒りに任せ、手に持った青い霊石を足元に叩きつけた。粉々に砕け散る。
月世の〈助さん〉の頭部に埋まっていた、月世の霊力を制御するために装置。その霊石が破壊されると、
「!!??」
月世の肌に、青い光の筋が浮かぶ。その光は見るまに強くなり、瞬間、溢れた。
咆哮。
彼女に埋め込まれた鬼の脊髄に宿る膨大な霊力が、安全装置による制限なく、その全てが直接月世の痩躯に流れ込んだのだ。呻く月世と、迸る青い光。その威容に光圀は一瞬怯むが、彼女を守るように八兵衛と助さん格さんが陣形を組んだ。
その様を見てか、霊力が流れ込んだための苦痛ゆえか、月世は両手で顔を覆う。
「なんでだよ……なんで!!!」
月世の怒号が飛ぶ。
「そいつは名無しの出来損ないだろ!! なんで!! なんでそんな奴の周りに人がいるんだ!!! なんで!!! 名前もあって、成功個体のぼくの側には!!! 誰もいないんだよ!!!!」
その叫びは、光圀には悲しそうに聞こえた。
「誰か……ぼくを守ってよ……誰か!!!」
空間自体に血管が張り巡らされたかのように、青い光が模様を作る。光が格さんが一掃した屍兵たちの骸に触れると、ぎこちなく骸たちが起き上がった。ゆっくりと、ネム達に操られていた時よりもはるかに緩慢な動きで、それらは光圀達を取り囲むように動き始めた。その数は、一目では数え切れるものではなかった。だが。
「よお、仏頂面の姉さん。もうひと暴れ、行けるかい」
「愚問です。お嬢! あちらはお任せを!」
助さんと格さんは構えると、屍の群に突撃していった。
「見たとこ、動いてんのは首が繋がってる奴らだけだ! つまり……」
「弱点見たり。私と……あなたなら!」
格さんは不敵に笑った。
「ああ! 楽勝だ!!」
目にも止まらぬ斬撃が、怪力無双から繰り出される荒々しい暴力が、一撃で何体もの屍兵を蹴散らしていく。
「あ、あああ……!」
ぼくを守って、という願いで動き出した兵隊が、見る間に壊滅していく。なすこと全てが端から破綻していく状況に、月世はいよいよ正常な判断力を失っていた。その結果。
「もう、いい、もう、全部、いらない……」
月世は鎌で自らの首を貫いた。
「!!??」
鮮血が噴き出る。すぐに傷は塞がるが、脊髄に刻まれた、鬼の力を抑えるための呪式が完全に破壊された。
霊石で制御されていた霊力が安全弁を失い、そして今、鬼の脊髄が本来の力を取り戻す。脊髄が、鬼本来の肉体を無理やりに再生させようと活性化した。脊髄から急速に鬼の肉体が形成されようとするが、その細胞増殖は月世の肉体とぶつかった。月世の細胞の一つ一つが見る間に食い散らかされ、その体が変質していく。ぱきぱきと骨が割れる音と共に、肉が歪に膨れ上がっていく。もう、脊髄自身が、鬼の元の姿を覚えていなかった。長い間封印され、霊力だけを搾取されていた脊髄は、もはや身体を完全に再生するだけの力を持っていないのだ。
「なんだよ、これ……」
八兵衛が驚愕の顔で見上げる。月世の意識を残したまま、その肉塊は膨張を続けている。さながら醜悪な肉色の芋虫。あらぬところから腕のようなものが何本も生え、もうその姿は何の生物にも似つかない。最後に残った月世の自我を表すように、胸から上だけは、月世の美しい姿をかろうじて保っていた。
「あああ、ぼくの、ぼくの身体が……こんな……こんな……」
自らの判断の結果を受け入れられないように、月世の表情が歪む。
「これじゃ、まるで化け物じゃないか」
その小さなつぶやきを八兵衛は聴いた。なぜか、その瞬間に血が沸騰するかのような怒りを覚えた。
「ふざけんなよ」
八兵衛の声は、月世には届かない。月世は酩酊したかのようにフラフラとその巨体を揺らし、巨大な芋虫のような体躯から無造作に生え狂った腕を振り回した。木々が、忍び里の家屋が、その都度粉砕されていく。
「ふざけんな!!!」
「! はちべえ!?」
八兵衛は月世に向かって走り出した。顔に感じる風で、少しずつ冷静になる。しかし、どうしようもない怒りは、その火を弱めることはない。許せないことは幾らでもあった。牛火村を襲ったこと、人々を虐殺したこと。だが、なぜだかそれ以上に。
「なんで、今更それを言うんだ!!!」
光圀も八兵衛を追いかけようとしたが、その声に足が止まる。
「お前だって〈光圀〉なんだろ! 力を持った、人間を超えた存在なんだろ! 今更自分のことを〈化け物〉だって、怖くなったってのかよ!!」
八兵衛は飛び上がり、月世の腕の一つに着地した。そのまま駆け上がる。
「強い力で人を従えて、押さえつけることを散々してきたくせに! それに、悩むこともせずに!!」
他の腕がびゅうと伸び、八兵衛を捉えようとする。が、それらは八兵衛の速度についていけない。再び八兵衛が跳躍する。腕を超え、胴体部分に飛び乗った。
「光圀は、ずっと悩んで、ずっと傷ついてきた! 血を流して、泣きながら、向き合ってきたんだ! 自分の力と!」
「……!」
光圀は目を見開く。熱くなる胸に拳を当てると、きっと前を見た。再び走り出す。
「お前みたいな奴が……!」
胴体から、先端に位置する月世の本体に向かって、全速力で八兵衛は駆ける。そこでやっと、月世は八兵衛の存在を認識した。その姿を捉えるや、心底不快そうに眉を歪めた。
「うるさい……気持ち悪い……!」
「お前みたいな奴が! 光圀を!! 見下すんじゃない!!!!」
「うるさいんだよ! 何の関係もないゴミが!!!!」
瞬間、肉色の胴体からさらに細い腕が何本も飛び出してきた。それらはまっすぐ、矢のような速さで八兵衛に向かって飛ぶ。だが、八兵衛はもはや矢の何倍も速い。それらの全てを振り切り、八兵衛は月世本体に肉薄した。〈最速〉で駆ける全速力を乗せて、その拳を月世の顔面に叩き込む。月世の下顎が弾け飛ぶ。しかし、
「!?」
砂山を砕いたかのような、空虚な手応え。見る間に月世の顔面は再生し、怒りの形相になる。怯んだ一瞬、足元から無数の小さな手が発生し、八兵衛の全身を掴んだ。
「しまった……!」
「偉そうに説教垂れてくれたな……お前、どこから千切られたい」
ぎりぎりと、全ての手が万力のような力で八兵衛の手足を砕きにかかる。八兵衛は呻くが、とてもではないが常人の力ではこれを振り解くことは不可能。その様を光圀も認め、助けに向かうが、あまりに距離が遠い。
「面倒臭い。手足全部、いっぺんに引きちぎってやる」
無数の腕に、一斉に力が入る。八兵衛の筋肉を圧し潰し、骨を粉砕する、
「……!!」
ことはなかった。腕は全て一瞬にして寸断され、八兵衛は空中に投げ出される。月世の胴体に背中から落ちる様に、失望したような視線を向けていたのは。
「本当に判断が甘い。不測の事態への対応力は下の下だな」
「凍早、なんで……!」
目を合わせず、凍早は両手に武器を構える。不規則に穴の空いた三日月状の刃。通称〈水面の月〉。
「こいつは無龍様に傷をつけた。その報いを受けてもらうのに、お前が邪魔だっただけだ。助けたわけじゃない」
八兵衛は苦笑すると身構えた。
忍軍史上最も才能に恵まれなかった八兵衛と、最も高い才能を見せた凍早。その二人が今、並び立った。
「足を引っ張るなよ」
「あいにく、足だけはお前より速いんだ」
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