第十一話「ぼくにだって、お前達しか、いないんだから」

※※※


 地面にめり込み沈黙していた斧の童女が、大斧を杖代わりにしてよろよろと立ち上がる。手首を刎ね飛ばされた烏帽子の女も、衣を裂いて止血し、ふらつきながらも月世の傍に立った。


「……みっともない姿を見せるな。ぼくにだって、お前達しか、いないんだから」


 異形に変じた光圀を見つめる。

 一体、あれはなんだ。

〈光圀〉の製造について、人体に対して呪術的な改造を施したものである、と大まかなことまでは把握しているが、自分の身体のどこがどうなっているのか、詳しいことは知らない。

 もし自分自身も、何かの拍子にあのような化け物になってしまうとしたら。

 想像に震える。その途端、身体中に激痛が走った。

 悶え、うめき声をあげる月世に烏帽子の女が心配そうに身を寄せる。


「例の、時間だ。いつものを……頼むよ」


 女は残った片手で本を開き、何かを口中で呟く。地面から柔らかな光がたちのぼり、女の体を経由して、月世に流れていく。

 月世は苦しそうに、拘束衣めいた服のベルトをいくつも外していくと、胸から腹をあらわにした。肌を一面覆う、夥しい数の傷……ではない。腐った果実の表面のように、潰瘍が皮膚をまだらに赤く染めていた。大小、深浅さまざま。深いものは、真皮を抉り、筋肉の表面までもが見えるほどである。

 外傷ではなく、ただ生きているだけで、皮膚が、身体が崩れていく病。いや、病なのかすらわからない。直す術があるのかさえ。

 が、女の手から流れる光に触れると、潰瘍はわずかに小さくなる。

 荒い呼吸が少し落ち着く。

 こうやって急場凌ぎの対症療法を、ずっと繰り返してきた。


 この村の奥の山には、巨大な龍穴がある。だから月世はここに来た。近隣の村の人間を操り人形にし、守りを固めて余人に近づけない環境を作った上で、龍穴の村で崩れゆく身体を癒す。

 ぼくにはもうあまり時間がない。

 だから、この村を離れるつもりは毛頭ないのだ。なのに。

 ここはやっと見つけたぼくの場所だ。誰からも加害されない、ぼくだけの場所。

 痛みに耐えていると息が荒くなる。覆面をつけている状態では満足に息ができず、たまらず月世はそれを取り去った。

 白磁で造形されたかのように白く美しい顔立ちが顕になる。

 しかし、喘ぐ口元から頬にかけての皮膚は身体と同様赤く爛れ所々に穴が空き、顎の筋肉や歯列までもが露出している有様だった。


「ぼくが安心して暮らせる場所を作る……それが、ぼくの世直しだ」


 呟くと、再び覆面で口元を隠す。

 月世はゆっくりと立ち上がり、大鎌を携え、白い鬼を睨みつけた。



※※※


「もう一度だけ説明します。この髪飾りを、お嬢の左のこめかみあたりにつけ直してください。側頭部に、小さな穴があります。髪飾りから伸びているこの針を、そこに挿し込むんです」

「いや、怖えよ! なんでみっちゃん、頭に穴空いてんだ!」

「……詳しい説明をしている暇はありません。八兵衛、今は貴方だけが頼りです」

「一番説明いるやつだろ! おいおチビ、ちゃんと説明聞いた方がいいからな。のーみそに針ぶっさすってことは、手元狂ったらみっちゃん死んじゃうからな」

「ちょっと、黙って……」

 

 八兵衛は無言で髪飾りを握りしめた。

 正直、混乱していた。

 今まで、〈光圀〉という名前と記憶だけを頼りに、敵を探していた。

 だというのに、今この場には、光圀の他に二人もの〈光圀〉がいた。なら、自分が復讐すべき相手は、誰なんだ。

 しかし、それを確かめるには、今この場をなんとかするしかない。

 身を屈め、右足を少し引くと、片手をぬかるんだ地面につく。

 光圀を睨みつける。光圀はその気配に気付いたように視線を八兵衛に向けると、咆哮を上げた。

 それが合図だった。

 八兵衛の左足が地面を蹴る。その瞬間、その姿はその場の誰にも捉えられなくなった。雨の降り頻る泥の地面に、水飛沫だけが上がる。

 空気の壁に全身がぶち当たる強い衝撃。だが、八兵衛の矮躯はその壁をすり抜ける。この時、彼にとって、周りの全てが泥の流れのように緩慢に動くものに見えた。あたりを取り巻く、雨粒さえも。

 いける。

 間合いをつめ、後一飛びもすれば、首元に取り付くことができる。そう思った瞬間、目が合った。

 八兵衛の足が止まる。

 恐怖。フラッシュバック。

 あの日、全てを失った、後悔の日。忌まわしき〈鬼〉の記憶が襲いくる。


「八兵衛! お願いです! お嬢を!!」


 呼吸と心拍が早くなる。早鐘のように打つ音が、自分でも聞こえるほどに。

 その隙を、月世は見逃さなかった。


「させないよ。何だかわからないけれど、名無しちゃんには化け物のまま死んでもらう」


 死神の如き大鎌が、手始めに八兵衛の頸を狙う。八兵衛の全速力なら、その時点からでも身を躱すのは造作もない。しかし、恐怖にすくんだ足は、鉛よりも重い。間に合わない。切先が頚椎を捉えた、瞬間。

 鬼と化した光圀の爪が、月世の鎌を下腕ごと吹き飛ばした。


「が……っ、あああああああああッッ!!」


 月世が悲鳴を上げる。

 追撃に迫る光圀の腕を、割って入った斧の童女が食い止めた。烏帽子の女は取り乱した様子で、必死に回復の術を掛ける。しかし、吹き飛んだ四肢が生えてくるような術を持っているわけもなく、月世は泣き叫んだ。


「離せ! 殺す! 殺してやる!! ここはぼくの村だ、国だ! 何でぼくが退かなきゃいけない! あの化け物を殺せ! 殺せよ!」


 泣き叫ぶ月世を抱えて、童女と烏帽子の女が撤退していく。

 八兵衛は、何が起こったのか整理がつかなかった。

 光圀は今、俺を助けたのか。何故。あんな状態になっても、光圀としての意識が残っているのか。

 混乱で、却って恐怖を忘れた。首を振るとやるべきことを思い起こし、髪飾りを再び握り、飛び上がった。

 光圀の頭に狙いを澄ます。揺れる乱れた銀髪の合間に、確かに何かを差し込むような孔が見える。光圀の視線が八兵衛を捉えるよりも速く、何よりも速く、首元に飛びつき、髪飾りから伸びる針を孔に差し込んだ。

 肉に針を刺すような、厭な手応え。

 針の先が奥まで到達した瞬間。

 ばち、という爆ぜる音と共に、青白い稲妻が走った。

 その光に何かを予感し、八兵衛は身を翻し離れて着地する。途端、光圀が吠えた。同時に、髪飾りから猛烈な勢いで、白い光が天に向かって放出された。

 雨雲は光に貫かれ、吹き飛んだ。

 月と星々が再び覗く夜空に、異形の身体に溜まったエネルギーを排出するかのように、光は放たれ続ける。それに応じて、変形していた光圀の身体が、少しずつ元の形に戻っていった。

 

 元の少女の身体に戻った光圀は、胡乱な目であたりを見回す。

 めちゃくちゃになった村。

 辺りに折り重なる村人たちの骸。

 血まみれの月世。

 意識を失う寸前、悲しみと後悔に顔を歪ませ、光圀はその場に崩れ落ちた。


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