第九話「脳に刺していたのか……?」
※※※
童女が振り下ろした大斧を、格さんが両手で受け止める。背格好で言えば八兵衛と大差ないくらいの矮躯だというのに、なんという膂力。鍛え上げられた格さんの腕の筋肉が軋む。
一方の烏帽子の女は距離を取り、本の頁をめくりながら、なにやら口中で呟く。すると助さんの足元が僅かに燐光を放ち、稲妻のような光線が地面から迸った。身を翻し稲妻を躱すが、着流の裾が僅かに焦げた。
大斧の童女と格さん、烏帽子の女と助さんが交戦を始めた。どちらかの援護に入りたいところだが、光圀は目の前の黒衣、〈月世光圀〉と名乗ったこの少女から目が離せない。
再び月は隠れていた。黒々とした暗い雲から、ぼとぼとと嫌な音をたて、大粒の雨が降り始めた。
「……なんで、あなたも、〈光圀〉っていうの……わたしと同じ名前なの」
「随分ととんちきな質問をするねえ。それは、観音菩薩や地蔵菩薩に〈なんでどっちも同じ菩薩って名前なの〉って訊くようなもんだよ。そうかそうか、そこからか」
「答えて。……教えて」
「ふうん、ぼくはお姉ちゃんだからねえ。愚かな妹のために教えてあげよう。いいかい、〈光圀〉っていうのは個人名じゃあない。個体名じゃあない。〈天帝計画〉で造られた、この国に光をもたらすべき超人のことを、総じて〈光圀〉と呼称しているのさ」
「造……られた……じゃあ、わたしは……」
「どうやって造るのかは知らないけど、ほとんどの〈光圀〉は成長途中で死んじゃったんだってさ。それで、生き残った数少ない成功個体にはそれぞれ名前が与えられた。さっきくたばった〈烈火〉とか、ぼくの〈月〉とか、光にちなんだ名前がね」
「……」
「さっきも言ったけど、きみは自分のことを〈光圀〉と名乗った。個体名を意図して隠したわけじゃあなく、どうやら本当に知らないらしい。ってことは、だよ。きみには、名前が、ないんだ。失敗作だから。名無し。名無しの光圀。今日からきみは〈名無しちゃん〉だ、あははははは!」
月世はおかしそうに身を捩りながら笑い声をあげる。光圀は俯いたまま立ち尽くしていた。
ふと、月世は笑うのをやめた。
「でもね。名無しだろうがなんだろうが、ぼく以外の光圀なんてこの世には必要ない。ぼくはこのぶっ壊れた世の中を変える力を持ってる。ぼくだけを崇め、ぼくだけに優しくて、誰もぼくに加害しない世界を作る。そのためには、ぼく以外の救世主なんて、いらないんだよ!」
そう叫ぶと、大鎌を真横一文字に振る。光圀はバックステップで躱すと、距離を詰めるために大きく踏み込んだ。
はずだった。
「!!??」
村人の男が光圀の腰にしがみついていた。見覚えのない壮年の男だった。
離して、と振り解こうとすると呆気なく剥がれる。しかし、老女が、少年たちが、中年の男が山と押し寄せ、光圀に組みつこうとしてくる。びしょ濡れの布と人の皮膚が触れ合う、嫌な感触。
「や、やめて! 危ないよ! 離れて!」
一人一人を傷つけないように丁寧に身体から剥がそうとするが、一人はがせば二人が取りつき、それを剥がそうとしているうちに三人が組み付く。夥しい数の人間に取り憑かれ、光圀は完全に身動きが取れなくなっていた。
「苦しいよ、やめてよ……! なんで! みんな、どうしたの!!」
その様をおかしそうに見つめながら、月世がゆっくりと歩いてくる。
「いやあ、大人気だねえ、名無しちゃん」
「あなた……なにしたの!」
「あはははは、この近くで存在を感じた要石が見つからないの、不思議に思わなかったのかい」
「え……?」
「おあいにく様。もうここの要石は存在しない。ぼくがぼくの霊気を注ぎ込んで、粉々に砕いて、川に流した」
「どういうこと……?」
「〈光圀〉は生育途中で、各々異なった霊気の性質を持つんだよ。ぼくの霊気は、触れた相手の意思を支配することができる。まあ、いくつか条件はあるけどね。体内から浴びる霊気の影響は、外からのそれとは比べ物にならない。ぼくの霊気をたっぷり吸った〈要石〉の破片を水と一緒に体内に取り込めば、辺り一帯、村単位の人間をぼくの言いなりにすることだってできる。名無しちゃん、ここに来るまでに、無人の村をいくつか見たんじゃないかな?」
「まさか、この人たちは、みんな……!」
「そうだよ? 」
再び真横に鎌を振り抜く。
「近くの村の人間は、老若男女一人残らずぼくの意のままに動く。今ちょうどこの村を取り囲んでるのさ。こうやって使うために!」
組みついていた村人ごと、光圀の身体を切り裂いた。
「いやああああああああああああっ!!」
激痛と、目の前で人が死んでいくことへの悲しみに声をあげる。
村人の体の切断面から噴き出す血液で、光圀の顔面と銀髪が赤く染まるが、大雨がそれを端から洗い流していく。伝い落ちる血液まじりの雨は、光圀の双眸から涙のように流れる
「あ……ああ……」
妙だった。
光圀は、自分や目の前の人たちに危機が迫る時、抗い難い〈正義の衝動〉とでも呼ぶべき感情に従って行動する。そのために、自らに攻撃してきた火和をも意図せず迎撃してしまった。しかし、今眼前に迫る危機。〈月世光圀〉の凶行に対しては、その衝動が全く湧いて来ないのだ。
あまりの邪悪さに気圧されているのか。
しかし、光圀は己を奮い立たせた。怒りと悲しみによって。人の命をごみのように扱う目の前の存在を許すわけにはいかないという怒り。かけがえの無い命を目の前で散らせてしまったという悲しみ。
その感情を、右手に込めた。その右手で。
「うわあああああああッッ!!!」
自分の正面に組みついていた、事切れた村人たちの骸を無理やり引き剥がす。固く閉じた窓をこじ開けるかのように。
まだ収まらない怒りに任せ、拳を握る。
ナックルガードの形状だった印籠はさらに形を変え、肩まで覆う甲冑へと変じる。光圀の感情の高まりに呼応するように青白い稲妻が右腕に迸った。その光は、光圀の側頭部を飾る髪飾りからも、ばち、と音を立てて弾けた。
「絶対に許さない……! あなたが〈光圀〉であったとしても、そんなの関係ない!!」
叫びに応え、稲妻が周囲に走る。
すると、光圀に組みついていた村人たちの力がたちまち弛んだ。突如力が抜け、ばたばたとその場に倒れ始めた。稲妻に触れたものから倒れているようだ。胸郭がゆっくりと上下しているから、死んでいるわけではない。
その様に月世は眉を顰めた。
「……ああ、そりゃそうか。名無しちゃんの印籠で〈要石〉に込めた霊気を吸われちゃったんだもんな。つまんないの。じゃあ、これならどうかな」
指揮棒のように大鎌を振る。その動きに操られるかのように、村人たちが再び押し寄せる。ただし、大勢が一度に襲いかかるのではなく、3、4人が次々とつかみかかかる波状攻撃。しかし、その誰もが、怒れる光圀の体に触れる直前に糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。光圀自身も、なにが起きているのかは理解していなかったが、自分から迸る何かの力が、村人たちを傷つけることなく眠らせているということだけは把握した。
右拳から発せられる稲妻はその眩さを増し、それに呼応するかのように、先ほど大鎌で真横に斬られた胸の傷が塞がっていく。その様を見た月世は眉を歪めた。
「なんだい、その霊力量。尋常じゃないぞ」
光圀はその問いには答えない。慢心の力を込めて拳を振り抜く。が、拳よりも遥かにリーチで勝る大鎌がそれを迎撃する。光圀は月世本体によりも、むしろ大鎌そのものに向かって攻撃を仕掛け始めた。
元々、光圀が持つ印籠は、〈要石〉に溜まった悪い霊気を吸い取る能力を持つ。先ほど、正気を失った村人達が光圀に近づいた途端に倒れていったのは、なんらかの、おそらく月世の霊力によって操られていたのを、光圀の印籠が浄化していったからだろうと、あまり考えるのが得意ではない光圀にも直感的に推測できた。ならば。
「その鎌を止める……っ!」
確かに、光圀の打撃が大鎌の刃や柄に届くたび、物理的な衝撃で振動するのとは違う反応が見えた。柔らかい臓器が収縮するように、瞬間、縮んでいくように見える。だが。
インパクトのたび、光圀の甲冑もまた、同じように収縮していく。
「あはははは、ぶん殴ってぼくの鎌を無力化しようって? そのヨロイも〈印籠装具〉なら、ぼくの〈印籠斬〉に触れれば霊気を吸われる。条件は同じなんだよ、ぼく達はどっちも〈光圀〉なんだから! そして……!」
斬り合いの最中、拳に触れてやや細くなった大鎌が、細い虫のようにうねうねと蠕動した。枝分かれ、変形し、光圀の拳を迂回する軌道をたどり、刃の鋒は光圀の背後を狙いすました。
「ぼくの〈印籠斬〉の方が性能が高い」
そのまま、切先が細長い針のように伸び、光圀の右の肩口を貫いた。
光圀は苦悶の表情で声にならない声をあげる。
「はははは、痛そうだねえ。でも、ほっとくとすぐに治りそうだから……こうする!」
月世は大鎌を元の形に戻し、バトントワリングのように振り回しながら、斬撃の嵐を光圀に叩きつけた。
「回復させる隙は与えない。二度と歯向かう気を起こさないように心を折って、そのあとで首を落としてやる」
なんとか左腕で防御を試みる光圀だったが、流石に捌き切れない。上下左右から襲いくる刃が、光圀の衣服や皮膚をズタズタに引き裂いていく。
烏帽子の女と交戦していた助さんが、その状況に気づいた。お嬢、と声をかけるが、烏帽子の女の使う術の猛攻を捌くのに手一杯で、援護には回れない。助さんの顔から余裕がなくなっていく。
彼女は、何かを恐れていた。
まずい。早くなんとかしないと。
目の前の烏帽子の女を沈黙させたかったが、殺してしまうことにはためらいがあった。もし助さんが想像している通りの状況であれば、この女から有益な情報を集めることができるかも知れなかったからだ。しかし、もう手加減ができる状況ではない。そして、
「……五体満足でいさせる必要もないか……!」
左腰にぶら下げた刀を、帯ごとぐるりと右側に回した。
右足を限界まで後ろに下げ、きりきりと上体を右側に旋回させる。
地を這うほどの低さの、居合の構え。
すでに腕が存在しないはずの左袖を、柄にあてがう。
烏帽子の女は何かを察し、瞬間的に警戒の姿勢をとる。
が、遅かった。
「〈幻肢抜刀〉……」
5メートルは離れていたであろう距離から、居合の斬撃が飛んできた。およそ人の身では不可能な射程距離。
反射的に体を庇った左腕が手首のあたりで綺麗に寸断され、白く美しい形をした左手が、血の尾を引きながら飛んで行った。
女の悲鳴を背中で聞きながら、踵を返し光圀の方へ走った。
しかし。
「お嬢……!!」
光圀の銀髪は自らの血に染まっていた。しかし、尚も拳を構える。細かい傷は次々と治るが、荒い呼吸やふらつく足元からは、傷を治すのに必要な力が枯渇しかけているようにも見えた。右手右腕を覆う甲冑に迸る紫電は、頭の左右を飾る花の髪飾りからも火花となって発せられている。
はぜる火花を見るや、助さんは速度を上げた。
その様を嘲笑うかのように口の端を歪め、月世は光圀の頭に大鎌の刃を走らせた。だめだ、という助さんの絶叫は、大雨に阻まれて届かない。光圀は反射的に後ろに下がり致命傷を避けるが、雨粒すらも両断しながら走る刃の切先は、光圀の髪飾りに触れ、その片方を落とした。
落ちた銀色のそれを一瞥し、月世は眉を顰める。
なんだこれは。
ただの髪飾りではない。かんざしのようなものに見えた。大きな花の造形から、茎のように長い針が伸びている。だが、光圀がそれをつけていた位置関係から見ると、その針は、
「脳に刺していたのか……?」
加えて、暗がりかつ大雨でよく見えないが、針にはびっしりと何かの模様が刻まれていた。月世にそれを解読することはできなかったが、
「お前……〈失敗作〉のはずだろ……一体、なにをされた……?」
何かに気づき、問うた。しかしそれに答えるものはいない。
なぜなら。
「お嬢! お嬢ーーーーッッ!!!!」
助さんの絶叫が雨粒を震わせる。
その声の先には、光圀はいなかった。
いや、正確には。
〈光圀〉の形をしたものはいなかった。
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